小学生に回帰2014年05月04日

小さい頃、動物が好きだった。
買ってもらった図鑑の動物や鳥、魚、昆虫の巻をしょっちゅう眺めていた。特に学研の図鑑を良く読んでいた。

その延長で、動物のフィギアを一時期集めていたことがあった。

近くのおもちゃ屋に売っていたもので、結構リアルなものだったと記憶する。
リアルかつ、子供の僕にはすごくカッコ良く見えた。

しかしこのフィギアもタダでは無く、それなりの値段があり、僕が持てるのはある程度の値段のものだけだった。
それで近所の金持ちの友人が、このシリーズの値段の高いやつ(象・サイなどの巨大なもの)を持っていて、羨ましかったものだった。

中学に入学し、ビートルズなどに興味を持ったこともあって、こうしたフィギアへの興味も無くなった。

あれから40年以上の年月が流れた。

動物のフィギアを集めていたのと同じ時期に切手も蒐集していて、この切手蒐集は今年の正月くらいから復活した。

子供の頃持っていた切手を久しぶりに田舎から持ってきて又蒐集するようになって、ふと動物のフィギアのことも思い出した。

ただあの頃集めていたものが、どこの誰が作っていたか?などというような情報が今や全くわからなかった。

ネットで「動物のフィギア」で検索すると、どうやら現在は「シュライヒ」というメーカーがリアルな動物のフィギアを生産しているらしいことがわかった。
ヨドバシカメラに売っていることもわかった。

早速秋葉原のヨドバシに行って写真のものを購入してきた。

トラとチーターは、僕が子供の頃のものは、もっと小さくコンパクトだった。
バイソンは、昔僕が持っていたものと結構雰囲気が近く、ほぼ理想的な感じだった。
サイは昔のものの方がカッコ良かった気もする。
あの頃、持っていなかった象は、また次回に購入するまでの楽しみとした。

今年に入ってから、なぜか小学生時代への回帰傾向は強い(笑)。
まあただ動物のフィギアは新しい趣味、というまでには成りえなくて、ある程度揃えれば、それで蒐集は満足して終了、ということになるだろう。
つまり、小学生時代のトラウマ的な思いが解消された時点で(笑)、終了になる、ということだ。

しかし切手は、新しいものが発行されるため、たぶんこれからも細々と続いていくのだろう。

お金とスペースがあれば動物のフィギア蒐集も趣味にはなるだろうが、ならない、と思っている、ということは結局「お金とスペース」は十分にない(笑)、ということも言える。

逆をすることが増えた2014年05月11日

人の長所を見て、褒めていくことは確かに大切だろう。

ただ人によって、褒めて伸びる人と、叩かれて伸びる人とパターンがあることも確かだ。

実際褒めると、悪い言い方になってしまうが「つけあがって」それ以上の向上を放棄してしまう人がいることを、最近思い知らされた(笑)。

そんな人を、大きく包みこんで赦してあげると、つけあがる、ことがわかった(笑)。

こういう人には、思い切って説教した方がいいこともわかった(笑)。

説教が、その人を自立させ改心させる本当の愛なのだと、最近わかった(笑)。

勿論、そんな人が、説教を素直にハイハイと聞くはずは無い(笑)。

ただ誠意を持った説教は、いつかは通ずると信じ続けることが肝心だ。

説教したことで、相手が離れてしまうことも覚悟しておいた方が良い。

もしかしたら、敢えて離した方が、自立の為にはいいのかもしれない。

なぜなら「つけあがる」とは、「依存する」とほぼ同義であって、「褒めること」=「賞賛」をほしいため、もっともっとこちらに要求してくる、つまりこちらのエネルギーに依存してくる、という図式がベースにあるからだ。

そういうわけで、なんか最近は、今まで良いとされていたこと、褒めること、などの、逆をしてみたりすることが多いような気のする、今日この頃であった。

南佳孝のライブ2014年05月18日

16日に南佳孝のLIVE、「Soloism」というのに行ってきた。
場所は渋谷の文化総合センター大和田伝承ホール。

ライブの内容は、他人の曲のカバーをメインにして、オリジナルを何曲かはさむ構成だった。

ギターとピアノのみの伴奏で、それを一人で交互に演奏する。
南佳孝氏はブラジル音楽にも造詣があって、アレンジにもその影響が伺えた。

僕が南佳孝氏を初めて聞いたのは、高校生の時に友人に勧められて聴いたのだが、その時の友人曰く「日本人には珍しく、日本の演歌の影響が少なく、西洋風で非常に洗練されてる」というようなことだった。

確かに当時日本ではフォークからニューミュージックの転換期で、当時メジャーだったフォークシンガーなどは、良くも悪くも、日本的なメロディアスな味が強く出ていて、演歌などの日本の伝統的音楽の流れが、やはり色濃くあることは感じられた。

であるから、南氏は日本のミュージシャンとしては、非常に早い時期から、洋風のクオリティーの高い音楽をやってきた一人ではないだろうか。

カバーは洋楽が多く、トップはビートルズの「すてきなダンス(アイム・ハピー・ジャスト・ダンス・ウィズ・ユー)」からビリージョエルの「素顔のままで」に続くなど、僕もほとんどわかる曲であったが、それだけに、60を過ぎても、こうして好きな曲を歌って行ける南佳孝氏に、うらやましさ、羨望の念がひしひしと湧いてきた。

この曲は、こうしてアレンジするんだ!、とかこういう切り口もあるんだ!、とか、この曲ライブでやると、こうなるんだ!、とか、いろんな発見もさせてくれた。

いろんな意味で、啓示的なライブだった。

そんなに馬鹿では無いはず2014年05月25日

最近、集団的自衛権などとメディアでとりあげられるように、さも日本が軍事立国へ邁進するかのような雰囲気が漂っているかのように思える。

今の政治はなぜか日本人の少数の右傾派に牛耳られているため、あたかも日本全体が右傾化しているかのように思われているふしもあるように思う。
しかし僕の感触では、少なくとも僕の周辺の世界では、昔はまだしも、あの東日本大震災以後は、軍備や戦争で問題解決を本気で図ろうとすることを最良の手段と考える人は、もうほとんどいないように思う。
今や文化的にも世界をリードするようなものを提示できるようになった、あの日本が今更、軍国主義に至っていくとは到底考えられない。

政治の世界ではともかく、少なくとも民間のレベルでは、問題解決方法の選択をしようとした時に、軍事的な手法を選択しようと考えている人間は、あまりいないのではないかと思う。

もっと言えば、進歩した民間の人間には、軍事的問題解決手段が、人間の進化の過程の中で、いかに退化的な問題解決手段であるかということを認識している人は、少なからずいると思う。
今までの問題解決とは違うレベルでの手法で問題解決ができることを認識している人達も多く生まれてきていることだと思う。

現在は民衆レベルでは、平和主義が根付いているのに、政治レベルでは国を軍事化しようとする図式は依然としてあるのだろう。

僕は今の日本人は、そんなに馬鹿では無いと思っているので、一応右傾化に進む心配はないと思っている。

昔なら、政治が民衆を洗脳することで、国全体を右傾化できただろう。
しかし今は、民衆も発達してきており、政治やメディアに騙される危険性も気づき始めてきているようなので、現在のこの政治と民意のズレは、いつか大きく表面化することになるのだろう。