アナと雪の女王2014年08月02日

「アナと雪の女王」を見てきた。

ディズニー映画らしく、愛もテーマになっているが、良く観るとこれが、なかなか深い。

愛情深いアナやクリストフ、俗物に堕すハンス王子等、言及したいキャラクターがいろいろいるが、図らずも先日見た「マレフィセント」にも共通した重要なモチーフ「魔力を持った女性(しかも女王)」として描かれている、エルサについて少しだけ触れておく。

エルサは自分が持っている強大な魔力をコントロールできず、それで自分の国を凍りつかせたり、アナを傷つけたりする。

そんなエルサが最後に魔力をコントロールできたのは、愛に目覚めた(この話ではアナへの、すなわち妹に対する愛)からであった。

実際の我々の生活においても、各種の才能を持ちながら、その芽が出ることなく、或いは才能に溺れ自滅して、その才能をつぶしてしまう、という人も沢山いただろう。

もし、愛を学んで、愛と才能を持って社会と関係していたら、その才能を存分に発揮できていたかもしれない。そんな教訓的な暗示も、このエルサの話から読み取れるだろう。

いや、才能を生かすことだけに限らず、生きていく、という上で、愛を学ぶ、愛に目覚める、ということは、とても大事な、もしかしたら人類の至上命題と言っても良いくらいのことであるとも思う。

マレフィセント2014年07月13日

さいたま新都心のMOVIXに「マレフィセント」を観に行ってきた。

お恥ずかしながら、僕はアンジェリーナジョリーの主演映画を見たことがなかったのであるが、この一作だけを見た印象でも、すごくハマっている役なのではないか?という印象だった。

そして何といっても、スターウォーズファンなら、マレフィセントとダースベーダーを重ね合わせずには、いられなかっただろうと思う。
なぜ人はダークサイドに落ちていくか?、
そして悪が常に持つ、そのやるせない哀しさ、それを覆い込む悪の奥に垣間見える母性(父性)。
オーロラ姫が、マレフィセントをゴッドマザーと呼ぶところも非常に象徴的だ。

スターウォーズにおけるダースベーダーのストーリーのモチーフを女性版にすると、こんな感じになるんだな、という気がした。

ベースは「眠れる森の美女」という童話ではあるが、それはこのモチーフを描くために持ってこられただけであって、単に「眠れる森の美女」ありきの出来には収まっておらず、眠れる森の美女のストーリーを知らずとも、ダースベーダー女性版で独立して見ても楽しめるのではないか、と思った。(それ故ストーリーの結末は童話と違います(笑))。

男性の僕から見ても、マレフィセントはかなりカッコヨク見えるが、女性から見るとどうなるのだろう?、カッコイイという印象があるのだろうか?。

ともあれ、他にもフェアリーの世界描写や、迫力ある戦闘シーンなど、見どころは満載だ。
お勧めです。

マイクレメディオス2013年08月18日

ブルースリーの主演作のブルーレイでエクストリームエディションというのが昨年発売された。

このエクストリームエディションの一番の目玉は、日本公開時の版が遂に(!)収録されたことだ。
この版は、今まで海賊版的に出回っていたけれど、とうとう公式的に発売された、ということだ。

若いファンには、馴染みが無いかもしれないが、往年のブルースリーファンにとっては、まさに待ちに待った垂涎の品だろう。

この間僕も、これを購入した。

Amazonのレビューを見ると、多くの人が泣いた(笑)、との意見を書いていたが、僕も「怒りの鉄拳」の日本題字とマイクレメディオスの、あの主題歌を聞きながら、なぜか自然に涙が出てくるのを禁じ得なかった(笑)。

僕らにとっての、ブルースリー、「怒りの鉄拳」と「道」に関しては、まがい物ではあるかもしれないが、これが、僕らにとってのブルースリーなのだ。

それにしても、こうして改めて見ると、あのマイクレメディオスの歌の影響は計り知れない大きさだったことがわかる(笑)。
僕らにとってのブルースリーの思い出は「ブルースリー:7、マイクレメディオス:3
」くらいあったんじゃないか?、とすら思っている(笑)。

シュガーマン2013年04月14日

浦和パルコにあるユナイテッドシネマに「シュガーマン~奇跡に愛された男」という映画を見に行ってきた。

2013年のアカデミー賞長編ドキュメンタリー賞の受賞作品だ。

ロドリゲスという1960年代後期にデビューした謎のミュージシャンを追ったドキュメンタリーである。

映画として絶賛されているし、僕も感動したのは勿論であったが、それ以上にロドリゲスという人物の生き方に非常に学ぶべきものを感じた。
非常に数奇で報われぬような人生を歩んでいながら、その飄々として無欲で、ミュージシャンでありながら、どこか仙人のような感じに、非常に感銘を受けた。

ロドリゲスがレコードのクレジットに自分のことを「Jesus」と称しているのが、とても象徴的だった。
先週はイースター(復活祭)であり、この時期にロドリゲスの生き方を知ることが、彼を通じての、まさにJesusからのメッセージであるかのようだ。

詳細はこちらを↓
http://www.sugarman.jp/

ロドリゲスのCDは輸入盤で出ています。↓
http://www.amazon.co.jp/Sixto-Rodriguez/e/B002SVNE3Y/ref=ntt_art_dp_pel_1

奥にあるものを見る【晴】2005年11月27日

 スターウォーズエピソード3のDVDが配達された。
 僕の狭い汚い部屋で見ると、最後のアナキンVSオビワンのバトルなど、まぶしすぎて部屋からパワーがふきこぼれそうだ。
 特典DVDやルーカス達の解説なども収録されており楽しみ満載である。

 ところで昨今の耐震強度偽装問題。なんかダークサイドな香がプンプンと匂うが、気のせいだろうか。
 真の首謀者は表面化せず、都合の良いものが犠牲とはなっていないか?。
 マスコミが報道制限していないか?。
 いろいろと疑念が募る。

 重要な事件でもマスコミの匙加減で小さいフォントで記事を書いてしまえば、僕らは大した事件じゃ無いのだ、という錯覚に落とされる。
 勿論逆もありで、大した事件じゃないのにフォントが大きいと重大な事件に思えてしまう。
 フォントの大小が情報価値の最大の判断基準になってしまうのは危険だ。

 テレビ新聞などからの情報はよっぽど注意して受け入れないといけない。

 確かにいろんな状況・立場で、いろんなしがらみがあり、誰もが必死に生きているのは、確かだろう。
 であるから尚更、いろんな局面で、真実が覆い隠されないよう願いたいものだ。

 エピソード3でも描かれていたテーマであるが、我々弱い立場にいるものは、こうした政治・社会・経済が混乱した状況だと、これを終結する強烈な力を持ったカリスマに全てを委ねがちになる。歴史がそれを語って来た。

 しかしそれは非常に危険なことだ。
 やはり我々が真に自立した精神を持って、政治や経済に関っていくことが大切なのだろう。
 であるから情報も上手に取捨選択し、その奥にある真実を見極める力をつけることも必要になってくるのかもしれない。

 あーあ、こういう時何でも見通す真実を見通す、霊視能力とか透視能力あればイイのになあ・・・。
 透視かあ・・・。
 オレならまず真っ先に女湯へ行くなあ・・・。温泉地でもイイか。イイなあ温泉地・・・。
 透視しまくるなあ・・・。

 ん?、オマエみたいなのの存在が、まず社会の腐敗を招く要因だって?。
 ・・・ですよねえ・・・。

注意が逸れた時は要注意【晴】2005年11月12日

 スターウォーズ新シリーズで見られるシスのダークサイドな手口は、こんな感じだ。

 1.クローン大戦を引き起こし、一見分離主義の反乱と見せかけ、実は自分の最大の敵であるジェダイを疲弊させ一掃し、銀河を乗っとる意図があった。仲間と思われていた分離主義者は後で抹殺されてしまう。
 2.シス卿ダース・シディアスすなわちパルパティーンは、自分の野望を遂げる為に、有能なアナキンスカイウォーカーと親しくなり弱みを握り、自分の側へ引き込む。

 これは言い換えるとこうなる。
 1注意を他の一見重要そうな事象に向けさせ、一番重要なことから目をそらさせる。あるいは虚偽の情報を流し、状況を混乱させる。
 2.自分が利用したい者を気づかないように安心させ親しげに近づく。気づいたらもう抜け出せなくなっている。
 
 アメリカのドラマ「24」でも1や2が非常に良く出てくる。
 これらは映画やドラマに限らず、我々の日常でも良く見かけられるダークサイドなやり口だ。

 僕らも時々日常の雑事に追われ大切なことを見失うことは良くある。
 マスコミで流布しているようなニュースも、かつて第二次大戦でそうだったように、本当は国民の注意を逸らす為で、実は裏で何か別なことが画策されていても全くおかしくは無い状況だ。

 ところで人類にとって目を曇らされ忘れている大切なこととは何だろうか?。ダークサイドによって目を曇らされ見失う大切なこととは何だろうか?。

 それはいろいろあるかもしれないが、僕が思うに大きなことは、愛の大切さに気づくこと、そして人間にとって霊性が欠かせないものだと認識すること、ではないかと思う。

 誰しも愛の暖かさや、愛によってトラブルが解決したりする体験を、それが愛だとは気づかなくても一度はしたことがあるはずだ。それを、その時の感覚を僕らは良く思い出さなくてはいけない。

 ダークサイドにとって一番困ることは何か?。
 それは我々が愛のパワーを持つことだろう。物質的価値観が崩壊し、権力や富では無い、違う価値観に人間が向かうこと、愛を基本法とすることに人類が向かうこと、それがダークサイドにとっては対極なことだろう。

 敢えて、こういう言い方をするならば、大多数の平凡で善良な人々が愛のパワーを身につければ、世界全体の波動は上がるはずだ。
 そうして今とは違ったレベル、空気で人々は問題に対処することができるはずだ。

 逆に言えば、大多数の平凡で善良な人々が愛を忘れ霊を忘れ物質的なことだけに価値観を見いだしていくならば、物質的な力を支配しているダークサイドにとっては思うツボなのである。
 大多数の平凡で善良な人々が物質的な波動に波長を下げてくれれば、ダークサイドにとっては一番操作し易く味方に付け易く、これほど力強いものは無い。
 であるから、ダークサイドにとって一番困ることは、大多数の平凡で善良な人々が愛のパワーで波動を高めることなのである。

 だから我々が愛を忘れ霊を忘れ、物質的な価値に身を捧げるような方向に行っているとしたら、それはダークサイドに向かっていると、自分で気づいて、いつでも軌道修正した方が良いだろう。

 ただスターウォーズにおいてアナキンスカイウォーカーがそうだったように、情愛深い人ほどダークサイドには堕ち易い。
 ダークサイドは、そこに付込んでくる。というか付込み易いからだ。
 ここで必要になってくるのが、精神的な鍛錬なのである。

暗黒面から光明面へ【晴】2005年11月11日

 スターウォーズエピソード3のDVDの発売が近づいてきた。早くまた見てえ。
 ファンサイトなどでは、スターウォーズ旧作・新作のどちらが良いか等の議論が活発になっているようだ。

 僕はといえば、勿論どちらがどうとは言えない。
 新旧で大きく違うと思うところは、旧作が割と映画らしく、テーマも親子愛・友情・恋愛など幅広く扱っているのに対し、新作は「ダークサイド」を非常に重点的に扱っているところだ。

 僕は考えるに、これはルーカスが意識するしないに関らず、現代の人類において、未だダークサイドな局面に遭遇する場面が多く生じ得ること、それから現代人がダークサイド、闇を、あまり理解しておらず、闇に堕ちているのに気づいていないことに対する、ある意味忠告というか、そうした流れがあるのでは無いかと思う。

 別にこれは脅しとか引きずり下ろそうというわけでは無く、こう考えると良いと思う。
 ちなみにこっからは、あくまでも僕の空想タイムですけど。

 例えば大学の卒業シーズン間近になると、卒論を提出するのを義務づけられる。
 ダークサイドとの対面は、人類の進化における、ある意味”卒論”の如き意味合いがあるのでは無いか。

 では人類は、一体何から卒業するのか?。
 卒業時期は、2012年とも言われているし、2000年だったとの説もある。
 今回のこの大学期は、15世紀くらいに始まったとも言われている。
 まあ今から何年が、その時期だといっても、それでやるべきことに変わりはないので、その年自体が人間にとって最重要なことでは無い。

 今期は人間がある意味、物質的な考え、物質主義、科学万能主義に支配された時代だった。
 古代の人間は、現代に比べ霊性ともっと密接にあった。
 それは「当たり前」であり、言い替えれば「無意識」であった。言ってしまえばそれを本当に理解していたのでは無かったかもしれない。
 もしそのまま行っていたら、人間は真の進化ができなかったかもしれない。
 人間は現代において、それを一旦自分達から切り離した。霊性とは幻想だ、幻覚だ、という考えをするように至った。

 光の中だけにいると、光が何者なのか、その重大さにはなかなか気づかないものだ。
 闇があって、初めて光の存在を意識的に見るようになる。
 それと同じように、霊性を一旦捨て去り物質主義の中に没入することで、初めて霊性を意識的に振り返るようになる。
 これからの時代、今度は人類は霊性を「意識的」に考えるようになる。
 霊性と切り離された物質主義からの卒業。
 それが現代だったのだ。

 かつて無意識で当たり前だった光の存在を、人類は今度は意識的に見つめるようになる。かつてはまだ獲得されていなかった個我の自由を携えて。
 光を当然のこと無意識のこととしてでは無く「意識的」に考えるようになる。
 ダークサイドは、その為の準備、今までの時代の象徴的な事象だった・・・、と、僕は考えているのである。
 であるから「ダークサイド」に対する人類の対応が、言わば卒論のテーマのようなもの、とも言えるのでは無いか・・・、と、僕は考えているのである。

 コブクロの「ここにしか咲かない花」という僕も大変好きな楽曲があり、この曲はまさにブライトサイドからの語りかけのような歌だと感じている。
 その歌詞にこんな一節が出てくる。
 ”闇が教えてくれるのは、そこにある悲しみだけじゃない。うつむく顔を上げて振返れば、そこにある光に気づくだろう”。
 この曲を、晴れた日に瑠璃色の海を前にして、うつむいていた顔を上げて空を見ながら聴いてみれば、光からのメッセージが受け取れるかもしれない。

ダークサイドの意義【曇後雨】2005年10月15日

 今日テレビ朝日「オーラの泉SP」を見ていたら、花田勝氏が現役時代試合の時に相手の「気」のようなものを感じて戦っていたという話をしていた。
 面白いと思ったのが、これがスターウォーズのジェダイの戦い方に似ているのである。

 スターウォーズシリーズの映画だけからは、ジェダイの戦い方についての情報は、あまりわからないのだけれど、エピソード1〜6以外のストーリーを扱ったクローン大戦関係などのノベルズを読むと、その辺の情報が良く出ている。
 かいつまんで言うならば、習練を積んだジェダイはフォースの流れを把握し、その意志によって、その場の状況に合わせながら戦う。

 こうした知識を踏まえて映画を見ると、ジェダイが武術的な技術の他にフォースを使って戦いをしている為、割と見た目に簡単に動いているように見えても、それが力量のあるジェダイの戦法だとわかるシーンなどもあるのである。

 スターウォーズシリーズは勿論フィクションだ。だが実際に花田氏のように「気」を感じとることのできる人にとっては、もはや「フォース」は空想のお話では無くなってきそうだ、

 それにしても霊能者というのは、今の時代においては、つくづく大変だな、とは思う。
 たぶん、ああいう人達が関る事象、関らなければならない事象は、勿論良いこともあるだろうけど、ほとんどがダークサイドな事象だろう。
 悩み相談、カウンセリング、とは言ってみれば、ダークサイドとの付き合い方を処方することに他ならない。
 よほどの霊力と健全な精神が無いと、難しいだろう。

 ところで最近つくづく思うのは、スターウォーズで出てくる、このダークサイドなパワー、というものは、概念では無く実際本当にあるんじゃねえか?ということだ。
 僕も冗談や便宜上、このダークサイドという概念を良く使う。今も使った。
 ダークサイドの事象とは、まあ簡単に言ってみれば地球上での認識で言う「悪」の事象だ。
 僕は身の回りのダークサイドは、自分の心が現象界に投影したものだ、と思って来た。そう思うよう心がけて来た。
 確かに、その側面はある。
 自分自身のダークサイドに気づく、これも大切な修行の一つだ。

 ただ最近、それとは違い、自分のコントロールできるところを越えた、他者のパワーとしてのダークサイドな事象のパワーも、どうも本当にあるような気がしてならなくなってきた。
 自分のイメージでは、ここまで起こらないだろう、というような妨害や中傷や非難といったものが別な力として既に存在しているような、更にはいつもの自分なら絶対しないのに、まるで魔が差したように思いがけない行動をしてしまったりする時、などというものが、少なからずあった。
 いわゆる邪悪な力の妨害だ。

 これらのダークサイドな事象も根本的原因は、自分の波動が引き寄せたということもある。
 ただ言えるのは、言い訳がましく聞こえるかもしれぬが、自分から「ダークサイドに吸引されてしまった」のだ。自分が産み出したのでは無く「近づいていって」しまったのだ。
 ということは、やっぱりダークサイドなパワーがあった、と認めた方が話は早いのだ。

 ダークサイドパワーは、それが簡単に増幅するのが厄介だ。怒りは怒りを産み、トラブルはトラブルを産み、まさにスターウォーズでヨーダが言っていたように、ダークサイドは、陥り易く誘惑的なのである。

 ここからは又僕の空想話として聞いてほしい。
 ダークサイドパワーは、もうあるものと仮定しよう
 じゃあ、一体ダークサイドパワーは、なぜ存在するのか?。
 なぜここまで僕らを苦しめるのか?。

 そのヒントが、又々スターウォーズで申し訳ないが、あの映画には、隠されている。
 それは「フォースにバランスを取る為」、ということだ。
 僕らの実際現世的に言うならば、精神的思想的肉体的、といったあらゆる側面で、バランスを取ることのできる健全な魂を作る為、ということになる。

 表面的には、ダークサイドパワーは、僕らを堕落させたり麻痺させたり混乱に陥れたりして、進化の動きを止める。
 しかしそれは、更に大きな宇宙的観点から見ると、我々にバランスの概念を授ける為の一つの試練、だと考えられるのでは無いだろうか?。

 勿論ダークサイドに関らないで生きていければ、それは理想だし結構なことだ。
 でもスターウォーズのルークのように、どうしても運命的にダークサイドと向き合わなければならない人も少なからずいるはずだ。
 そうなった場合、ダークサイドの誘惑に勝つ云々よりも、更に大事なのは、自分に健全なバランスを取り戻すこと、それが宇宙の真意だと感じることが必要な気もする。

 こうも言えるだろう。
 ダークサイドに打ちひしがれて希望も気力も失った人は、その逆の肯定的なパワーを身につけ幸せに生き、バランスを取り戻す義務があると。
 逆も真なりで、自分だけの進化を追求したり、あるいは力を過信したり幸せに感謝を忘れ傲慢になったり、向上心を忘れ形式主義になったりすれば、エピソード3のジェダイのように、シスから強烈なしっぺ返しを被るかもしれないので要注意だ。

 この「フォースにバランスを取る」というテーマは、あの映画が扱っているテーマの中でも、かなり深い部類に属すると思う。だから簡単に説明するのも難しく誤解も生ずるかもしれない。考察し出せば果ては古の「イエス・キリストの受肉」なんてなところまで話が及ぶ可能性すらある。
 そんなとこまで、この日記ごときでは書くつもりは無いし、書けもしないので、ともあれ僕なりに簡潔にまとめるならば、現世的な事象に左右され自分を見失わない為のバランス、今まで経験したことのない世界と今までの自分の世界とのギャップを埋めるバランス等等、そうしたあらゆる局面でのバランスを取り戻すことが、それがダークサイドパワーの現れる意味の一つなのでは無いか?、そう思う今日この頃なのである。
 この話、まだまだ続けられそうだな・・・。

地球システム【晴後曇】2005年08月03日

 地球というところは、どうも反面教師が沢山生息しているからこそ、その点が地球の長所になっているらしい。
 ウジャウジャ反面教師がいるからこそ、そこで魂の勉強が多様にできるらしい。
 じゃあ、もう反面教師じゃ無くて、教師じゃんっ!、などと突っ込むところではナイ。

 とある本に面白いことが書いてあった。
 だからこそ地球は完璧なのだと。
 つまり地球というのは魂の勉強をするのに最も適した星らしいのだ。
 地球は不完全なように見えて、実はそのシステムは完璧なのだ。

 人間、完全な状態で愛を発露するのは、結構簡単なのだ。
 調子の良い時は、人に優しくなれるものだ。
 ところが、エネルギーがダウンしている時、プレッシャーがかかっている時、こんな不完全な状態では愛などとても実践できない。
 だがそんな時こそ実は愛を実践できるようになることが大切なのだ。それが完全体への道なのだ。
 地球では、それが充分ジックリ勉強できる。嫌と言うほど学べる。キツイ中での愛の実践を堪能できる。
 愛について深く学びたい、愛を完璧に発露できるにはどうしたらいい?、どこに行ったらいい?。
 そう、汝よ、地球に行け、なのだ。You will go to the earth system.なのだ。
 だから地球システムは完璧なのだ。

 ちょっと話が逸れる方向に行っちゃうけど、スターウォーズとか見てると「惑星〜」のことを英語で「〜system」と言ってるのがわかる。「惑星ダゴバ」は「ダゴバシステム」だ。
 良く言ったもんだ。
 確かに「地球システム」はいろいろいろんな意味で良くできたシステムだ。

 「スターウォーズ・帝国の逆襲」では、霊体になったオビ・ワン・ケノービが、主人公ルーク・スカイウォーカーに、ジェダイとしての修行を更に深める為、ジェダイマスター・ヨーダのいる「惑星ダゴバ」に行けというシーンがある。
 「You will go to the Dagobah system〜There You will learn from Yoda・・・」

 地球にいる我々は修行を深化させる為にダゴバに行く必要は無い。
 現在いる、この場所、今自分自身がいる場所、ずっと今まで住み慣れて来たこの場所こそが、最も優れた修行の場なのだ。自分の回りの人間こそが最も優れた愛のマスターなのだ。
 我々にとってのマスター・ヨーダがいる惑星ダゴバは、そう、この地球なのである。

魅力的なキャラ勢揃い【晴】2005年08月02日

 スターウォーズは改めて見ると、やっぱり優れた劇的要素が一杯あるね。
 サブキャラがイイというのも、その一つ。
 一応主人公はルークやアナキンのスカイウォーカーファミリーということだけど、サブキャラは、と言えば、ハン・ソロ、ヨーダ、オビワン、パルパティーン、パドメ、まあダースヴェイダーも旧3部作ではサブキャラということにすると、まあサブキャラの面々の強烈なこと。
 ほとんど主役級。
 とすると、いわゆる事実上のサブキャラは、C3PO、R2D2、チューバッカ、ドゥークー、ランドー、ジャンゴ・フェット・・・、あれ?、これでもまだ強烈だな。
 ここまでくると、「仁義なき戦い」や「7人の侍」のような群像劇の様相も呈するな。
 ヨーダなんて、パペットもしくはCGだよ、それでもスゴイ人気。
 大した映画だ、全く。