思いは重い? ― 2010年07月04日
こないだ職場の人と日本のワールドカップの試合の話題になって非常に示唆に富んだことを聞いた。
その方が曰く「日本は期待していないと非常に結果が良く、期待するとダメになる」というものであった。
僕自身はテレビを見ていなかったので、ネットのニュースで結果を知っただけだったのであるが、確かに結果だけを見ると、一般大衆の大方の意見は、職場の方と同じ意見を持つ人が多いことだっただろう。
実はこの現象は、スピリチュアルな世界では良く取り上げられる問題で、この宇宙のエネルギーの、ある側面の真理を捉えているのでは無いか?と僕は思ったのである。
簡単に言ってしまえば、ピュアなエネルギーはサポートになりこそすれ、そうで無いエネルギーはプレッシャーとなって相手に伝わる、ということだ。
そうで無いエネルギー、というと仏教で言う執着心と言ったようなものとか、追い詰められた不安とか、まあいわゆるネガティブと言われるような思いであろう。
良く「強く思っているのに願いがかなわない」ということがある。
これはまさに「願い」がネガティブなエネルギーとなって発せられる為、自分の意図とドンドン逆の方向、破壊の方向に事が進んでしまうことによる。
これは自分自身に当てはめてみればすぐわかる。
自分の行おうとしていることに、プレッシャーや過度の期待やネガティブな思いをかけられれば、誰でも気分が重くなってくる。
人の思いというのは、相手に直接会わなくても届いているものらしい。
だから我々は自分の発する思いの質には、本当は十分注意を払った方がいいのだ。まさに「思い」は「重い」のである(笑)。
サッカーなどにおいて、このネガティブなエネルギーの暴走を回避するには、サポートする側が非常にクリアでピュアなエネルギーを発してやるか、もしくは受ける選手自身が、そうした他人のエネルギーに左右されない強靱な精神力を養うかだろう。
逆に考えると、この両方が揃ったら、それはもう、もの凄いパワーになることは想像に難くない。
日本人は、他の諸外国人に比べ、非常に他人のエネルギーの影響を受けやすいと思う。
他人のエネルギーの影響を受けやすい、ということはすなわち空気が読めるということでもある。
欠点としては、その他人の気分の影響を受けやすいので、イイ時はイイが、悪いと共倒れになってしまったりする。
イイ意味悪い意味両方で、日本人の特徴なのだろう。
ちなみに「クリアでピュアなエネルギー」というのは「愛」のことだ。
思いは繋がっている、という話は「パーソナル・パワー―光の存在オリン、人間関係とテレパシーを語る」 サネヤ・ロウマン (マホロバアート刊)という本に詳しい。興味があれば一読をお勧めします。
その方が曰く「日本は期待していないと非常に結果が良く、期待するとダメになる」というものであった。
僕自身はテレビを見ていなかったので、ネットのニュースで結果を知っただけだったのであるが、確かに結果だけを見ると、一般大衆の大方の意見は、職場の方と同じ意見を持つ人が多いことだっただろう。
実はこの現象は、スピリチュアルな世界では良く取り上げられる問題で、この宇宙のエネルギーの、ある側面の真理を捉えているのでは無いか?と僕は思ったのである。
簡単に言ってしまえば、ピュアなエネルギーはサポートになりこそすれ、そうで無いエネルギーはプレッシャーとなって相手に伝わる、ということだ。
そうで無いエネルギー、というと仏教で言う執着心と言ったようなものとか、追い詰められた不安とか、まあいわゆるネガティブと言われるような思いであろう。
良く「強く思っているのに願いがかなわない」ということがある。
これはまさに「願い」がネガティブなエネルギーとなって発せられる為、自分の意図とドンドン逆の方向、破壊の方向に事が進んでしまうことによる。
これは自分自身に当てはめてみればすぐわかる。
自分の行おうとしていることに、プレッシャーや過度の期待やネガティブな思いをかけられれば、誰でも気分が重くなってくる。
人の思いというのは、相手に直接会わなくても届いているものらしい。
だから我々は自分の発する思いの質には、本当は十分注意を払った方がいいのだ。まさに「思い」は「重い」のである(笑)。
サッカーなどにおいて、このネガティブなエネルギーの暴走を回避するには、サポートする側が非常にクリアでピュアなエネルギーを発してやるか、もしくは受ける選手自身が、そうした他人のエネルギーに左右されない強靱な精神力を養うかだろう。
逆に考えると、この両方が揃ったら、それはもう、もの凄いパワーになることは想像に難くない。
日本人は、他の諸外国人に比べ、非常に他人のエネルギーの影響を受けやすいと思う。
他人のエネルギーの影響を受けやすい、ということはすなわち空気が読めるということでもある。
欠点としては、その他人の気分の影響を受けやすいので、イイ時はイイが、悪いと共倒れになってしまったりする。
イイ意味悪い意味両方で、日本人の特徴なのだろう。
ちなみに「クリアでピュアなエネルギー」というのは「愛」のことだ。
思いは繋がっている、という話は「パーソナル・パワー―光の存在オリン、人間関係とテレパシーを語る」 サネヤ・ロウマン (マホロバアート刊)という本に詳しい。興味があれば一読をお勧めします。
判断に迷う ― 2010年07月12日
今朝は日食だったようだ。
ここのところ日食近辺になると、なぜか掃除したり部屋の中を整理したい衝動に駆られる。
昨年今年はなぜか日食近辺で選挙もあり、政治の世界でもいろんな整理が求められているようだ。
今回の日食も僕は、また不要なものを少し整理した。
ものを捨てる時、なかなか捨てるかどうかの判断に迷うもんだ。
良く三年何も触らないものは捨てて良いというが、僕の場合それが当てはまらないから困る。
今までも10年以上何も触れていなかった本を突然読み出したりしたこともあった。
だから今は単純に長さではなく、実際にそのものを手に取った時の感じで判断するようにしている。
手に取ったとき、嫌な感じや落ち込んだり憂鬱になったり、今風の言い回しで言う「テンションが下がる」ようなモノだったら、迷わず捨てるようにしている。
だから「テンションが下が」れば買って三年以内でも迷わず捨てる。
今回も結構捨てたつもりだが、なかなかどうして、まだまだ在庫が入っている押し入れは窮屈そうだ。
確かに三年以内の区切りで見切りをつけてしまえば、僕の部屋は何も無かったかの如くガラッと空いてしまうだろう。
今そこまでやるかどうか?、そうするとせっかく楽しみにしているDVDなんかも見ずに終わってしまう。
それはあまりにも悲しい。本当悩んでしまうところだ(苦笑)。
やれやれ、まだまだ諸々発展途上のようだ(苦笑)。
ここのところ日食近辺になると、なぜか掃除したり部屋の中を整理したい衝動に駆られる。
昨年今年はなぜか日食近辺で選挙もあり、政治の世界でもいろんな整理が求められているようだ。
今回の日食も僕は、また不要なものを少し整理した。
ものを捨てる時、なかなか捨てるかどうかの判断に迷うもんだ。
良く三年何も触らないものは捨てて良いというが、僕の場合それが当てはまらないから困る。
今までも10年以上何も触れていなかった本を突然読み出したりしたこともあった。
だから今は単純に長さではなく、実際にそのものを手に取った時の感じで判断するようにしている。
手に取ったとき、嫌な感じや落ち込んだり憂鬱になったり、今風の言い回しで言う「テンションが下がる」ようなモノだったら、迷わず捨てるようにしている。
だから「テンションが下が」れば買って三年以内でも迷わず捨てる。
今回も結構捨てたつもりだが、なかなかどうして、まだまだ在庫が入っている押し入れは窮屈そうだ。
確かに三年以内の区切りで見切りをつけてしまえば、僕の部屋は何も無かったかの如くガラッと空いてしまうだろう。
今そこまでやるかどうか?、そうするとせっかく楽しみにしているDVDなんかも見ずに終わってしまう。
それはあまりにも悲しい。本当悩んでしまうところだ(苦笑)。
やれやれ、まだまだ諸々発展途上のようだ(苦笑)。
カレー ― 2010年07月21日
どのテレビ番組だったか忘れたが、レトルトカレーの「カレー曜日」がおいしいと言ってたので、最近良く食べてる。
確かにレトルトカレーにしては、レトルトカレーっぽくなく普通の手作りカレーの感じで味わえるとこがイイ。
ところで僕は健康に気を遣うために時々玄米を食することがある。
ただ健康には良い玄米でも、その難点としては、その味、ということになるだろう。
白米の、あの甘くクセの無いまろやかな味に慣れてしまった僕ら現代人には、玄米についてはたまには良いが、常食となるとやや抵抗が生じる可能性がある。
そんな時、この玄米に「カレー曜日かけちゃえっ!」なんてなこと言いながら、実際かけて食べると、これが結構いける。
玄米の苦みと「カレー曜日」が旨くマッチして、玄米も抵抗無く食べられる。
ただせっかく健康に気を遣った玄米食にカレーをかけてしまうことは健康面では本末転倒と言われても仕方無いが(苦笑)。
カレーで思い出したが、KANの曲で「カレーライス」という曲がある。
たぶん夫婦のことを歌っていると思うが、喧嘩した夫婦が、翌日冷えて少なくなったカレーを又作り直すように、やっていこうよ、みたいな感じの歌だ。
たぶん「夫婦の愛」を「カレー」に例えているような感じだ。
僕はまだ恥ずかしながら独身だが、この歌を聞くとなぜか涙腺のスイッチがゆるみがちになってしまう。たぶん結婚生活へのあこがれもあるのかもしれない。
カレーは翌日冷めちゃうけど、又暖め直して、無くなったなら、また作れば、それでいいじゃん・・・
この感じが泣ける。
夫婦の愛も、カレーみたいに冷めたら暖め直して、無くなったら、又作れば、それでいい。それでずっと続いていけばいい。
確かにレトルトカレーにしては、レトルトカレーっぽくなく普通の手作りカレーの感じで味わえるとこがイイ。
ところで僕は健康に気を遣うために時々玄米を食することがある。
ただ健康には良い玄米でも、その難点としては、その味、ということになるだろう。
白米の、あの甘くクセの無いまろやかな味に慣れてしまった僕ら現代人には、玄米についてはたまには良いが、常食となるとやや抵抗が生じる可能性がある。
そんな時、この玄米に「カレー曜日かけちゃえっ!」なんてなこと言いながら、実際かけて食べると、これが結構いける。
玄米の苦みと「カレー曜日」が旨くマッチして、玄米も抵抗無く食べられる。
ただせっかく健康に気を遣った玄米食にカレーをかけてしまうことは健康面では本末転倒と言われても仕方無いが(苦笑)。
カレーで思い出したが、KANの曲で「カレーライス」という曲がある。
たぶん夫婦のことを歌っていると思うが、喧嘩した夫婦が、翌日冷えて少なくなったカレーを又作り直すように、やっていこうよ、みたいな感じの歌だ。
たぶん「夫婦の愛」を「カレー」に例えているような感じだ。
僕はまだ恥ずかしながら独身だが、この歌を聞くとなぜか涙腺のスイッチがゆるみがちになってしまう。たぶん結婚生活へのあこがれもあるのかもしれない。
カレーは翌日冷めちゃうけど、又暖め直して、無くなったなら、また作れば、それでいいじゃん・・・
この感じが泣ける。
夫婦の愛も、カレーみたいに冷めたら暖め直して、無くなったら、又作れば、それでいい。それでずっと続いていけばいい。
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