暗渠 ― 2011年08月07日
暗渠(あんきょ)とは、川や用水路に蓋をして閉水路になっているものを言う。
東京には、この暗渠が沢山ある。
僕は昔上京する前までは、東京は「関東平野の一部」と習ったので、平べったい土地かと思っていた。
実際住んでみると全然そんなことはなかった(笑)。
坂は無数にあるし、〜山という地名も沢山あり、要するに台地地形なのである。
その台地地形を更に複雑にしたと思われるのが、遙か昔は東京にも数多く流れていたと思われる川である。
今は、ほとんどが暗渠となり、その面影は坂の存在から類推することぐらいしかできなくなっている。
僕のような後から東京に移り住んだ輩などは、もし川が暗渠にならずに残っていたら、さぞかし東京も風情のある景観が残ったのではないか?と、残念に思う時がある。
僕の住む地域の近くにある大塚の南口に、かつて繁華街として栄えた三業通りというのがある。
その三業通りにも、かつて川があったようだ。
もしかしたら京都みたいな風情を醸し出せたのかもな?と思う。
しかしこうしたノスタルジー風の願望も、後から東京に移り住んだ輩のエゴの現れにすぎないようだ(笑)。
そもそもなぜ暗渠になってしまったか?ということを調べていけばわかることであるが、暗渠になる前は、水難事故や雨量が激しい時の川の氾濫による洪水・浸水など、地域の住民の頭痛の種になるような問題が多発していた場所が数多くあったようだ。
であるから、暗渠は完成した当時、地域住民にも歓迎されていたものが数多くあったようだ。
よくよく思い出してみると、実は僕の故郷の実家のすぐ近くにも、かつて小さな川が流れており、僕がまだ上京する前には、既に暗渠になっていた。
暗渠になる以前には、毎年夏や台風の季節くらいになると、一年に1〜2回は必ず、家が浸水していた。
暗渠になってからは浸水が無くなって大変有り難い想いをしたことを覚えている。
川に落ちたこともある(笑)。
当時中学生くらいだったろうか、兄弟の面倒をみていて、三輪車か小さい自転車に乗って手本を見せようとしていたのが勢い余って川に突っ込んでしまった。
運悪く、丁度近くの保育園の保母のお姉様方の帰宅途中に遭遇してしまい、川から這い上がってきた化け物然とした姿を悲鳴混じりに見られてしまい、大変恥ずかしい想いをしたのを今でも覚えている(笑)。
後からきたものにとっては、一見否定的に見えるものでも、それが出てきた当初の思想は当時の人々の善意によって成されたものは多い。
それが時代の移り変わりや我々の意識の変化と共に、状況にそぐわなくなって不要のモノに見えてしまうこともある。
暗渠に限らず他にも数多く、そうしたものがある。
中には暗渠と違い、実際に不要になってしまっているものもあるだろう。
しかし必ず当初は善意によって始められたはずだ。
もし捨てるにしても、そうした当初の善意を、少し思いめぐらせて見るのも、捨てるモノに対する良い供養になるに違いない。
東京には、この暗渠が沢山ある。
僕は昔上京する前までは、東京は「関東平野の一部」と習ったので、平べったい土地かと思っていた。
実際住んでみると全然そんなことはなかった(笑)。
坂は無数にあるし、〜山という地名も沢山あり、要するに台地地形なのである。
その台地地形を更に複雑にしたと思われるのが、遙か昔は東京にも数多く流れていたと思われる川である。
今は、ほとんどが暗渠となり、その面影は坂の存在から類推することぐらいしかできなくなっている。
僕のような後から東京に移り住んだ輩などは、もし川が暗渠にならずに残っていたら、さぞかし東京も風情のある景観が残ったのではないか?と、残念に思う時がある。
僕の住む地域の近くにある大塚の南口に、かつて繁華街として栄えた三業通りというのがある。
その三業通りにも、かつて川があったようだ。
もしかしたら京都みたいな風情を醸し出せたのかもな?と思う。
しかしこうしたノスタルジー風の願望も、後から東京に移り住んだ輩のエゴの現れにすぎないようだ(笑)。
そもそもなぜ暗渠になってしまったか?ということを調べていけばわかることであるが、暗渠になる前は、水難事故や雨量が激しい時の川の氾濫による洪水・浸水など、地域の住民の頭痛の種になるような問題が多発していた場所が数多くあったようだ。
であるから、暗渠は完成した当時、地域住民にも歓迎されていたものが数多くあったようだ。
よくよく思い出してみると、実は僕の故郷の実家のすぐ近くにも、かつて小さな川が流れており、僕がまだ上京する前には、既に暗渠になっていた。
暗渠になる以前には、毎年夏や台風の季節くらいになると、一年に1〜2回は必ず、家が浸水していた。
暗渠になってからは浸水が無くなって大変有り難い想いをしたことを覚えている。
川に落ちたこともある(笑)。
当時中学生くらいだったろうか、兄弟の面倒をみていて、三輪車か小さい自転車に乗って手本を見せようとしていたのが勢い余って川に突っ込んでしまった。
運悪く、丁度近くの保育園の保母のお姉様方の帰宅途中に遭遇してしまい、川から這い上がってきた化け物然とした姿を悲鳴混じりに見られてしまい、大変恥ずかしい想いをしたのを今でも覚えている(笑)。
後からきたものにとっては、一見否定的に見えるものでも、それが出てきた当初の思想は当時の人々の善意によって成されたものは多い。
それが時代の移り変わりや我々の意識の変化と共に、状況にそぐわなくなって不要のモノに見えてしまうこともある。
暗渠に限らず他にも数多く、そうしたものがある。
中には暗渠と違い、実際に不要になってしまっているものもあるだろう。
しかし必ず当初は善意によって始められたはずだ。
もし捨てるにしても、そうした当初の善意を、少し思いめぐらせて見るのも、捨てるモノに対する良い供養になるに違いない。
批判 ― 2011年08月13日
他人への批判は、なるべくしないよう心がけている。
自分も相手も嫌な思いになるし、そもそも批判が的外れだったりする確率も多いからだ。
ただちょっと最近又「批判」に対する認識が少し変わってきた。
というのも、例えば通販サイトのアマゾンなどで商品を購入する際、必ず星の少ない意見を読んで決めている自分に気づいたからだ。
口コミの非常に多い作品などは、ともすれば批判的意見しか見ていなかったする(笑)。
自分の中で「批判的意見の中にこそ真実が見える」という思いが、どうもあったようだ。
批判的意見の中にもいろいろある。
単なる嫉妬や中傷もあれば、認識不足による誤解もある。勿論有識者の正論もある。
単なる嫉妬や中傷が多いと、結構「新しい優れたモノ」の可能性が高い。
様々な批判の奥を上手に見ることができれば、やはりその作品の真実が見えてくる気がする。
陰陽のバランスというのが、やはりここでも現れるのだなあ、と思った。
批判を上手に読み取るポイントとしては、自分はちょっと離れて客観的に冷静に見ることだろう。
だからといって、自分自身はやっぱり批判するのは後味が悪いので嫌だ(笑)。
強いて言えば、愛のある批判ができたらイイな、とは思う。
自分も相手も嫌な思いになるし、そもそも批判が的外れだったりする確率も多いからだ。
ただちょっと最近又「批判」に対する認識が少し変わってきた。
というのも、例えば通販サイトのアマゾンなどで商品を購入する際、必ず星の少ない意見を読んで決めている自分に気づいたからだ。
口コミの非常に多い作品などは、ともすれば批判的意見しか見ていなかったする(笑)。
自分の中で「批判的意見の中にこそ真実が見える」という思いが、どうもあったようだ。
批判的意見の中にもいろいろある。
単なる嫉妬や中傷もあれば、認識不足による誤解もある。勿論有識者の正論もある。
単なる嫉妬や中傷が多いと、結構「新しい優れたモノ」の可能性が高い。
様々な批判の奥を上手に見ることができれば、やはりその作品の真実が見えてくる気がする。
陰陽のバランスというのが、やはりここでも現れるのだなあ、と思った。
批判を上手に読み取るポイントとしては、自分はちょっと離れて客観的に冷静に見ることだろう。
だからといって、自分自身はやっぱり批判するのは後味が悪いので嫌だ(笑)。
強いて言えば、愛のある批判ができたらイイな、とは思う。
ふと佐原へ ― 2011年08月16日
お盆休みの時期は毎年大抵は帰省している。
今年は経費節減の為、帰省は断念した。
変わりに日帰りで、普段行かない東京近郊の場所に行ってみよう、とふと思い立ち、千葉県の佐原(さわら)という所に行って来た。
北総の小江戸と呼ばれ、たまに古い町並みがテレビなど紹介されたりしている街で、日本地図(大日本沿海輿地全図)の伊能忠敬の縁の地でもある。
行きには千葉交通の高速バスを使った。
浜松町駅から出ており銚子まで行ける路線である。
料金は佐原駅北口まで1700円。
予約は不要で料金後払い、ということで、手軽に乗れていつも空いているのかな、と思った。
確かに浜松町を出たときはガラガラだったが、高速に乗る手前のもう一つの停留所である、東京駅前から一気に人が乗ってきて、ほぼ満席状態になった。浜松町から乗って正解であった。
最初箱崎辺りが渋滞気味ではあったものの、それを過ぎると快調になり、ほぼ予定通り佐原駅北口に到着。
行き当たりばったりな感じで来てしまったので、とりあえず駅で何らかの情報を得ることにする。
観光案内所のような所があったので、パンフレットを探していると、そこのオジサンが声をかけてくれた。
市街の便利マップみたいなのが有料であるというので30円で購入。
ちなみに、その30円はマップに載っている市内の食堂に行った時に、マップを見せると30円割引になり、実質キャッシュバックできるシステムになっている。
ちなみに後でもう一度述べるが、敢えて僕はキャッシュバックしなかった(笑)。
オジサンにしばし説明を聞き、道などを教えて貰う。
オジサンに写真見せてもらい教えて貰ってわかったことで、実は市内の伊能忠敬の旧宅など文化財を含め市内にある古い町並みが、先の東日本大震災によって被災してしまい、屋根などが崩れ落ちたりしてしまったものがあるそうだ。
文化財は国の所有なので、手続き等の関係で修理が遅れ、最近ようやく着手できたようだ。
他にも川自体が隆起したり、液状化があったり、今回大震災の爪痕が、こんな所まで!、と切ない思いになった。
街のいたる所には「復興」の文字が書かれたポスターがあり、そこには「観光客の皆さんが訪れてくれるだけで癒しになります」といった地元の方々の切なる願いが書かれていた。
僕はメインストリートでもある小野川沿いの古い町並みを歩き、そして、裏道をグルグルと散策して回った。
小野川に観光客を乗せた船が通る。水郷巡りもできるようだ。
街の印象は、僕の行ったところで言うと、津和野、もしくは川のある感じは九州の柳川に雰囲気は似ている気はする。
ちっちゃい津和野、ちっちゃい柳川、というところであろうか。
至る所に文豪の碑などがあって、文化人にも愛されていた街であるようだ。
伊能忠敬の旧宅は前述のとおりに修復中で、すぐ正面にある記念館も月曜で休館日であった(笑)。
ちなみに伊能忠敬は50歳になってから測量術を学び、56歳から全国測量の旅に出る。
50過ぎてからの人生の方が、その後に大きくクローズアップされている。
僕も来年50を迎えるので、伊能師匠・伊能兄さんのガッツにあやかりたいもんだ(笑)。
ちなみに、この佐原は伊能忠敬の故郷では無く、忠敬が18歳の時に婿養子に入った伊能家が存する街であるらしい。マスオさん目線で言うと、磯野家がある桜新町、ということになろうか(笑)。
メインストリートを一回りした後、マップにも載っていた「東洋軒」という洋食店で昼食をとることにした。大正25年創業の老舗だそうだ。
見知らぬ街の古い食堂などに一人で飛び込みで入るのは、ちょっと勇気がいるものだ。
こういう時はテレビ東京でやってる「モヤモヤさまぁ〜ず2」のさまぁ〜ずのノリを思い出しながら、モヤモヤ好奇心前面で突入する。
入ってみると、まだ僕以外は老夫婦の客が一組で、混んではいなかった。
ただ店員が出てこない。まさにモヤっている(笑)。
5分くらいしたらようやく厨房に人影が見えたので声をかけて、ランチと一人打ち上げ用の生ビールを注文した。
ランチは新鮮なお新香がついて、メインは一口カツエビフライ、唐揚げなどの揚げ物にミニハンバーグと出汁巻き卵、サラダがつく。
ちなみに全品にコーヒー付き。
揚げ物はオイシイのは勿論のこと、お新香などがちゃんとしていて老舗感があり満足であった。
900円+生ビール500円で1400円。
「東洋軒」もマップに記載されているので30円割引が出来たのであるが、実はこの店、外からみたときに、屋根にビニールシートがかかっているのが見えた。震災で屋根が破損したらしい。
少しでも復興支援にと、敢えてマップ割引はしないでおいた。
それなのに(笑)、お勘定を払う時に、最初900円、とこちらの想定外の料金を言われ、思わず聞き返してしまった。生ビールを勘定に入れるのを忘れていたようだ。せっかくこっちが割引不要にしてやってるのに、お人好しすぎるやろっ!!、とツッコミたいところであったが、勿論1400円全額を支払って店を出た。
その後、もう一回り街を巡って、一応復興支援の為にと地酒も購入しておいた。
実は最近酒は控えているので、今日はビールも飲んでしまって酒酒と健康維持に反する流れになってしまった。
でもここは復興支援の方が大切!、という大義名分がある(笑)。
ともあれやはり、その地元に何らかのお金を落としていくのが、一番支援にはなるようだ。
正直な感想を言うと、街自体は実際のところは震災前から既に衰退の傾向があったように見受ける。
こうした街に特徴なのは、若者の姿や若者の集まる場所が余り見受けられない、ということだ。
古い街だと若者が安心していられる場所が少なく、若者が寄りつかなくなる傾向になりがちである。
ただ若者が集まるような施設を作ると、今度は風紀が乱れたり、文化施設と相容れない、などの問題が起こる。理想的な共存は難しい所だ。
こういう点は、京都、鎌倉などの街や、僕の住んでる近くの老人の原宿巣鴨などの街を見習って、佐原にも復興してもらいたいもんだ。
帰りはルートを変えて電車で帰ってきた。
佐原から成田まではJRで、空いていたし、景色は結構広々とした田園地帯をのんびり走っていく感じで非常に良かった。
この辺は小さい山が多く千葉の特徴的な景色だと思えるが、古代の東京も、こんな感じだったのでは無いだろうか?、とふとそんな思いがよぎった。
その後は、そのままJRで常磐線に入るというルートもあって非常に迷ったが、特急に乗るため成田からは京成線にシフトした。
成田空港からの帰省客で混雑の懸念があったものの、思ったより混まずに1時間程で無事日暮里に到着することができた。
やはり近郊でも普段訪れない地を訪れるのは精神的にも良いものだ。
帰宅後も、すっかり千葉感・佐原感に満たされていた休日であった。
今年は経費節減の為、帰省は断念した。
変わりに日帰りで、普段行かない東京近郊の場所に行ってみよう、とふと思い立ち、千葉県の佐原(さわら)という所に行って来た。
北総の小江戸と呼ばれ、たまに古い町並みがテレビなど紹介されたりしている街で、日本地図(大日本沿海輿地全図)の伊能忠敬の縁の地でもある。
行きには千葉交通の高速バスを使った。
浜松町駅から出ており銚子まで行ける路線である。
料金は佐原駅北口まで1700円。
予約は不要で料金後払い、ということで、手軽に乗れていつも空いているのかな、と思った。
確かに浜松町を出たときはガラガラだったが、高速に乗る手前のもう一つの停留所である、東京駅前から一気に人が乗ってきて、ほぼ満席状態になった。浜松町から乗って正解であった。
最初箱崎辺りが渋滞気味ではあったものの、それを過ぎると快調になり、ほぼ予定通り佐原駅北口に到着。
行き当たりばったりな感じで来てしまったので、とりあえず駅で何らかの情報を得ることにする。
観光案内所のような所があったので、パンフレットを探していると、そこのオジサンが声をかけてくれた。
市街の便利マップみたいなのが有料であるというので30円で購入。
ちなみに、その30円はマップに載っている市内の食堂に行った時に、マップを見せると30円割引になり、実質キャッシュバックできるシステムになっている。
ちなみに後でもう一度述べるが、敢えて僕はキャッシュバックしなかった(笑)。
オジサンにしばし説明を聞き、道などを教えて貰う。
オジサンに写真見せてもらい教えて貰ってわかったことで、実は市内の伊能忠敬の旧宅など文化財を含め市内にある古い町並みが、先の東日本大震災によって被災してしまい、屋根などが崩れ落ちたりしてしまったものがあるそうだ。
文化財は国の所有なので、手続き等の関係で修理が遅れ、最近ようやく着手できたようだ。
他にも川自体が隆起したり、液状化があったり、今回大震災の爪痕が、こんな所まで!、と切ない思いになった。
街のいたる所には「復興」の文字が書かれたポスターがあり、そこには「観光客の皆さんが訪れてくれるだけで癒しになります」といった地元の方々の切なる願いが書かれていた。
僕はメインストリートでもある小野川沿いの古い町並みを歩き、そして、裏道をグルグルと散策して回った。
小野川に観光客を乗せた船が通る。水郷巡りもできるようだ。
街の印象は、僕の行ったところで言うと、津和野、もしくは川のある感じは九州の柳川に雰囲気は似ている気はする。
ちっちゃい津和野、ちっちゃい柳川、というところであろうか。
至る所に文豪の碑などがあって、文化人にも愛されていた街であるようだ。
伊能忠敬の旧宅は前述のとおりに修復中で、すぐ正面にある記念館も月曜で休館日であった(笑)。
ちなみに伊能忠敬は50歳になってから測量術を学び、56歳から全国測量の旅に出る。
50過ぎてからの人生の方が、その後に大きくクローズアップされている。
僕も来年50を迎えるので、伊能師匠・伊能兄さんのガッツにあやかりたいもんだ(笑)。
ちなみに、この佐原は伊能忠敬の故郷では無く、忠敬が18歳の時に婿養子に入った伊能家が存する街であるらしい。マスオさん目線で言うと、磯野家がある桜新町、ということになろうか(笑)。
メインストリートを一回りした後、マップにも載っていた「東洋軒」という洋食店で昼食をとることにした。大正25年創業の老舗だそうだ。
見知らぬ街の古い食堂などに一人で飛び込みで入るのは、ちょっと勇気がいるものだ。
こういう時はテレビ東京でやってる「モヤモヤさまぁ〜ず2」のさまぁ〜ずのノリを思い出しながら、モヤモヤ好奇心前面で突入する。
入ってみると、まだ僕以外は老夫婦の客が一組で、混んではいなかった。
ただ店員が出てこない。まさにモヤっている(笑)。
5分くらいしたらようやく厨房に人影が見えたので声をかけて、ランチと一人打ち上げ用の生ビールを注文した。
ランチは新鮮なお新香がついて、メインは一口カツエビフライ、唐揚げなどの揚げ物にミニハンバーグと出汁巻き卵、サラダがつく。
ちなみに全品にコーヒー付き。
揚げ物はオイシイのは勿論のこと、お新香などがちゃんとしていて老舗感があり満足であった。
900円+生ビール500円で1400円。
「東洋軒」もマップに記載されているので30円割引が出来たのであるが、実はこの店、外からみたときに、屋根にビニールシートがかかっているのが見えた。震災で屋根が破損したらしい。
少しでも復興支援にと、敢えてマップ割引はしないでおいた。
それなのに(笑)、お勘定を払う時に、最初900円、とこちらの想定外の料金を言われ、思わず聞き返してしまった。生ビールを勘定に入れるのを忘れていたようだ。せっかくこっちが割引不要にしてやってるのに、お人好しすぎるやろっ!!、とツッコミたいところであったが、勿論1400円全額を支払って店を出た。
その後、もう一回り街を巡って、一応復興支援の為にと地酒も購入しておいた。
実は最近酒は控えているので、今日はビールも飲んでしまって酒酒と健康維持に反する流れになってしまった。
でもここは復興支援の方が大切!、という大義名分がある(笑)。
ともあれやはり、その地元に何らかのお金を落としていくのが、一番支援にはなるようだ。
正直な感想を言うと、街自体は実際のところは震災前から既に衰退の傾向があったように見受ける。
こうした街に特徴なのは、若者の姿や若者の集まる場所が余り見受けられない、ということだ。
古い街だと若者が安心していられる場所が少なく、若者が寄りつかなくなる傾向になりがちである。
ただ若者が集まるような施設を作ると、今度は風紀が乱れたり、文化施設と相容れない、などの問題が起こる。理想的な共存は難しい所だ。
こういう点は、京都、鎌倉などの街や、僕の住んでる近くの老人の原宿巣鴨などの街を見習って、佐原にも復興してもらいたいもんだ。
帰りはルートを変えて電車で帰ってきた。
佐原から成田まではJRで、空いていたし、景色は結構広々とした田園地帯をのんびり走っていく感じで非常に良かった。
この辺は小さい山が多く千葉の特徴的な景色だと思えるが、古代の東京も、こんな感じだったのでは無いだろうか?、とふとそんな思いがよぎった。
その後は、そのままJRで常磐線に入るというルートもあって非常に迷ったが、特急に乗るため成田からは京成線にシフトした。
成田空港からの帰省客で混雑の懸念があったものの、思ったより混まずに1時間程で無事日暮里に到着することができた。
やはり近郊でも普段訪れない地を訪れるのは精神的にも良いものだ。
帰宅後も、すっかり千葉感・佐原感に満たされていた休日であった。
負のスパイラル ― 2011年08月20日
スパイラルは螺旋(らせん)という意味で、「負のスパイラル」は螺旋が負の方向に渦を巻くこと、要するに「悪循環」の意で使われる。
以前テレ朝の「さまぁ〜ずさまぁ〜ず」で、大竹が、アンタッチャブルのザキヤマ(山崎)と待ち合わせをした際に、ザキヤマが大遅刻をしたにもかかわらず、全く悪びれず、むしろ遅刻して何がいけないんですか?的な態度すらとってたのをネタにしていた回があった。
その中で、早く出ていれば巻き込まれずに済んだのにザキヤマが遅れたために巻き込まれた大渋滞でザキヤマが発したのが「出た!、負のスパイラル」というセリフだった、ということだ。それが非常にウケたので、それ以来気に入って使っている。
人生において大なり小なり「負のスパイラル」に陥ってしまっている状況は良くある。
「負のスパイラル」は、占星術的なバイオリズム、すなわち運気に左右されて引き起こされているように見えがちだ。
確かにトリガー(引き金)は、そうしたバイオリズムかもしれない。
しかし「負のスパイラル」にエネルギーを注いでいるのは、他ならぬ自分自身であることが多い。
「負のスパイラル」の渦中においては「なぜ自分だけこんな目に遭うのだ?!」とか「またこんな状態になりやがった!」とか、怒りや嘆き失望や落胆、といった負のエネルギーが、ごく自然に流れ出てくる。
「負のスパイラル」の大好物は、まさに我々のこの「負のエネルギー」である。
バイオリズムによって、負のトリガーを引かれた際に、そこへ火に油を注ぐように、「負のエネルギー」を注ぎ込むと、「負のスパイラル」が増幅する。
そう考えると「負のスパイラル」を増大させない為には「負のエネルギー」を注がない、ということがわかってくる。
トリガー自体は、運命に組み込まれていたりするので、避けられないこともある。
負のトリガーが引かれた時に、それを増幅するかどうか、すなわちスパイラルに負のエネルギーを与えるかどうかは、我々の選択に委ねられている。
映画スターウォーズのエピソード6最後のクライマックスのシーンで、主人公のルークスカイウォーカーがダースベーダーとの最後の戦いで、怒りに任せて戦いを続けることこそ、まさにダークサイドに陥る道であり、戦い自体が皇帝ダースシディアスの罠だと気づいたルークは、ジェダイの命とも言うべきライトセーバーを投げ捨て、ダースベーダーとの戦いを放棄する。
「Never.I will never turn to the dark side. I'm jedi(絶対に、絶対に僕はダークサイドには堕ちない。僕はジェダイだ).」
まさにルークが「負のスパイラル」を断ち切った瞬間だった。
「負のスパイラル」がやってきた時は、いつもこのシーンを思い出すようにしている。
「僕はジェダイだ。だから「負のスパイラル」には堕ちない。これはダークサイドが僕に、ダークサイドに堕ちるよう罠を仕掛け誘惑をしているのだ」。子供っぽいようだと思われてしまうかもしれぬが(笑)、こう思うようにしている。
これが意外と役に立つ(笑)。
「負のスパイラル」が始まった時、すぐに「負のエネルギー」をルークがライトセーバーを投げ捨てたように捨てることがポイントだ。
ただ、ここで一つ重要な点があって、それはモチベーションの問題である。
「負のスパイラル」をどうしても断ち切りたい!、という強いモチベーションを作ることは結構大事な気がする。
僕の場合、自分をジェダイという好きな映画のキャラクターに見立てることで、「負のスパイラル」を断ち切ると、まさにジェダイ然とした精神の安定を得られる、だから断ち切る、というモチベーションを作っている。これがあると無いとでは「負のスパイラル」に当たっての心構えが大きく違ってくる。
”自分は「負のスパイラル」に巻き込まれて、それにエネルギーを使い果たし、日々漫然と過ごしている場合では無い。スパイラルを断ち切って、一段上に行くんだ!”、という「ほんのちょっとのプライド」も必要かもしれない。
以前テレ朝の「さまぁ〜ずさまぁ〜ず」で、大竹が、アンタッチャブルのザキヤマ(山崎)と待ち合わせをした際に、ザキヤマが大遅刻をしたにもかかわらず、全く悪びれず、むしろ遅刻して何がいけないんですか?的な態度すらとってたのをネタにしていた回があった。
その中で、早く出ていれば巻き込まれずに済んだのにザキヤマが遅れたために巻き込まれた大渋滞でザキヤマが発したのが「出た!、負のスパイラル」というセリフだった、ということだ。それが非常にウケたので、それ以来気に入って使っている。
人生において大なり小なり「負のスパイラル」に陥ってしまっている状況は良くある。
「負のスパイラル」は、占星術的なバイオリズム、すなわち運気に左右されて引き起こされているように見えがちだ。
確かにトリガー(引き金)は、そうしたバイオリズムかもしれない。
しかし「負のスパイラル」にエネルギーを注いでいるのは、他ならぬ自分自身であることが多い。
「負のスパイラル」の渦中においては「なぜ自分だけこんな目に遭うのだ?!」とか「またこんな状態になりやがった!」とか、怒りや嘆き失望や落胆、といった負のエネルギーが、ごく自然に流れ出てくる。
「負のスパイラル」の大好物は、まさに我々のこの「負のエネルギー」である。
バイオリズムによって、負のトリガーを引かれた際に、そこへ火に油を注ぐように、「負のエネルギー」を注ぎ込むと、「負のスパイラル」が増幅する。
そう考えると「負のスパイラル」を増大させない為には「負のエネルギー」を注がない、ということがわかってくる。
トリガー自体は、運命に組み込まれていたりするので、避けられないこともある。
負のトリガーが引かれた時に、それを増幅するかどうか、すなわちスパイラルに負のエネルギーを与えるかどうかは、我々の選択に委ねられている。
映画スターウォーズのエピソード6最後のクライマックスのシーンで、主人公のルークスカイウォーカーがダースベーダーとの最後の戦いで、怒りに任せて戦いを続けることこそ、まさにダークサイドに陥る道であり、戦い自体が皇帝ダースシディアスの罠だと気づいたルークは、ジェダイの命とも言うべきライトセーバーを投げ捨て、ダースベーダーとの戦いを放棄する。
「Never.I will never turn to the dark side. I'm jedi(絶対に、絶対に僕はダークサイドには堕ちない。僕はジェダイだ).」
まさにルークが「負のスパイラル」を断ち切った瞬間だった。
「負のスパイラル」がやってきた時は、いつもこのシーンを思い出すようにしている。
「僕はジェダイだ。だから「負のスパイラル」には堕ちない。これはダークサイドが僕に、ダークサイドに堕ちるよう罠を仕掛け誘惑をしているのだ」。子供っぽいようだと思われてしまうかもしれぬが(笑)、こう思うようにしている。
これが意外と役に立つ(笑)。
「負のスパイラル」が始まった時、すぐに「負のエネルギー」をルークがライトセーバーを投げ捨てたように捨てることがポイントだ。
ただ、ここで一つ重要な点があって、それはモチベーションの問題である。
「負のスパイラル」をどうしても断ち切りたい!、という強いモチベーションを作ることは結構大事な気がする。
僕の場合、自分をジェダイという好きな映画のキャラクターに見立てることで、「負のスパイラル」を断ち切ると、まさにジェダイ然とした精神の安定を得られる、だから断ち切る、というモチベーションを作っている。これがあると無いとでは「負のスパイラル」に当たっての心構えが大きく違ってくる。
”自分は「負のスパイラル」に巻き込まれて、それにエネルギーを使い果たし、日々漫然と過ごしている場合では無い。スパイラルを断ち切って、一段上に行くんだ!”、という「ほんのちょっとのプライド」も必要かもしれない。
電子書籍二冊 ― 2011年08月28日
ipod-touchのアプリで電子書籍を購入した。
確かに電子書籍は、夜寝る時などに、ちょっとだけ読みたい、なんて時に結構重宝だ。
購入したのは以下の二冊。
「僕が大人になったら」佐渡 裕(さど ゆたか)PHP文庫
「被災者のメンタルケア」松本賢一 サンマーク出版
「僕が大人になったら」は紀伊国屋書店のアプリで、「被災者のメンタルケア」はサンマーク出版のアプリで購入した。
佐渡氏は今や日本クラシック界を代表する指揮者。今年あのベルリンフィルの定期公演の指揮を振っている。
佐渡氏の文章は非常に軽快で、まさに音楽でも聴いているかのようだ。
僕と年齢が近く、時代的な感性には親近感がある。
松本賢一氏は阪神大震災の被災者でもあった。
今回の東日本大震災を受けて、かつての被災の体験を元に被災者のメンタルケアを説いている。
こういった天災では確かに当事者の身になってみなければ本当のところはわからないかもしれない。
しかし、こうした松本氏の著作のようなものがあることで、被災者の心の一端を垣間見ることはできる。
そして僕らには想像力、というものがある。
想像力は、動物には無い、人間に与えられた特権である。
想像力を駆使して、他者の心中を思い図る、ということが僕ら人間にはできる。
そうした意味でも、滅多に無い経験を経た著者の貴重な体験を経た言葉は、直接の被災者では無い僕らでも非常に有益なものとなるだろう。
確かに電子書籍は、夜寝る時などに、ちょっとだけ読みたい、なんて時に結構重宝だ。
購入したのは以下の二冊。
「僕が大人になったら」佐渡 裕(さど ゆたか)PHP文庫
「被災者のメンタルケア」松本賢一 サンマーク出版
「僕が大人になったら」は紀伊国屋書店のアプリで、「被災者のメンタルケア」はサンマーク出版のアプリで購入した。
佐渡氏は今や日本クラシック界を代表する指揮者。今年あのベルリンフィルの定期公演の指揮を振っている。
佐渡氏の文章は非常に軽快で、まさに音楽でも聴いているかのようだ。
僕と年齢が近く、時代的な感性には親近感がある。
松本賢一氏は阪神大震災の被災者でもあった。
今回の東日本大震災を受けて、かつての被災の体験を元に被災者のメンタルケアを説いている。
こういった天災では確かに当事者の身になってみなければ本当のところはわからないかもしれない。
しかし、こうした松本氏の著作のようなものがあることで、被災者の心の一端を垣間見ることはできる。
そして僕らには想像力、というものがある。
想像力は、動物には無い、人間に与えられた特権である。
想像力を駆使して、他者の心中を思い図る、ということが僕ら人間にはできる。
そうした意味でも、滅多に無い経験を経た著者の貴重な体験を経た言葉は、直接の被災者では無い僕らでも非常に有益なものとなるだろう。
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