怒りへの誘惑 ― 2012年02月26日

感情を安定していく際に、やはり大きな関門は怒りの制御になるだろう。
僕も未だに、怒りの制御には苦労している。
感情の浄化とは怒りの制御ではないかと思うくらいである。

怒りを観察していくうちに、ある種の「誘惑」によって怒りが誘発されているのがあることがわかった。
「誘惑」というと色香やグルメなどの気持ちの良いものというイメージがあるが、怒りへと誘うものも多々ある。

すなわち直接的な怒り、例えば直接被害を受けたことなどに対する怒り、ではなく、たまたまその場の環境から入ってくる情報などが原因で、僕らの潜在的な怒りが触発されて出てくるケースである。

例えば一番わかりやすいのが、メディアから流れてくるニュースなどによってもたらされた怒りであろう。
ニュースの側には勿論悪気は無いだろうが、そのニュースのどこかしらに潜んでいる導火線が、僕らの怒りの爆弾に火をつけてしまうことが多々ある。

導火線の種類は人によって様々だ。
例えば何の毒も無さそうな行楽地のニュースでさえも、人によっては大いに導火線となることもあろう(笑)。

良く良く観察してみると、本当の怒りの原因は実は他にあるのである。
それが、こうした「誘惑」によってスイッチが入り、内在していた精神的問題が表面に露呈してくるのである。

感情を安定させる場合、こうした「怒りへの誘惑」から距離を置くのも一つの手だ。
気分が荒れている時、ニュースを見ない日を続けると、結構平和な状態がやってくるものだ。

ただ魂を強化するには、ある程度の「誘惑」に身を晒し、それを克服することも時には必要であろう。

「誘惑による怒り」は、怒りの原因に対する怒りでは無い。
強いて言うなら「本当の怒り」では無い。解決もできない。
であれば、怒ってもしょうがない。つまり意味が無い。
怒りは自分の回りの波動を破壊し、やがては環境も破壊する。
意味が無い怒り程、意味が無い(笑)。

しかし、それを克服していくと、その過程には非常に意味が出てくる。
例えばあるニュースに怒りを覚える。
ここで、まず、そもそもこのニュースのソースは信頼できるものなのだろうか?と考える。
もし、デマや一面的な情報しか伝えていないのであれば、デマに対して怒る必要があるのか?
という疑問が生じる。
そして仮に100%真実だったとして、ニュースの当事者の立場に、もし自分がなっていたら?と考える。その当事者と違うように振る舞えるのか?と自分に問うてみる。

こうした作業をしていくと、そこで当初の3〜4割は怒りが減じてくるだろう。

大事なのは、そのニュースの善し悪しでは無い。
つまり、この「真偽を疑う」とか「相手の立場になる」といったような、怒りを考察する上での精神的作業の過程こそが大事なのだ。
この過程を続けていくと、いつしか「ここでは怒っても意味がない」とか「この怒りは真っ当ではないな」とか「怒りの制御の芽生え」が生まれてくる。
こうした意識的なニュースの見方も、たまにはしてみてもいいかもしれない。