テトリス2008年03月24日

 最近「許す」ということについて良く考えることがある。
 どういうことが「許す」ということなのか?これはなかなか難しい。
 只、「許す」ことによって結果どうなるか?。ということはわかってきた。
 それは、そのことについて「気にならなくなる」ということだ。
 
 他の人が怒り心頭になったりスゴク気にしている事柄を、自分は全然気にならない時、その事柄を自分の方は既に「許している」ということになると言えよう。
 全然気にならない、ということは、そこには「問題が存在していない」と言える。
 許す、ことで気にならなくなり、その時点で問題自体がそこから消え去る。

 このメカニズムを考えている時、まるでその構造を彷彿させるような、とあるゲームソフトが思い浮かんだ。
 それは「テトリス」。
 すなわち
 ・落ちてくるブロックを丁度良い形にはめ込む=受け入れる=許す。
     ↓
 ・列が消える=問題が消滅する。

 降りかかる難問を全て上手に受け入れた(許した)時、問題は消滅する。
 これは実はなんとも意味深で象徴的なソフトなのかもしれない。