キャーにはならない2013年05月05日

子供の日に相応しくない話で申し訳ないが、今週のテレ朝の「さまぁ~ずさまぁ~ず」で、三村が男子便所が混んでると、たまに女子便所を使う時がある、などという話をしていた。

告白すると、実は僕も居酒屋などで、これをやってしまったことがある。

よくオバちゃん連中は、高速の男子トイレにドンドン入ってくるのを見かける。

あくまでも僕個人としては、こうしたオバちゃんを見ても、特に不快感は無く、ああ、混んでるんだ、くらいの感想くらしか無い。中には不快に思う男性もいるのだろう。


ちなみに女性は男性が、勿論見ていないところでトイレを使われる、ということを、どう思うのだろう?。
まあ、男女兼用のトイレもあるのだから、そこは、そんなにもこだわらないのだろうか?。

ところで、思い出したが、こんなことが昔あった。

新宿のカラオケ屋に行った時のことで、途中でトイレに行きたくなった。

トイレに行くと、結構オシャレな作りの綺麗なトイレだった。

でも男子用の便器が無かったので、ドア式のやつの方へ入ろうとドアを開けた。

すると、なんと女の子が、こっちを向いてちょこんと座っている。

僕は、失礼、と言ってドアを閉め、咄嗟に状況を整理する作業を開始した。
とりあえず、ここに居てはいけない人種だということが判断できたので、すぐにその空間から退出した。

良く見ると僕が駆け込んだのは女子トイレだった。
酔っぱらっていたのと、オシャレな表示で男性用と女性用の違いが良くわかりにくかったようだ。

後から冷静になると、これには僕のミスと、もう一つの偶然が重なっていたことがわかる。
すなわち、あの時の女の子が、カギを閉めないで便所に入っていた、ということである。


漫画なんかだと、いきなり男性がトイレに入ったりすれば「キャーーッ」みたいな、ことになるだろうが、実際はそんなことにはならず、どちらも恥ずかしそうにゴメンナサイ、みたいになった。
「キャーーッ」は欧米型で、日本人の多くは、ゴメンナサイ、になるのではなかろうか?。
沢山の実例を検証してみたいもんだ・・・、ん?、捕まっちゃうか(笑)。

おでんと氷2012年12月02日

先週フジのホンマでっかTVで、静岡県民はおでんとかき氷を交互に食べる、という話をして不思議がられていた。

静岡県出身の僕から言わせていただくと・・・、

確かにこれは正解です。

まあ、交互に食べる、というのは脚色しすぎとは思うけれど、確かに一緒に食べる、というのは良くあった。

これは静岡県、というか僕の田舎の焼津市などでは、そうだったのであるが、地元の駄菓子屋事情による。

かき氷などを売っている駄菓子屋では、大体おでんも一緒に売っていた。

夏休みにプールに行った帰り、かき氷と一緒に温かいおでんも一緒に食べる、というようなパターンだった。

ホンマでっかTVでは駄菓子屋と言っていたが、もっと言うと、駄菓子屋よりちょっと発展した軽食屋で、駄菓子では無く、お好み焼きや焼きそばをメインで売る店があり、そういった所でも、かき氷とおでんが必ずあった。

ところでこの話、確かに僕の少年時代、もう40年位前は、確かにそうだったけど、果たして今でもそうなのか?、とふと疑問には思う。
というのは、そうした店が今でもあるのだろうか?という疑問があるからだ。
少なくとも僕の思いつく店は、とうの昔に店を畳んでいる。
逆に、この話が今でもそうなら、嬉しいことではある。
田舎に帰った時に久しぶりに又あの味を味わいたい、とは思う。

サバの麹漬け2012年04月22日

最近、塩麹が流行っていると聞いた。

それで思い出したのが、僕の田舎で良く見かけていた、「サバの麹漬け」である。

僕の田舎は静岡県の焼津市で、サバ以外にもマグロなどが水揚げされることでも有名である。

そんな港町に育ちながら、僕は小さい頃は魚が苦手であった(笑)。

寿司なども全然ダメだったが、あろうことか、カッパ巻きのおいしさに目覚めてから、他のネタも食べられるようになったりした(笑)。

基本的には魚は焼くと大丈夫で、刺身も大丈夫であるが、煮るとモノによってはダメなのが出てくる。
実は今でもジャコなどの小魚はまだ苦手で、光物も結構歳をいっても食べられなかったりした。

小さい頃そんな魚嫌いだった僕が、初めて物凄く魚を美味しいと感じたのが、少年期に親戚に行ったときに食べた「サバの麹漬け」であった。

「サバの麹漬け」は基本的には焼いて食べる。
サバは関東では塩焼きや味噌煮がポピュラーであるが、焼津では麹漬けもポピュラーであった。

「サバの麹漬け」は、サバに麹の独特の甘みが加わり、焼くと甘さと香ばしさが絶妙なハーモニーを醸し出す。

焼津ではスーパーでも「サバの麹漬け」は普通に販売している。
東京の店で「サバの麹漬け」を今まで見たことがなかった。
ここ数年で、静岡おでんなど、僕の小さい頃には田舎で普通にあって都会に無かったものが、東京にも出回ってくるようになった。
もしかしたら最近の塩麹のブームで「サバの麹漬け」を東京でも一般的に見られるかもしれないかな、と思っている。

Wanna Be Startin' Somethin'2009年06月30日

 マイケルジャクソンの訃報があった。これには僕も結構驚きだった。ビートルズのジョンとジョージが亡くなった時くらいのインパクトはあった。

 晩年のマイケルは正直ちょっとイメージダウンの感は否めなかったが、僕が若い頃はマイケルと言えばとにかく「カッコイイ」というイメージだった。

 僕が東京に来る前には「ロックウィズユー」という曲などがヒットして、ソロになったマイケルがジャクソン5のイメージを脱却して、格好良くなってヒットシーンに飛び出てきた感があった。
 ちょっと洒落た若者が聞く音楽くらいの感はあった。
 田原俊彦が当時のマイケルの踊りに感化されてた、というのも結構有名な話だった。

 僕が東京に出てくると、洋楽シーンはダンスミュージックが全盛で、昔で言うディスコでは、洋楽のヒットを流せば、それがそのままディスコミュージックとして、もてはやされていた。

 ホール&オーツ、アースウインド&ファイヤー、ヒューイルイス&ザニュース等々、トリには必ずボーイズタウンギャングの「君の瞳に恋してる」なんかがかかったりして大いに盛り上がっていた。
 我が道を行くといったイメージのあったビジュアル系の祖とも言えるあのデビッドボーイでさえ「レッツダンス」というダンス曲をヒットシーンに送り込み、「時代に迎合した」みたいに言われたりしたこともあった。

 そんな中、マイケルが満を持したようにヒットを立て続けに連発。
 「ビリージーン」「ビートイット」そして「スリラー」等々。
 まさに洋楽界を席巻した感があった。
 若者はこぞってマイケルの踊りを真似しようとした。全然ダンスキャラじゃ無い若者までもがムーンウォークしようとしたりした。結局ほとんど真似できなかったが。

 それから特にやはり言い古されたことではあるが、マイケルのプロモーションビデオの威力は凄かった。
 当時全く録画機材が無かった僕は、ベストヒットUSAなどの番組で流れるマイケルの映像が録画できなかったことが大変悔しかった記憶がある。

 マイケルのビデオでは、楽曲の良さやダンスなどの素晴らしさは勿論のこと、特に「スリラー」では、あのゾンビがマイケルと一緒に踊り出す、というあの発想、あの感性、あれがかなり僕らに刺激を与えてくれたような気も、今になるとする。

 さすがに最近ではマイケルの動向を気にかけたりはしなくなってしまっていたが、曲は今でも折に触れて聴いていた。
 例えばポールマッカートニーとのコラボ「セイセイセイ」「ガールイズマイン」など。
 それから、あまり名前は挙がらないが「スリラー」のアルバムのトップを飾る「Wanna Be Startin' Somethin'」。これは景気づけに結構いける。僕は個人的には一番好きな曲だ。

 マイケルジャクソンは、僕にとっては、まさに80年代のほろ苦いような切ないような学生時代の頃を象徴するアーチストだったな、と思う。

それなりの環境2008年06月22日

昨年引っ越ししてから一年が経ち、大分生活も落ち着いてきた。
 今日のようなぐずついた天気だと、引っ越す前の生活では、とっても憂鬱になった。
 そんな日に洗濯するなんて考えられない程憂鬱になった。

 しかし引っ越してから、雨の日の休日が、ほとんど苦にならなくなった。むしろ落ち着いてイイ感じくらいに思えるようになった。
 そして洗濯も全然苦にならなくなった。
 日曜の夜の洗濯なんて昔は憂鬱で、できなかったのが今は全然普通にできる。
 あの頃感じていた、憂鬱・不安・怒りは何だったんだろう?、本当に今は落ち着いていられるようになって、嬉しい限りである。

 やっぱり風水とか、住まいは、かなり精神に影響を与えることがわかった。
 自分の精神状態が、どうしても良くならない時、もし余裕があれば思い切って引っ越すのも一つの手かもしれないな、と思った。

 かように引っ越して良かったことばっかりだったが、引っ越す以前の方が良かった要素は全然なかったわけでもなかった。。
 例えば以下のような項目が思いつかれた。

 1.アパートの近隣住人に若いネエチャンが結構いた。
 現在の所は1フロア・一世帯で、隣人というのは無くて、上下が近隣住人になる。しかし若い女性の姿は微塵もない。
 引っ越す以前の稲城時代は、隣接する5部屋の内、なんと3部屋までが、若いネエチャンだった。非常に有り難い環境であった。隣の部屋のネエチャンには残念ながら(?)彼氏がいて、たまに部屋に連れ込んでいたようだが、Hのギシギシ言う音で休日目が覚めたことが何度かあったくらいだった。
 あと僕が洗濯物を干してると、以前住んでた斜め上のネエチャンが、パンティー&Tシャツ姿でベランダに出てきた時があって、あれはオイシかった。まあパンティーといっても、たぶん見せパンというやつで当人は別に見えてもイイと思っていたのかもしれない。このパンティー&Tシャツは、隣接では無い他の部屋のネエチャンでも散見したことがあった。
 もうあんな環境には、今後お目にかかれねえかもしれんな、と今は残念しきりであるが、まあ、ともあれ非常に有り難い環境であった。
 
 2.床屋が良かった。
 稲城時代10年以上通わせてもらった床屋があった。値段は高かったものの、いつも空いててすぐやってくれて、仕事もキッチリ、髪型も僕のイメージ通りにやってくれるので贔屓にしていた。ところが僕が在稲城中に、残念ながら店じまいしてしまった。
 その後1000円カットのみの店に行ったりしたが、やっぱり洗髪髭剃りがしてもらいたかったのが少々不満になっていた。
 しかし程なくして、新しい床屋ができ、そこは料金も低額で尚かつ洗髪髭剃がつく。しかもディスカウントにありがちな大ざっぱなカットはせず仕事もキッチリ。この床屋は、その後引っ越すまで、ずっと通った。

 その他にも細かいことでいろいろあった。
 例えば僕が越す一年前くらいからアパートに住み着いた、ノラ猫一族のことなど。
 あいつら今頃どうしてるだろうか?とたまに思い出すことがある。
 彼らは、僕の隣のニイチャンが餌付けをしてしまった為に、そこに住み着いてしまって、最終的には10匹くらいの大所帯になっていた。
 僕は近隣の迷惑も考え餌付けはしなかったのであるが・・・、実は隣のニイチャンが餌付けをしてしまったのは、今考えると僕に責任があったようだ。
 部屋の前に小さな庭状のスペースがあり長いことそこは草ぼうぼうの荒れ放題のスペースだった。
 僕はそこに賞味期限の切れた食べ物を、まあカラスか猫でも食べるだろ、と軽い気持ちで捨てていた時期があった。案の定その通りになってしまったのだが、そのノラ猫一族の創始者(創始猫?)が、時折僕の窓の下に顔を覗かせるようになったのを見て、あっ、こりゃマズイ!!、と思って、食べ物を捨てるのをやめた。
 その内、僕の所に来る猫を見つけ、隣のニイチャンが完全に餌付けを始めてしまった。もうそれからは、猫一族完全に居着いてしまった。もう止められなかった。
 当初ヤバイヤバイと思っていたものの、思ったより害も無く、意外に行儀のイイ猫達だったので、餌はやらずとも、時々遊んでやったりもした。
 子供も生まれ、その世代には、僕は全く餌付けをしていないし、縁が薄いと思っていたけど、たまに遊んでやったこともあってか、引越の当日、最若世代の3匹のうちの一匹がガランとしてスッカリ撤去状態になった僕の部屋に何気に入ってきてお別れというのか遊びに来てくれたりもした。
 アパートの若いネエチャン連中にも彼らは気に入られていたようで、僕としては複雑なものの、まあ、結果オーライか・・・、ということで、彼らに別れを告げてきたのであった。

 今の北区の家は、階上にあるので、猫が登って来るような環境では無い。たまにスズメなどが来て、何か物欲しげな感じで、こちらを見ているときがあるので、結構餌付けしたい欲求に駆られる時がある。
 でも今は心を鬼にして、それはしない。
 動物との共存は、やはり難しいものがある。かなりの余裕と、それなりの環境と覚悟が無いと難しい。稲城時代は隣のニイチャンが全精力(?)を注いで猫一族の面倒を見てくれていたから良かった。猫用のエサも人数分ちゃんと用意し、雨の日でも彼らがやってくると休まずエサをやっていた。僕には到底真似できなかった。

 動物達は、いろんなものを携えてやってくる。今の僕には、それを全部受け入れている余裕は無い。
 やはりそこは、もう自然におまかせである。

 今、近所のゴミ集積所に、休日のとある時間になると、夥しいカラスの集団がやってくるのが見られる。正直不気味だし、こないだは階段に彼らのフンが落ちていた。彼らが来ると、近隣のマンションの住人も一斉に洗濯物を取り込んでしまう。
 まだあまり大きな問題になっていないようではあるが、摩擦が起こるのも時間の問題だろう。
 
 僕は今まで結構精神重視で、気持ちさえあれば、何でも打破できると思っていた。
 ベースは、そういう気持ちでもイイかもしれない。
 でもやはり地球にお世話になっている限り、何かをするには、それに適した物質的な「それなりの環境」が必要なのでは、と思い始めている。
 しかも「それなりの環境」は造り上げるのに結構時間とエネルギーがかかったりする。
 「それなりの環境」があれば、それに適したことを大いにやってみるのもいいだろう。
 無い場合は根気よく忍耐強くそれを築き上げていくだけだ。

 昔はカラスは童謡にも歌われ、かわいがられていたようにも思える。
 僕が小さい頃は、それほどカラスを敵視した感じでも無かったと思う。
 それが今や都会での生活では、カラスの害に悩む人間が増えている。
 今やカラスに童謡に歌い込めるようなカワイサを感じる人は、ほとんどいないのではないか?。
 何かバランスが崩れているのだろう。ただアクションを起こせるのは引き金を握っているのは、我々人間の側だとは思う。

 僕としては、とりあえず生ゴミを出さない捨てない、適量の食物を適宜しか買わない。それを徹底させるよう努めているとこである。