陰と芸術2014年06月29日

東京は梅雨真っ只中である。
基本的に雨の日は、太陽の光を浴びられない為、何となく好きになれないという人も多いだろう。

僕自身も、あまり好きでは無いが、過去人生を振り返ってみると、雨が好きな時代もあった。

それは中学生時代で、理由は全く単純で、雨が降ると部活が休みになる、からだった。
部活は野球部で、元来運動が苦手な僕は、しょっちゅう雨を願っていた(笑)。

高校時代は、そうした部活の縛りは無くなったが、良く考えてみると、学校まで6km位の距離を、雨の日は合羽を着て自転車で通っていた。当時は何も考えていなかったからか、さほど苦になった記憶が無いのであるが、今は、もうそんな無茶できそうもない(笑)。

大学時代は新聞配達のバイトをしていたので、雨雪風は、もう大敵、勿論雨は再び僕の敵となった(笑)。

あの頃から現在まで、雨が苦手、というのを潜在的な感じで引きずっているような感じだ。

ところで、雨の歌には名曲が多いと言われている。
昔の洋楽などでも「雨にぬれても」「雨に微笑みを」とか、稀代の名曲が出てくる。

ここでふと「だからか・・・」とも思う。
つまり、雨が皆苦手だから、逆に一所懸命美化するに至って名曲が生まれてくるのかもな、ということだ。
雨が好ましいものであれば、これだけ歌にはならなかったかもしれない。

じゃあ太陽の歌で名曲は、となるとビートルズの「Here comes the sun」とか、チューブの「シーズンインザサン」とか、まあそこそこ出てくる。

ただ、上に挙げた2曲は、前者は「太陽がやっと出てきた」後者は「夏よ(太陽)いかないでくれ」と、どちらも太陽が無い状態を相対的潜在的なモチーフに使用している。
つまり、雨=陰あっての太陽=陽、という図式が見えてくる。

もしかしたら、陰の状態の方がそれを芸術化しやすいのではないか?、という結論に至るのである。
もう一つ、芸術の一つの役割として、陰を陽に転ずる、ということがあるのではないか?、という推測も出てくる。

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