老いの中の美2014年06月08日

自分の親が老いていく姿を見るのは、普通は辛く哀しいものだ。
特に病気をし、日毎に身体の様子も変化していくのであれば、尚更だろう。

しかしそれは、僕らが物質的側面のみに焦点を置いているから、哀しみが出てくるのだろう。

人間とは、心・魂・そして身体も含めた総体を言うのであれば、老いる、ということは、成熟、すなわち、今世の人間の人生の総決算でもあるだろう。

であれば、老いることの中に、心の成長、魂の成熟、が見られるのであれば、実は老いの中に、人間の美しさ、を見ることもできるのかもしれない・・・。

上記のようなことを、僕がいつも拝見させていただいているある方のブログの記事を読み、ハッと気づかされた。

僕自身も親の病気により同じような境遇を体験しているが、親の老いの中に哀しみしか見いだせていなかった自分がいた。
しかし、老いる、というのは、人間の本来が魂や心であれば、哀しみだけでは無い、もっと肯定的な側面を持つものである、ということに今更ながら気づかされた。

老いを、劣化、と見てしまうのは物質的側面のみを見ているからであって、魂から見れば「成熟」になる。

シュタイナーの本に載っていたエピソードを、思い出したが、キリストが道を歩いていると、腐った犬の死体があり、人々はそれを見て口々に嫌悪を表し忌み嫌った。しかしキリストだけは、犬の歯並びが美しい、と言ってその犬を褒めたそうだ。
これはどんなことでもその中に長所を見つけることの大切さのエピソードとして出てきた話であるが、キリストは、死体、という物質体のみならず、もっと大きなものも含めて見えていたのだろう。

山けんさんのブログ
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