僕らが目覚めれば ― 2013年05月03日
マスコミや首相などは、今憲法改正しなければならない、という「雰囲気」を醸成しているようだ。
これに乗せられては非常に危険だ。
今まであったいろんな問題は、どうなったのだろうか?。
本当に憲法改正は必要なのか?。
何かを焦っているのだろうか?。
確かに一部には憲法改正した方がいいものもあるだろう。
しかしそうした論議に乗じて、変えなくても良いものを改悪してしまうのはおかしなことである。
我々一般市民は、今まさに出されている憲法改正案をきちんと確認しておいた方がいいだろう。
まともな感性を持った人間なら、それが非常に疑問だらけのものであることがわかるだろう。
今まで政治のなすがままにされていた我々市民が、これでは今まで以上にコントロールにされてしまうのが明らかである。
次の参院選で今の流れを変えられるのは、誰なの?。
我々一般有権者でしょう(笑)。
参考
http://www.azusawa.jp/topics/topics-20130413.html
http://www.geocities.jp/le_grand_concierge2/_geo_contents_/JaakuAmerika2/Jiminkenpo2012.htm
これに乗せられては非常に危険だ。
今まであったいろんな問題は、どうなったのだろうか?。
本当に憲法改正は必要なのか?。
何かを焦っているのだろうか?。
確かに一部には憲法改正した方がいいものもあるだろう。
しかしそうした論議に乗じて、変えなくても良いものを改悪してしまうのはおかしなことである。
我々一般市民は、今まさに出されている憲法改正案をきちんと確認しておいた方がいいだろう。
まともな感性を持った人間なら、それが非常に疑問だらけのものであることがわかるだろう。
今まで政治のなすがままにされていた我々市民が、これでは今まで以上にコントロールにされてしまうのが明らかである。
次の参院選で今の流れを変えられるのは、誰なの?。
我々一般有権者でしょう(笑)。
参考
http://www.azusawa.jp/topics/topics-20130413.html
http://www.geocities.jp/le_grand_concierge2/_geo_contents_/JaakuAmerika2/Jiminkenpo2012.htm
キャーにはならない ― 2013年05月05日
子供の日に相応しくない話で申し訳ないが、今週のテレ朝の「さまぁ~ずさまぁ~ず」で、三村が男子便所が混んでると、たまに女子便所を使う時がある、などという話をしていた。
告白すると、実は僕も居酒屋などで、これをやってしまったことがある。
よくオバちゃん連中は、高速の男子トイレにドンドン入ってくるのを見かける。
あくまでも僕個人としては、こうしたオバちゃんを見ても、特に不快感は無く、ああ、混んでるんだ、くらいの感想くらしか無い。中には不快に思う男性もいるのだろう。
ちなみに女性は男性が、勿論見ていないところでトイレを使われる、ということを、どう思うのだろう?。
まあ、男女兼用のトイレもあるのだから、そこは、そんなにもこだわらないのだろうか?。
ところで、思い出したが、こんなことが昔あった。
新宿のカラオケ屋に行った時のことで、途中でトイレに行きたくなった。
トイレに行くと、結構オシャレな作りの綺麗なトイレだった。
でも男子用の便器が無かったので、ドア式のやつの方へ入ろうとドアを開けた。
すると、なんと女の子が、こっちを向いてちょこんと座っている。
僕は、失礼、と言ってドアを閉め、咄嗟に状況を整理する作業を開始した。
とりあえず、ここに居てはいけない人種だということが判断できたので、すぐにその空間から退出した。
良く見ると僕が駆け込んだのは女子トイレだった。
酔っぱらっていたのと、オシャレな表示で男性用と女性用の違いが良くわかりにくかったようだ。
後から冷静になると、これには僕のミスと、もう一つの偶然が重なっていたことがわかる。
すなわち、あの時の女の子が、カギを閉めないで便所に入っていた、ということである。
漫画なんかだと、いきなり男性がトイレに入ったりすれば「キャーーッ」みたいな、ことになるだろうが、実際はそんなことにはならず、どちらも恥ずかしそうにゴメンナサイ、みたいになった。
「キャーーッ」は欧米型で、日本人の多くは、ゴメンナサイ、になるのではなかろうか?。
沢山の実例を検証してみたいもんだ・・・、ん?、捕まっちゃうか(笑)。
告白すると、実は僕も居酒屋などで、これをやってしまったことがある。
よくオバちゃん連中は、高速の男子トイレにドンドン入ってくるのを見かける。
あくまでも僕個人としては、こうしたオバちゃんを見ても、特に不快感は無く、ああ、混んでるんだ、くらいの感想くらしか無い。中には不快に思う男性もいるのだろう。
ちなみに女性は男性が、勿論見ていないところでトイレを使われる、ということを、どう思うのだろう?。
まあ、男女兼用のトイレもあるのだから、そこは、そんなにもこだわらないのだろうか?。
ところで、思い出したが、こんなことが昔あった。
新宿のカラオケ屋に行った時のことで、途中でトイレに行きたくなった。
トイレに行くと、結構オシャレな作りの綺麗なトイレだった。
でも男子用の便器が無かったので、ドア式のやつの方へ入ろうとドアを開けた。
すると、なんと女の子が、こっちを向いてちょこんと座っている。
僕は、失礼、と言ってドアを閉め、咄嗟に状況を整理する作業を開始した。
とりあえず、ここに居てはいけない人種だということが判断できたので、すぐにその空間から退出した。
良く見ると僕が駆け込んだのは女子トイレだった。
酔っぱらっていたのと、オシャレな表示で男性用と女性用の違いが良くわかりにくかったようだ。
後から冷静になると、これには僕のミスと、もう一つの偶然が重なっていたことがわかる。
すなわち、あの時の女の子が、カギを閉めないで便所に入っていた、ということである。
漫画なんかだと、いきなり男性がトイレに入ったりすれば「キャーーッ」みたいな、ことになるだろうが、実際はそんなことにはならず、どちらも恥ずかしそうにゴメンナサイ、みたいになった。
「キャーーッ」は欧米型で、日本人の多くは、ゴメンナサイ、になるのではなかろうか?。
沢山の実例を検証してみたいもんだ・・・、ん?、捕まっちゃうか(笑)。
再び熊谷へ ― 2013年05月12日
昨年仕事で二か月程通った熊谷に来週から又通うことになった。
今度もいつまで通うかわからないが、また身辺の環境は大きく変化する。
そういえば僕の身内や友人も、3月~5月にかけての三ヶ月くらいの間で、職業の変化を体験するもの、親しい人との別離を体験するもの、引っ越して環境が変わるもの・・・など、いつになく似たような時期にそれぞれ様々な変化を体験したものが多かったようだ。
つまりは僕自身の周りの環境自体が大きく変化し、次のステージに入っていく、ということになるのだろう。
今度の熊谷は勿論最終的な安住の地では無いことは明らかなので、またしばらくすればいずれ何かしらの変化は待ち受けているのだろう。
どのような変化が来ても、いつも心のバランスをとれるように心掛けたいもんだ。
今度もいつまで通うかわからないが、また身辺の環境は大きく変化する。
そういえば僕の身内や友人も、3月~5月にかけての三ヶ月くらいの間で、職業の変化を体験するもの、親しい人との別離を体験するもの、引っ越して環境が変わるもの・・・など、いつになく似たような時期にそれぞれ様々な変化を体験したものが多かったようだ。
つまりは僕自身の周りの環境自体が大きく変化し、次のステージに入っていく、ということになるのだろう。
今度の熊谷は勿論最終的な安住の地では無いことは明らかなので、またしばらくすればいずれ何かしらの変化は待ち受けているのだろう。
どのような変化が来ても、いつも心のバランスをとれるように心掛けたいもんだ。
良い日、が変わってきた ― 2013年05月18日
一日が終わり夜寝るときなどに、その日を振り返って良い日だったか?悪い日だったのか?、と自分に問うことがある。
以前だったら、「良い日」とは、「いいことがあった日」、で「悪い日」とは「悪いことがあった日」という認識をしていた。
ここ最近僕は、この認識を変えていくようにした。
例えば仕事でトラブルがあり、早く帰るつもりが遅くなってしまった日があるとする。
こういう日は今までは「悪い日」であった。
しかし今は、こんな日は「誰かが困っている時に、それをサポートしてあげることができた。だから良いことをした。人として良い行いをした日だった。従って良い日だった」・・・などと考えるようにしている。
すなわち、その日に「何か良いことがあったか?」という観点では無く、「人として良い行いをしたか?」が「良い日」であることの最大のポイントとなる。
逆に言うと、「悪い日」というのは「悪いことがあった日」では無く「人として悪い行いをしたか?」、というのが「悪い日」になる。
ただし、何が良くて何が悪いか、などというのは人それぞれ価値観が違うので、あくまでも、僕基準の良し悪しでしかない、という弱みはある(笑)。
以前だったら、「良い日」とは、「いいことがあった日」、で「悪い日」とは「悪いことがあった日」という認識をしていた。
ここ最近僕は、この認識を変えていくようにした。
例えば仕事でトラブルがあり、早く帰るつもりが遅くなってしまった日があるとする。
こういう日は今までは「悪い日」であった。
しかし今は、こんな日は「誰かが困っている時に、それをサポートしてあげることができた。だから良いことをした。人として良い行いをした日だった。従って良い日だった」・・・などと考えるようにしている。
すなわち、その日に「何か良いことがあったか?」という観点では無く、「人として良い行いをしたか?」が「良い日」であることの最大のポイントとなる。
逆に言うと、「悪い日」というのは「悪いことがあった日」では無く「人として悪い行いをしたか?」、というのが「悪い日」になる。
ただし、何が良くて何が悪いか、などというのは人それぞれ価値観が違うので、あくまでも、僕基準の良し悪しでしかない、という弱みはある(笑)。
また楽しみに ― 2013年05月19日
4月から、「モヤモヤさまぁ~ず2」のアナが狩野アナになった。
今の所は僕個人的には、まずまずではないか、と思う。
バラエティ素人の狩野アナが、さまぁ~ずの強烈な洗礼を受けつつ、どう成長(?)していくのかが、楽しみになってきた。
昔の「モヤさま」は、単に、さまぁ~ずがモヤっとした街をイジることが楽しみだったけど、ある時期から、次第に大江アナの存在感が増してきて、大江のリアクションも楽しみに追加されてきた。
そして今は狩野の成長、が楽しみとして追加された、ということである。
今の所は僕個人的には、まずまずではないか、と思う。
バラエティ素人の狩野アナが、さまぁ~ずの強烈な洗礼を受けつつ、どう成長(?)していくのかが、楽しみになってきた。
昔の「モヤさま」は、単に、さまぁ~ずがモヤっとした街をイジることが楽しみだったけど、ある時期から、次第に大江アナの存在感が増してきて、大江のリアクションも楽しみに追加されてきた。
そして今は狩野の成長、が楽しみとして追加された、ということである。
ウイングス・オーヴァー・アメリカ ― 2013年05月25日
5/29にはポール・マッカートニーがウイングスとして発表したライヴ・アルバム「『ウイングス・オーヴァー・アメリカ(旧題:ウイングス U.S.A. ライヴ)」が<アーカイヴ・コレクション>の第五弾として発売されるらしい。
このアルバムは当時全米では1位を獲得したが、全英ではそこそこの8位だったようだ。
この事実を推測してみると、確かにイギリス人の気持ちもわからなくもない(笑)。
イギリスと言えば、やはりあの偉大なビートルズの国である。
当時ビートルズが解散し、メンバーのソロ活動が注目される中で、ポールはジョンとジョージには、やや遅れる形で、ようやくアクセルをかけてきたような時期であった。
ジョンとジョージの作品に比べると、ポールのそれは、やや商業主義に走り過ぎている、と見られていたような空気が当時あったように思う。
であるから、ライブ盤というとヒット曲を集めて作った、商業主義の極み、みたいな思われ方もあったようには思う。
それが結果的に何となく、オリジナル盤>ライブ盤という空気を作っていたようにも思う。
アメリカには、そうした空気は特に無かっただろうが、こと本国イギリスでは特にそうしたビートルズメンバーに対して神聖化ゆえの「こだわり」みたいなものが強く根付いていたのではないかとも推測する(笑)。
なぜなら、日本の少年ファンだった僕らがそうだったから(笑)。
しかし、30年以上の時を経た今、このアルバムをそうした先入観を取り払って、ある洋楽の1バンドが出した全盛期のライブ盤として素直に聴いてみると、なんて素晴らしいクオリティの高いライブ盤なんだ!と驚嘆する(笑)。
ビートルズファンにとってはポールが出した「Back in the US Live 2002」なども良かったが、やはりこのウイングス・オーヴァー・アメリカでのポールは若くて、声がまだ艶やかで張りがあっていい。
ポールは<アーカイヴ・コレクション>として、今までも「バンドオンザラン」「マッカートニー」「マッカートニーⅡ」「ラム」を出してきた。
今改めて聴くと、当時と違った感慨が湧いてくるものだ。
何しろ「ラム」などは当時酷評されていたが、今では評価が逆転していたりする。
長い年月を経ていくと、音自体は全く変わっていないのに、作品が生き物のように印象を変えていくというのは、本当に興味深く面白いことだと思う。
こうしたことがあると、良い音楽を聴いていて本当に良かったと思う。
このアルバムは当時全米では1位を獲得したが、全英ではそこそこの8位だったようだ。
この事実を推測してみると、確かにイギリス人の気持ちもわからなくもない(笑)。
イギリスと言えば、やはりあの偉大なビートルズの国である。
当時ビートルズが解散し、メンバーのソロ活動が注目される中で、ポールはジョンとジョージには、やや遅れる形で、ようやくアクセルをかけてきたような時期であった。
ジョンとジョージの作品に比べると、ポールのそれは、やや商業主義に走り過ぎている、と見られていたような空気が当時あったように思う。
であるから、ライブ盤というとヒット曲を集めて作った、商業主義の極み、みたいな思われ方もあったようには思う。
それが結果的に何となく、オリジナル盤>ライブ盤という空気を作っていたようにも思う。
アメリカには、そうした空気は特に無かっただろうが、こと本国イギリスでは特にそうしたビートルズメンバーに対して神聖化ゆえの「こだわり」みたいなものが強く根付いていたのではないかとも推測する(笑)。
なぜなら、日本の少年ファンだった僕らがそうだったから(笑)。
しかし、30年以上の時を経た今、このアルバムをそうした先入観を取り払って、ある洋楽の1バンドが出した全盛期のライブ盤として素直に聴いてみると、なんて素晴らしいクオリティの高いライブ盤なんだ!と驚嘆する(笑)。
ビートルズファンにとってはポールが出した「Back in the US Live 2002」なども良かったが、やはりこのウイングス・オーヴァー・アメリカでのポールは若くて、声がまだ艶やかで張りがあっていい。
ポールは<アーカイヴ・コレクション>として、今までも「バンドオンザラン」「マッカートニー」「マッカートニーⅡ」「ラム」を出してきた。
今改めて聴くと、当時と違った感慨が湧いてくるものだ。
何しろ「ラム」などは当時酷評されていたが、今では評価が逆転していたりする。
長い年月を経ていくと、音自体は全く変わっていないのに、作品が生き物のように印象を変えていくというのは、本当に興味深く面白いことだと思う。
こうしたことがあると、良い音楽を聴いていて本当に良かったと思う。
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