鵜呑みからの卒業を2013年04月07日

日本人は先進国の中でも群を抜いて、マスコミの情報を鵜呑みしやすいのだそうだ(笑)。
この”鵜呑み度”が低いのはイギリスで17%位のが、日本人は70%だそうだ(笑)。

これは僕の実家のことを思い出しても、確かにそうかもしれない、と納得できる。
休日などはテレビをつけっぱなしだし、外部情報は新聞とテレビからしか入ってこないから、これでは洗脳度大でも致し方ない。

これは本当に仕方ないところもあって、僕の小さい頃の田舎のような大した娯楽も無い環境において、新聞とテレビの果たしてくれた功績は計り知れない。
僕の実家に限って言えば、今でもそうだ。
これがいつのまにか、マスメディアを絶対視するような風潮を生み出していく。
ある種の「神」の位置になっていると言っても過言では無い(苦笑)。
今でも新聞とテレビが嘘をつくはずが無い、新聞とテレビが嘘をつくということを思ってもみない、という状況を作っている。

おそらく日本の多くの地域で、善良な人達が新聞とテレビを信じきって何も疑っていない、という状況が多く存在しているだろう。

今までは、それでも何とか成り立ってきたが、最近はそれではもうマズイ時代になってきた。
福島の放射線の報道もマスコミはしなくなってきた。
TPPに関しても重要な部分は報道しない。
株価が上がったと言われても、生活水準は何ら変わらない。
周りで誰も支持していない政治をしている内閣の支持率が高い。
マスメディアの報ずる世界と、我々の実生活の実態が、どんどん乖離していっている状況なのである。

これからは本当に我々一般市民はマスメディアから自立して、自分で真実を求める姿勢を身に着けた方が良さそうだ。
特に僕等のように都市部に住む人間で、しがらみも少ないような人間から、そうした自立をしていくべきなのだろう。
そしてそれを次第に田舎へも少しづつ広げていく努力をしていきたいとは思う。

シュガーマン2013年04月14日

浦和パルコにあるユナイテッドシネマに「シュガーマン~奇跡に愛された男」という映画を見に行ってきた。

2013年のアカデミー賞長編ドキュメンタリー賞の受賞作品だ。

ロドリゲスという1960年代後期にデビューした謎のミュージシャンを追ったドキュメンタリーである。

映画として絶賛されているし、僕も感動したのは勿論であったが、それ以上にロドリゲスという人物の生き方に非常に学ぶべきものを感じた。
非常に数奇で報われぬような人生を歩んでいながら、その飄々として無欲で、ミュージシャンでありながら、どこか仙人のような感じに、非常に感銘を受けた。

ロドリゲスがレコードのクレジットに自分のことを「Jesus」と称しているのが、とても象徴的だった。
先週はイースター(復活祭)であり、この時期にロドリゲスの生き方を知ることが、彼を通じての、まさにJesusからのメッセージであるかのようだ。

詳細はこちらを↓
http://www.sugarman.jp/

ロドリゲスのCDは輸入盤で出ています。↓
http://www.amazon.co.jp/Sixto-Rodriguez/e/B002SVNE3Y/ref=ntt_art_dp_pel_1

霊的とは2013年04月21日

霊的であるとは、どういうことなのか?
度々考えてみることがある。

ある種の人々のように、所謂霊界と直接コンタクトできる、ということも、勿論その要素ではあるだろう。

しかしほとんどの人類は現段階では、その能力を持ち合わせていない。

では、ほとんどの人間は霊的にはなれないのだろうか?。

そういうことでは無い、と僕は思っている。

普通の人間は様々な事柄に対する認識の仕方を変えていくことが、次第に霊的になることに繋がっていくのでは無いかと思っている。

例えばこんなことがある。
チームで仕事をした時に、一人ドンくさい人物がいて、その人物が失敗ばかり繰り返したり、チームに為にならないことばかりしでかす。
その為周りの人間は迷惑を蒙り、引いては会社に損失を与え、その仕事は失敗したりする。
まるで疫病神のようである。

ビジネス的な生産性・合理性、人間的な関わり、などから見たら、そのドンくさい人物の存在はマイナスでしか無いだろう。

しかし、こういうことも言えることが後々わかってくることもあり得る。
物質的なことや人間関係で損失しかもたらさなかった、その人物が実は、魂の成長を促す経験、という非常に貴重なものをもたらしていたことが、ずっと後になってわかる。

魂にとっては、その人物を通じて得た過酷な試練が、実は非常に良い経験だったことがわかる。

このような出来事を経ることによって、あることがわかってくる。

つまりは、ビジネス的な生産性・合理性、表面的な人間関係よりも大事なものがあり、そしてそれを育むずっと心魂に残る経験というものがあり、ドンくさい人物の存在は実は、その経験をもたらすことが目的だったのではないか?と思えてくる。
そこに我々は物質世界だけでは計り知れない何かを感じていることがわかる。
まるでシナリオをわかっている存在がいて、魂の経験のドラマを我々にもたらしていたのではないか?とすら思えてくる。

それは言葉にするのは難しいが強いて言えば、それが「高次世界の意志」とでも言うべきものであろう。

そして、この「高次世界の意志」に気づくこと、こそ、他でも無い、霊的、と言えることなのではないか?。
すなわち「高次世界」=霊界、であり、「高次世界の意志」に気づくことは、霊界の意志と繋がることを意味する。

・・・と、そのように今は考えているのである。

しかしながら、だからといって、ドンくさい人物を呼び込んで、物事を失敗させてばっかりで良い、ということでは無い。
勿論ドンくさい人物を、そのままにしておいていいというわけでも無い。

ただ「高次世界の意志」に気づいたら、物事に対しての取り得る態度などは自ずと以前とは変わってくることだろう。

蓄積する疑問・違和感2013年04月28日

今の政府は、どうもオカシナ方向に突き進んでいる、と、まともな感性を持った市民なら、感じ始めているのではないか?。

首相の発言をとってみても、暴走したのをアメリカの年下の大統領に諌められたりしており、この人は本当に一国のリーダーとしての器がある人物なのか?、そうした品格を持ち合わせた人物なのか?、一体誰が支持しているのか?、甚だ疑問符だらけになってくる。

首相の座につく人物の発言が全てそうとは言えないとは思うが、いくら美辞麗句を並べても、それが利己主義的な他意のある発言であれば、詐欺等と同じように、どうしてもグロテスクな印象しか伝わってこないものだ。
景気浮揚政策や若者向けアピール等のアメを与えた後、軍事国家建設などというムチを持って待っている、としたら、まさに我々は騙された、という印象しか持たなくなるだろう。

僕は3.11を経て多くの日本人が人間の深い部分にあるものに目覚め、これから日本ならば非常に成熟した市民が健全な民主国家を築くことができると思っていたが、どういうわけか政治は前近代的な軍国主義のような方向に逆行しようとしているかのように見える。
3.11で覚醒したはずの日本が軍事国家になって、どうするのだろうか?。

これは一体どうしたことなのだろう?と不思議で仕方が無い。
これも何かのシナリオなのだろうか?。

今本当に憲法改正している時なのだろうか?
あれだけ一杯山積みになっていた、他の問題は、どうなったの?
・・・と、次第に疑問と違和感が蓄積し、やはり今の政権には日本を任せられない感が個人的には強くなってきているが、今の市民に具体的にとることのできる手段は、次の選挙での意思表示しかない。

人間は進化すればする程、自由になると思う。
それは進化すればする程、自由に対する責任もとれるようになるからだろう。
自発的な道徳性、節度を持った市民が構築する社会なら、国家が国民を規制したり一面的な道徳観を植え付けたりする必要性は減っていくだろう。

国家が国民の自由を規制し、しばり多くしていく、というのは、そういった意味で、ある種の退化とも言えるだろう。

マスメディアなどは今はもう政府の御用メディアに成り下がった感があったが、そんな中にもまともな感性を持って良心の呵責を感じ違和感を感じている人も、きっとおそらくいると思う。
それは政権与党も同じで、TPP等の事例のように現在の流れに違和感を感じている人もいるだろう。

そうしたマスメディアや政権内部の人達をはじめとして、今まで政治の策略に気づかなかった一般の人達なども、目覚め始めて、自らの良心に従って、今どうあるべきかを真剣に考えてくれるようになれば、世界から尊敬されうる国に日本がなっていくことも、まだまだ実現不能ではないと思う。

参考
http://www.azusawa.jp/topics/topics-20130413.html
http://www.geocities.jp/le_grand_concierge2/_geo_contents_/JaakuAmerika2/Jiminkenpo2012.htm