それなりの環境2008年06月22日

昨年引っ越ししてから一年が経ち、大分生活も落ち着いてきた。
 今日のようなぐずついた天気だと、引っ越す前の生活では、とっても憂鬱になった。
 そんな日に洗濯するなんて考えられない程憂鬱になった。

 しかし引っ越してから、雨の日の休日が、ほとんど苦にならなくなった。むしろ落ち着いてイイ感じくらいに思えるようになった。
 そして洗濯も全然苦にならなくなった。
 日曜の夜の洗濯なんて昔は憂鬱で、できなかったのが今は全然普通にできる。
 あの頃感じていた、憂鬱・不安・怒りは何だったんだろう?、本当に今は落ち着いていられるようになって、嬉しい限りである。

 やっぱり風水とか、住まいは、かなり精神に影響を与えることがわかった。
 自分の精神状態が、どうしても良くならない時、もし余裕があれば思い切って引っ越すのも一つの手かもしれないな、と思った。

 かように引っ越して良かったことばっかりだったが、引っ越す以前の方が良かった要素は全然なかったわけでもなかった。。
 例えば以下のような項目が思いつかれた。

 1.アパートの近隣住人に若いネエチャンが結構いた。
 現在の所は1フロア・一世帯で、隣人というのは無くて、上下が近隣住人になる。しかし若い女性の姿は微塵もない。
 引っ越す以前の稲城時代は、隣接する5部屋の内、なんと3部屋までが、若いネエチャンだった。非常に有り難い環境であった。隣の部屋のネエチャンには残念ながら(?)彼氏がいて、たまに部屋に連れ込んでいたようだが、Hのギシギシ言う音で休日目が覚めたことが何度かあったくらいだった。
 あと僕が洗濯物を干してると、以前住んでた斜め上のネエチャンが、パンティー&Tシャツ姿でベランダに出てきた時があって、あれはオイシかった。まあパンティーといっても、たぶん見せパンというやつで当人は別に見えてもイイと思っていたのかもしれない。このパンティー&Tシャツは、隣接では無い他の部屋のネエチャンでも散見したことがあった。
 もうあんな環境には、今後お目にかかれねえかもしれんな、と今は残念しきりであるが、まあ、ともあれ非常に有り難い環境であった。
 
 2.床屋が良かった。
 稲城時代10年以上通わせてもらった床屋があった。値段は高かったものの、いつも空いててすぐやってくれて、仕事もキッチリ、髪型も僕のイメージ通りにやってくれるので贔屓にしていた。ところが僕が在稲城中に、残念ながら店じまいしてしまった。
 その後1000円カットのみの店に行ったりしたが、やっぱり洗髪髭剃りがしてもらいたかったのが少々不満になっていた。
 しかし程なくして、新しい床屋ができ、そこは料金も低額で尚かつ洗髪髭剃がつく。しかもディスカウントにありがちな大ざっぱなカットはせず仕事もキッチリ。この床屋は、その後引っ越すまで、ずっと通った。

 その他にも細かいことでいろいろあった。
 例えば僕が越す一年前くらいからアパートに住み着いた、ノラ猫一族のことなど。
 あいつら今頃どうしてるだろうか?とたまに思い出すことがある。
 彼らは、僕の隣のニイチャンが餌付けをしてしまった為に、そこに住み着いてしまって、最終的には10匹くらいの大所帯になっていた。
 僕は近隣の迷惑も考え餌付けはしなかったのであるが・・・、実は隣のニイチャンが餌付けをしてしまったのは、今考えると僕に責任があったようだ。
 部屋の前に小さな庭状のスペースがあり長いことそこは草ぼうぼうの荒れ放題のスペースだった。
 僕はそこに賞味期限の切れた食べ物を、まあカラスか猫でも食べるだろ、と軽い気持ちで捨てていた時期があった。案の定その通りになってしまったのだが、そのノラ猫一族の創始者(創始猫?)が、時折僕の窓の下に顔を覗かせるようになったのを見て、あっ、こりゃマズイ!!、と思って、食べ物を捨てるのをやめた。
 その内、僕の所に来る猫を見つけ、隣のニイチャンが完全に餌付けを始めてしまった。もうそれからは、猫一族完全に居着いてしまった。もう止められなかった。
 当初ヤバイヤバイと思っていたものの、思ったより害も無く、意外に行儀のイイ猫達だったので、餌はやらずとも、時々遊んでやったりもした。
 子供も生まれ、その世代には、僕は全く餌付けをしていないし、縁が薄いと思っていたけど、たまに遊んでやったこともあってか、引越の当日、最若世代の3匹のうちの一匹がガランとしてスッカリ撤去状態になった僕の部屋に何気に入ってきてお別れというのか遊びに来てくれたりもした。
 アパートの若いネエチャン連中にも彼らは気に入られていたようで、僕としては複雑なものの、まあ、結果オーライか・・・、ということで、彼らに別れを告げてきたのであった。

 今の北区の家は、階上にあるので、猫が登って来るような環境では無い。たまにスズメなどが来て、何か物欲しげな感じで、こちらを見ているときがあるので、結構餌付けしたい欲求に駆られる時がある。
 でも今は心を鬼にして、それはしない。
 動物との共存は、やはり難しいものがある。かなりの余裕と、それなりの環境と覚悟が無いと難しい。稲城時代は隣のニイチャンが全精力(?)を注いで猫一族の面倒を見てくれていたから良かった。猫用のエサも人数分ちゃんと用意し、雨の日でも彼らがやってくると休まずエサをやっていた。僕には到底真似できなかった。

 動物達は、いろんなものを携えてやってくる。今の僕には、それを全部受け入れている余裕は無い。
 やはりそこは、もう自然におまかせである。

 今、近所のゴミ集積所に、休日のとある時間になると、夥しいカラスの集団がやってくるのが見られる。正直不気味だし、こないだは階段に彼らのフンが落ちていた。彼らが来ると、近隣のマンションの住人も一斉に洗濯物を取り込んでしまう。
 まだあまり大きな問題になっていないようではあるが、摩擦が起こるのも時間の問題だろう。
 
 僕は今まで結構精神重視で、気持ちさえあれば、何でも打破できると思っていた。
 ベースは、そういう気持ちでもイイかもしれない。
 でもやはり地球にお世話になっている限り、何かをするには、それに適した物質的な「それなりの環境」が必要なのでは、と思い始めている。
 しかも「それなりの環境」は造り上げるのに結構時間とエネルギーがかかったりする。
 「それなりの環境」があれば、それに適したことを大いにやってみるのもいいだろう。
 無い場合は根気よく忍耐強くそれを築き上げていくだけだ。

 昔はカラスは童謡にも歌われ、かわいがられていたようにも思える。
 僕が小さい頃は、それほどカラスを敵視した感じでも無かったと思う。
 それが今や都会での生活では、カラスの害に悩む人間が増えている。
 今やカラスに童謡に歌い込めるようなカワイサを感じる人は、ほとんどいないのではないか?。
 何かバランスが崩れているのだろう。ただアクションを起こせるのは引き金を握っているのは、我々人間の側だとは思う。

 僕としては、とりあえず生ゴミを出さない捨てない、適量の食物を適宜しか買わない。それを徹底させるよう努めているとこである。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://songbook.asablo.jp/blog/2008/06/22/3591184/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。