これを発端にして2014年07月06日

先日政府は集団的自衛権の行使容認の閣議決定を行ったようだ。
今回の集団的自衛権の件では、さすがにメディアも危機を感じたのか、結構関連報道も多かったようで、そのおかげで今まで無関心だった若い世代にも政治認識が徐々に広がってきつつあるようにも感じられる。

現政権は、特定秘密保護法の成立、原発推進、大企業に有利な法人税の引き下げ、消費税増税など一部既得権益者に有利で一般大衆には不利益な政策を、国会にねじれ状態が無い内に世論は顧みず一気に決めてしまおう、ということで議論も不十分なまま決定してきているものもあるようだ。
集団的自衛権件もしかりで、すなわちここにきて政権の所謂「暴走」が特に目立つようになってきたようだ。
他にも我々の年金運用管理における株式比率の引き上げ方針など一見博打的にもみえる政策を導入しようとしたり、どうも民意とかけ離れた方向にどんどん政策が進んでいるようにも見える。

国民に不利な政策を決定する時ほど、政治家は「国民の為」などのように美辞麗句を並べるのは昔からの常套手段だ。
しかし、今の国民もそれほど馬鹿ではないので、福島原発を制御下にあると平気で公言する人物の言説を鵜呑みにして信じる人間も、もうそろそろ減ってくるのではないか。
これからは一層、今までの美辞麗句と現実の結果が、目立って乖離していくのではないだろうか?。
「政治家は、あの時ああ言ったのに、実際はそうなっていない」、そういう現象が、これからも様々な局面でもっと増えていくのだろう。
ただ政治家は、もし何かあっても、原発の時のように「不測の事態だった」などのように責任回避をする可能性はあるかもしれないが(笑)。

タイミングや行う意図の不可解な政策などは、それを実施した結果、誰に得があるのか?というのを探っていくと、黒幕がわかる可能性は高い。

集団的自衛権の容認で得をするのは、我々国民では無いだろう。別の誰か、時には外国の既得権益者であることもあるのだろう。「集団的」という言葉で、それがわかる。

一見耳あたりの良い政策も、その真相を探れば、一部の誰かが得をする為の壮大な茶番である可能性が高く、その度に国民は騙されてきており、犠牲になるのは、いつも何も知らない一般民衆だ。

他の第三者の為の政策を、国民の為だと偽って、説き伏せようとする手法は、詐欺の手口にも共通する。
昔からの詐欺の代表的な手法の一つは、無知な一般人を、とある人物が脅し脅迫し恐怖に陥れ、そこにその脅迫者から守ってやる、と善人風の用心棒が現れ、一般人は用心棒にガード料として謝礼を定期的に渡す、そして実は脅迫者と用心棒はグルだった、というパターン。
つまりは火の無い所に火を起こし、火が危険だから、火から身を守らなければいけない、その為に必要な資金を出せ、という論理。
更に問題をわざと難解にして説明し、不安感を増大させ、その後、「対応は全てをこちらに任せてください」といって主導権も金銭も一般人から奪ってしまう、という手法もある。
遥かな昔から至る所で、あの手この手でこうした詐欺的な行為が行われてきたのであるが、政治においてもそれと同じ手法をしていない、とは誰も言えないだろう。

政府が国民に説明が少ない、もしくはわかりにくく曖昧な説明をするのは、真実を全て説明してしまえば、絶対に国民は許さないであることがわかっているからだろう。
だから政府にきちんとした説明を求めても、こちらに納得いく説明は永久に出てはこないだろう(笑)。

この手の民衆の泣き寝入りは、昔から何度もあった事であるが、さすがに今のネット等が発達した社会では、今回の件を発端として、いつかどこかでこの民衆の虐げられた怒りは爆発するかもしれない(笑)。

憲法9条をノーベル平和賞に推薦する署名も10万を超えたそうだが、こうした反旗の芽は少しづつ見えてきている。
今後集団的自衛権の容認も関連法案が違憲判決されれば撤回もできるだろう。
ただ、これからも政府の「美辞麗句」には十分注意すべきだろう。その言葉には裏がある場合もあるし、裏が無く単なるその場の責任回避(無責任)、ということもあり得る。
とにかく全面的な信用は危険だ(笑)。

とりあえず2016年まで、我々が直接国政選挙で今の政府を変えることはできないが、それまでに、これからどのポイントで国民の怒りがどのような形で噴出していくのかは、ある意味楽しみだ(笑)。

最近はセクハラ野次問題とか、今までの政治家のモラルを問われる問題も出てきている。
今回の集団的自衛権の容認の問題を発端にして、今まで政治に無関心だった人が興味を持ったり、加えて政治とジャーナリズムの癒着問題なども、広く知られるようになるといいかもしれない。
それで今の日本の政治のレベルをもっと高度なものにするきっかけになってほしいもんである。

マレフィセント2014年07月13日

さいたま新都心のMOVIXに「マレフィセント」を観に行ってきた。

お恥ずかしながら、僕はアンジェリーナジョリーの主演映画を見たことがなかったのであるが、この一作だけを見た印象でも、すごくハマっている役なのではないか?という印象だった。

そして何といっても、スターウォーズファンなら、マレフィセントとダースベーダーを重ね合わせずには、いられなかっただろうと思う。
なぜ人はダークサイドに落ちていくか?、
そして悪が常に持つ、そのやるせない哀しさ、それを覆い込む悪の奥に垣間見える母性(父性)。
オーロラ姫が、マレフィセントをゴッドマザーと呼ぶところも非常に象徴的だ。

スターウォーズにおけるダースベーダーのストーリーのモチーフを女性版にすると、こんな感じになるんだな、という気がした。

ベースは「眠れる森の美女」という童話ではあるが、それはこのモチーフを描くために持ってこられただけであって、単に「眠れる森の美女」ありきの出来には収まっておらず、眠れる森の美女のストーリーを知らずとも、ダースベーダー女性版で独立して見ても楽しめるのではないか、と思った。(それ故ストーリーの結末は童話と違います(笑))。

男性の僕から見ても、マレフィセントはかなりカッコヨク見えるが、女性から見るとどうなるのだろう?、カッコイイという印象があるのだろうか?。

ともあれ、他にもフェアリーの世界描写や、迫力ある戦闘シーンなど、見どころは満載だ。
お勧めです。

なぜ存在するのか知りたい2014年07月21日

最近、ふと、なぜ音楽があるのだろう?、と思う。

音楽のコードなどを少し勉強すると、音や和音には面白い法則があることがわかる。

この音のシステム、一体誰が作り出したのだろう?、と思う。

ドミソを一緒に鳴らすと、なぜ心地よく感じるのだろう?。

このシステム、一体誰が、何のために、作り出したのだろう?、と思う。

シュタイナーの本などを読むと、少しヒントめいたことが書いてあって、ちょっと答えの一旦が垣間見える。

それは音、音階が、星、太陽系の惑星に関係している、ということだ。

今の所、関係している、ということはわかった。しかし何のために誰が?、というところまではわからない。

音楽、というのは良く思い出してみると、人生にすごく深く関わっていることが良くわかる。
そんな音楽というシステムが、地球に偶然生まれた、とは考えにくい。

やはり何らかの意図があって存在するとしか考えられない。

美しい音楽を聴くたびに、その意図とは、我々を何か天界などのような、我々の暮らす世界よりも上位の世界に導いているのではないか?、とも思う。