サンデーモーニング【曇後晴】 ― 2005年09月02日
マルーン5の「ソングス・アバウト・ジェーン」を聴いた。
1970年代の洋楽で育って来た僕には大変親しみ易い音だ。トヨタのCMでやってる「Sunday Morning」などは殊に良い。
やはりヴォーカルのアダム・レヴィンの声がイイ。
ミュージシャンとして名を残すアーチストは、必ずと言ってイイほどヴォーカルが魅力だ。
そうした者達は、歌唱力が技術的に上等というよりも、声に独特の個性があり、不思議な力が宿っている。
ジョン・レノンなどもまさにその代表だろう。
ちなみにマルーン5の「アコースティック」というアルバムも聴いたら、なんとそのアルバムのラストに「恋に落ちたら(IF I FELL)」が入っていた。ビートルズの隠れた名曲だ。マルーン5のメンバーもビートルズ好きらしい。
「恋に落ちたら(IF I FELL)」は数あるビートルズの曲の中でも、僕がとりわけ好きな楽曲なのである。
やはり感性が通ずるところがあって、僕もマルーン5を聴く流れになったに違いない。
1970年代の洋楽で育って来た僕には大変親しみ易い音だ。トヨタのCMでやってる「Sunday Morning」などは殊に良い。
やはりヴォーカルのアダム・レヴィンの声がイイ。
ミュージシャンとして名を残すアーチストは、必ずと言ってイイほどヴォーカルが魅力だ。
そうした者達は、歌唱力が技術的に上等というよりも、声に独特の個性があり、不思議な力が宿っている。
ジョン・レノンなどもまさにその代表だろう。
ちなみにマルーン5の「アコースティック」というアルバムも聴いたら、なんとそのアルバムのラストに「恋に落ちたら(IF I FELL)」が入っていた。ビートルズの隠れた名曲だ。マルーン5のメンバーもビートルズ好きらしい。
「恋に落ちたら(IF I FELL)」は数あるビートルズの曲の中でも、僕がとりわけ好きな楽曲なのである。
やはり感性が通ずるところがあって、僕もマルーン5を聴く流れになったに違いない。
時期はハズれてますけど冬ソナの・・・【晴】 ― 2005年09月03日
本当今更ながらなんだけど、こないだ「冬のソナタ」のサントラ盤を借りてきた。
これが意外にイイ。てゆうかスゴイイイ。結構ハマる。勿論ドラマ見てるのは前提で。
ドラマとCD2度オイシイ。このドラマ音楽良かったんだ、って改めて感じてる。
えらく時期はずれなのはわかってます。でもこの際正式にCD買っちゃおうかなとすら思ってる今日この頃です。これからの秋から冬にかけてに備えてな。
これが意外にイイ。てゆうかスゴイイイ。結構ハマる。勿論ドラマ見てるのは前提で。
ドラマとCD2度オイシイ。このドラマ音楽良かったんだ、って改めて感じてる。
えらく時期はずれなのはわかってます。でもこの際正式にCD買っちゃおうかなとすら思ってる今日この頃です。これからの秋から冬にかけてに備えてな。
アミ 小さな宇宙人【晴後雨】 ― 2005年09月04日
「アミ 小さな宇宙人(エンリケ・バリオス:徳間文庫)」というのが文庫になって出たので読んだ。
一見子供向けの童話風だ。
でも内容は実は非常にスピリチュアルだ。
それでもとても読みやすく、出てくる情景も難解なものは無い。
ちなみに文庫本の装丁・さし絵は、まるこちゃんの、さくらももこが描いている。
この本が最初に出版されたのは1986年だそうだ。
1986年は、僕もシルバーバーチの霊訓などを読んだりして、スピリチュアルな世界にどっぷりつかり始めた頃だ。
でもその時には、この本との出会いは無く、20年の時を経て、文庫になって日本人の僕の手元にようやくやってきたわけだ。
ただ、この本を読んでみて、20年の時間の経過の意味がわかったような気もした。
2005年の、現在、僕はこの本を読むべきだったのだろう。
きっと、スピリチュアルな事象というのは、そうであるが故、殊更タイミングが適切であるべきなのだろう。
いやいや、スピリチュアルな事象、という切り分けられたものはなく、この世の事象は全てスピリチュアル、と言うべきかもしれないな。
一見子供向けの童話風だ。
でも内容は実は非常にスピリチュアルだ。
それでもとても読みやすく、出てくる情景も難解なものは無い。
ちなみに文庫本の装丁・さし絵は、まるこちゃんの、さくらももこが描いている。
この本が最初に出版されたのは1986年だそうだ。
1986年は、僕もシルバーバーチの霊訓などを読んだりして、スピリチュアルな世界にどっぷりつかり始めた頃だ。
でもその時には、この本との出会いは無く、20年の時を経て、文庫になって日本人の僕の手元にようやくやってきたわけだ。
ただ、この本を読んでみて、20年の時間の経過の意味がわかったような気もした。
2005年の、現在、僕はこの本を読むべきだったのだろう。
きっと、スピリチュアルな事象というのは、そうであるが故、殊更タイミングが適切であるべきなのだろう。
いやいや、スピリチュアルな事象、という切り分けられたものはなく、この世の事象は全てスピリチュアル、と言うべきかもしれないな。
「My Memory」から・・・【雨】 ― 2005年09月05日
3日の日記に冬ソナのサントラ借りて来たこと書いたけど、そう言えばヨン様日本に来てたんだよな。
このシンクロは何?。
ちなみにヨン様来たから借りたわけじゃないかんね。
以前ある場所で冬ソナの劇中歌の「My Memory」という歌のイントロ聴いて、この曲を聴きたいなとは思ってた(7月14日日記)。
それでこないだコブクロのCDなんかを借りに行った帰りがけに、パッと、この冬ソナのサントラのジャケットが目に入ってきて「あっ、あれも借りなくちゃ・・・」、そう直感してから、次に行った時に、ようやく借りることになったのだ。
またこのドラマ見ろ、ゆうメッセージかなあ・・・?。
このドラマからメッセージを受け取れ、ゆう指令なんかなあ・・・?。
その前に「24」のシーズン4見るか。
ちなみに冬ソナは完全版録画してあるから、いつでも見れるしな。やっぱ冬ソナは韓国語のやつがイイよな。ヨン様の声がイイんだよな。あの低音の韓国語は意外に快感よねえ・・・。
あっ、私、そっちのケはございませんので悪しからず、オッホッホッホ。
ん?、見るのはイイけど、その前に部屋の掃除しろ?。
・・・ですよねえ。
このシンクロは何?。
ちなみにヨン様来たから借りたわけじゃないかんね。
以前ある場所で冬ソナの劇中歌の「My Memory」という歌のイントロ聴いて、この曲を聴きたいなとは思ってた(7月14日日記)。
それでこないだコブクロのCDなんかを借りに行った帰りがけに、パッと、この冬ソナのサントラのジャケットが目に入ってきて「あっ、あれも借りなくちゃ・・・」、そう直感してから、次に行った時に、ようやく借りることになったのだ。
またこのドラマ見ろ、ゆうメッセージかなあ・・・?。
このドラマからメッセージを受け取れ、ゆう指令なんかなあ・・・?。
その前に「24」のシーズン4見るか。
ちなみに冬ソナは完全版録画してあるから、いつでも見れるしな。やっぱ冬ソナは韓国語のやつがイイよな。ヨン様の声がイイんだよな。あの低音の韓国語は意外に快感よねえ・・・。
あっ、私、そっちのケはございませんので悪しからず、オッホッホッホ。
ん?、見るのはイイけど、その前に部屋の掃除しろ?。
・・・ですよねえ。
あくまでもいつも通り 【雨】 ― 2005年09月06日
台風の到来と共に、CDラジカセとMDウォークマンの両方が壊れてしまった。
尚且つ、仕事が急に忙しくなった。
内Pも9月で終わっちゃうって言うし。
つまりは僕を休養させないエネルギーを補充する間を与えないプレッシャー、というか力がかかり始めた。
何か見えない良からぬパワーを感ずるぞ、オイ。スターウォーズのヨーダの言い方にすると”The bad power I sense in this condition”
こいつは果たしてダークサイドなパワーなのか?。
プレッシャーがかかると、何もしたくなくなる。
食物に頼りがちになる。自暴自棄になる。生活も荒れる。
つまりは堕落する。
こう考えると、ダークサイドだ。
だが、この憂鬱な時期を抜けた時に、自分を取り戻してくれるようなものに出会った時の喜びは大きい。
こう考えると、あながちダークサイドとも言えない。
我々ジェダイがなすべきことは、とにかくこの状況でも、波動を下げないで平静を保ちつつ、プレッシャーの奥にある隠されたメッセージを読みとることだ(また出たぞ)。
メッセージ、メッセージ、ええと、こんな雨の時には、家で大人しくエロビデオでも見るのが一番、てことか。きっとそうだ、そうに決まってる。
ん?、明らかにメッセージ取り違えてる?。
・・・ですよねえ。
尚且つ、仕事が急に忙しくなった。
内Pも9月で終わっちゃうって言うし。
つまりは僕を休養させないエネルギーを補充する間を与えないプレッシャー、というか力がかかり始めた。
何か見えない良からぬパワーを感ずるぞ、オイ。スターウォーズのヨーダの言い方にすると”The bad power I sense in this condition”
こいつは果たしてダークサイドなパワーなのか?。
プレッシャーがかかると、何もしたくなくなる。
食物に頼りがちになる。自暴自棄になる。生活も荒れる。
つまりは堕落する。
こう考えると、ダークサイドだ。
だが、この憂鬱な時期を抜けた時に、自分を取り戻してくれるようなものに出会った時の喜びは大きい。
こう考えると、あながちダークサイドとも言えない。
我々ジェダイがなすべきことは、とにかくこの状況でも、波動を下げないで平静を保ちつつ、プレッシャーの奥にある隠されたメッセージを読みとることだ(また出たぞ)。
メッセージ、メッセージ、ええと、こんな雨の時には、家で大人しくエロビデオでも見るのが一番、てことか。きっとそうだ、そうに決まってる。
ん?、明らかにメッセージ取り違えてる?。
・・・ですよねえ。
天気にも礼節?【曇後雨】 ― 2005年09月11日
今前線が日本にかかっている。その影響か、今日は突然激しい雷雨などがあった。
一方台風15号は、中国の方に向かったようだ。
台風は前線に遠慮したのだろうか?。
僕は、その辺の低気圧関係さんの方々の事情は良くわからぬが、ああいった気象系の間でも、仁義というか礼節というか、そういったものがあるのだろうか?。
先に来ていたものを優先する、もしくは低気圧の中でも目上というか先に生まれたものに譲る、などといった体育会系的な礼儀などが存在しているのだろうか。
もしなかったとしたら前線の中に台風が割り込んできて「おらおら、ここ誰のシマじゃ思うて、商売やってけつかんとんじゃあっ!」みたいなことになりかねない。
それともあれか?。
台風は外づら物凄く荒っぽく見えるけど、実は意外に低姿勢というか内弁慶というか、自分とは別のグループの雲がいると、結構引っ込み思案というか遠慮気味になるタイプで「あっ・・・、今日本空いてないんすかあ・・・、そーすかあ・・。あっ、じゃイイっす。私中国の方でちと時間つぶすような段取りで行きますんで・・・。あっ、どうぞお構いなくう。お先に失礼しまあす」みたいなことになっているのか?。
ともあれ、どういった裏事情があったかわからぬが、とりあえず前線と台風のダブル攻撃、というのは無い形になったようで、まずは一安心な今日この頃でした、とさ。
一方台風15号は、中国の方に向かったようだ。
台風は前線に遠慮したのだろうか?。
僕は、その辺の低気圧関係さんの方々の事情は良くわからぬが、ああいった気象系の間でも、仁義というか礼節というか、そういったものがあるのだろうか?。
先に来ていたものを優先する、もしくは低気圧の中でも目上というか先に生まれたものに譲る、などといった体育会系的な礼儀などが存在しているのだろうか。
もしなかったとしたら前線の中に台風が割り込んできて「おらおら、ここ誰のシマじゃ思うて、商売やってけつかんとんじゃあっ!」みたいなことになりかねない。
それともあれか?。
台風は外づら物凄く荒っぽく見えるけど、実は意外に低姿勢というか内弁慶というか、自分とは別のグループの雲がいると、結構引っ込み思案というか遠慮気味になるタイプで「あっ・・・、今日本空いてないんすかあ・・・、そーすかあ・・。あっ、じゃイイっす。私中国の方でちと時間つぶすような段取りで行きますんで・・・。あっ、どうぞお構いなくう。お先に失礼しまあす」みたいなことになっているのか?。
ともあれ、どういった裏事情があったかわからぬが、とりあえず前線と台風のダブル攻撃、というのは無い形になったようで、まずは一安心な今日この頃でした、とさ。
鼻毛?今はどーでもいいス【晴】 ― 2005年09月16日
ここ2週間ほど自分のプライベートな時間が、ほとんど取れて無いな。
寝る前の数十分くらいだなあ。
好きな仕事で忙しいなら大歓迎だが、元々止むに止まれず仕方なくやっていることに加え、納期遅れで毎日がプレッシャーなので、疲労感は甚だしい。Tiredつまり疲れちゃう。とにかく眠い。ゆっくり寝てえ・・・。
そんな中、さっき風呂場で鏡を見たら、鼻毛が思いっきり出ていた。
鏡を見る機会はいくらでもあったのに、「鼻毛を気にする」という意識すら全く僕の生活から除外されていた。
あー、たぶん他にも除外されてる忘れた意識、一杯あるだろうなあ・・・。
あっ、古新聞出すの忘れてたっ!。あっ、洗濯っ!、あっ、!あっ、!
寝る前の数十分くらいだなあ。
好きな仕事で忙しいなら大歓迎だが、元々止むに止まれず仕方なくやっていることに加え、納期遅れで毎日がプレッシャーなので、疲労感は甚だしい。Tiredつまり疲れちゃう。とにかく眠い。ゆっくり寝てえ・・・。
そんな中、さっき風呂場で鏡を見たら、鼻毛が思いっきり出ていた。
鏡を見る機会はいくらでもあったのに、「鼻毛を気にする」という意識すら全く僕の生活から除外されていた。
あー、たぶん他にも除外されてる忘れた意識、一杯あるだろうなあ・・・。
あっ、古新聞出すの忘れてたっ!。あっ、洗濯っ!、あっ、!あっ、!
ここでしか味わえないもの【晴】 ― 2005年09月18日
相変わらず休みの無い生活が続いていた中、今日は久し振りに7時くらいで切り上げることができた。
長いトンネルの出口の小さな光が、ようやく見えたような感じだ。
明日も仕事なので真っ直ぐ帰るべきところだったのかもしれないが、少し寄り道をした。
僕の好きな散歩コースが都内にある。
有楽町線の東池袋、もしくは都電の東池袋4丁目で下車して、しばらく行くと、日の出商店街という小さな商店街がある。
その日の出商店街を経由し、大塚まで出る。大塚の三業通りを通って、巣鴨駅方面へ抜ける。
余力が有れば山の手線沿いに駒込・田端まで行く。
或いは巣鴨から中山道を下って板橋方面へ抜ける、といった、山の手北部を歩くコースである。
有楽町線で東池袋で降りた。
ウォークマンで好きな音楽を聴きながら改札を抜けた辺りから、これから好きな場所を久し振りに歩けるという開放感、嬉しさなのか、既にウルウルきてしまっていた。
ここ2週間くらい、ずっと抑圧していたものが、ドッとはじけてしまったようだ。
地下から地上へ出ると、外はクリアな夜空に月が明るく輝いていた。
大塚あたりは、何の変哲も無い、東京の極平凡な街である。いや、むしろ見方によってはうら寂しい薄汚れた印象すらあるかもしれない。
いかがわしいネオン、盛り場に散乱するゴミ、町を徘徊する酔っぱらい・・・。
普通なら僕の逆鱗に触れるような品の無い情景。
ところが、大塚では、そんな夜の街の情景が、僕の目には、何の障害も無く飛び込んでくるのである。
それどころか、僕の自由を祝福してくれるかのような楽しげな気分を醸し出している。
それもそのはず、今日は近くの天祖神社で祭りがあったようだ。
又、僕は何か呼ばれたのだろうか・・・?。
僕の中で、バラバラになっていたパズルのピースが自ずから組合わさっていくかのようなイメージが浮かんでくる。
大塚という街は、僕が学生時代に住んでいた街で、大変馴染みのある街なのである。
そんな親近感が、僕をして、良くこの地域に足を向かわせる。
この開放感の下、歩く僕の好きな平凡な街は、いつ来ても、ただただ懐かしく優しく僕を包み込んでくれる。
少し好きな場所を歩いたことで、今まで硬化しかけていた気分が、どうにかリフレッシュされたようだ。
それにしても今日歩き始めた時の、言い知れないあの感動は、どうしたことだったんだろうか?。
仕事で自分を殺していたことが、逆に感受性を育んでいたのかもしれない。
そう考えると、不毛に思えていた仕事も、体験した意義はあるのかもしれないな。
只・・・、今日はこれで又、僕は自由と音楽が更に一層、好きになってしまった。
長いトンネルの出口の小さな光が、ようやく見えたような感じだ。
明日も仕事なので真っ直ぐ帰るべきところだったのかもしれないが、少し寄り道をした。
僕の好きな散歩コースが都内にある。
有楽町線の東池袋、もしくは都電の東池袋4丁目で下車して、しばらく行くと、日の出商店街という小さな商店街がある。
その日の出商店街を経由し、大塚まで出る。大塚の三業通りを通って、巣鴨駅方面へ抜ける。
余力が有れば山の手線沿いに駒込・田端まで行く。
或いは巣鴨から中山道を下って板橋方面へ抜ける、といった、山の手北部を歩くコースである。
有楽町線で東池袋で降りた。
ウォークマンで好きな音楽を聴きながら改札を抜けた辺りから、これから好きな場所を久し振りに歩けるという開放感、嬉しさなのか、既にウルウルきてしまっていた。
ここ2週間くらい、ずっと抑圧していたものが、ドッとはじけてしまったようだ。
地下から地上へ出ると、外はクリアな夜空に月が明るく輝いていた。
大塚あたりは、何の変哲も無い、東京の極平凡な街である。いや、むしろ見方によってはうら寂しい薄汚れた印象すらあるかもしれない。
いかがわしいネオン、盛り場に散乱するゴミ、町を徘徊する酔っぱらい・・・。
普通なら僕の逆鱗に触れるような品の無い情景。
ところが、大塚では、そんな夜の街の情景が、僕の目には、何の障害も無く飛び込んでくるのである。
それどころか、僕の自由を祝福してくれるかのような楽しげな気分を醸し出している。
それもそのはず、今日は近くの天祖神社で祭りがあったようだ。
又、僕は何か呼ばれたのだろうか・・・?。
僕の中で、バラバラになっていたパズルのピースが自ずから組合わさっていくかのようなイメージが浮かんでくる。
大塚という街は、僕が学生時代に住んでいた街で、大変馴染みのある街なのである。
そんな親近感が、僕をして、良くこの地域に足を向かわせる。
この開放感の下、歩く僕の好きな平凡な街は、いつ来ても、ただただ懐かしく優しく僕を包み込んでくれる。
少し好きな場所を歩いたことで、今まで硬化しかけていた気分が、どうにかリフレッシュされたようだ。
それにしても今日歩き始めた時の、言い知れないあの感動は、どうしたことだったんだろうか?。
仕事で自分を殺していたことが、逆に感受性を育んでいたのかもしれない。
そう考えると、不毛に思えていた仕事も、体験した意義はあるのかもしれないな。
只・・・、今日はこれで又、僕は自由と音楽が更に一層、好きになってしまった。
苦役がくれたもの【晴】 ― 2005年09月23日
社会人になってからの自分の人生を振返ってみると、”自分らしい生き方レベル0”を基準にすると、いつもマイナス領域を彷徨っていた感がある。
不本意な仕事という苦役に従事し、それが終わるとレベル0に戻り、ちょっと趣味の世界に没頭しプラスに行きかけたかな?と思うと、又すぐ苦役時代がやってきてマイナスになる。そしてそれが終わって0になって、又マイナス。これの繰り返し。低空飛行。
苦役時代の時間を、他に当てていたなら、どれだけいろんなことができたか、後悔は甚だしい。
このまま行くと、ちょっと変わり者の孤独なオッサン、で一生を終える、僕の人生一体なんだったろう?、の路線を辿るのは明白だ。
ただ、それもあまりにも癪なので、苦役で得たプラス面というものを考えてみた。
やはり第一に考えられるのは、スピリチュアルな世界に惹きつけられたことだろう。
調子がいい時は、自分の趣味のことなど割と実務的実利的な知識を吸収したく思え、あまりスピリチュアルなことには考えがいかないものだ。
ところが人生にプレッシャーが、かかればかかるほど、この現象世界以外で、現実の仕組みのシナリオが展開されているのでは無いか?、と考えたくなる故、スピリチュアルな知識を吸収しよう吸収しよう、という風に意識が働いていくのである。
まさに僕の中では、この精神世界の事柄というのは、苦渋の時代を経なければ感知し得なかった事柄に属するものだと思う。
これは苦難に出会うと宗教に走りたくなる心理と同じではある。
実際かくいう僕も、かつて宗教に走ったこともあった。
ただそれも、長い年月を経て思うに、何かに依存する体質の改善、真に宗教的であることと社会団体としてのコミュニティの場に参画することの違い、などを学ぶ過程として、更にはスピリチュアルな事象についての認識を深めたり、いろいろな人との出会いがあったりと、僕の人生においては必要なことであったような気はする。
じゃあ実際生活面でスピリチュアルになるということは、どういうことなのか?。
僕の経験で言わせてもらうと、それは難しいことでなく、いろんな物事に+αの意味を感ずる、ということになるだろうか。勿論これだけでは無いけれど、簡単に言うと、こんな風になるだろうか。
例えば音楽を聴いたりする時も、今まで歌詞がイイとかメロディがイイとかだけの側面を聴いていたのが、そこの何かのメッセージを感ずる、とか、この曲で勇気づけられた、とか、そういう聴き方をするようになることもスピリチュアルな意識の始まりであると思うのである。
今まで物質的な現象しか存在し得なかった局面に、あたかも第三者が介在しているかのように感じる瞬間、そういう瞬間を重ねていくことで、次第にスピリチュアルな意識は拡大していく。
それはすなわち、人間というのは、孤独などではあり得ないのだ、ということも語っているのである。
こないだ新聞に指揮者の岩城宏之氏の記事が載っていた。
大病の術後に、ふとモーツァルトのオペラの響きが心に降りて来た、というエピソードに続き、今度演奏するモーツァルトの最後の交響曲「ジュピター」に触れ、こう語っていた。
”最終楽章のフーガを演奏するたび、ああ、モーツァルトの人生はハ長調のフーガで終わるんだな、という感慨をもつ”と。
僕は、僕が思うのもおこがましいが、この記事を見て、岩城氏はモーツァルトの音楽にスピリチュアルなものを深く感じとっているな、と思った。
音楽に興味の無い方は、わからないかもしれぬが、この「ハ長調」「フーガ」というものの持つ、音楽を越えた深い意味合いを、やはりさすが日本を代表する指揮者である岩城氏は十分に感じ取られているのだろう。
逆に、音楽をスピリチュアルに聴く方は、皆、「ジュピター」について岩城氏と同じ感慨を持つのでは無いか?。
ちなみにビートルズの最後のシングルであり、屈指の名曲「Let it be」もハ長調である。
ハ長調というのは学校でも最初に習う、ドを基音とした易しい調性である。
しかし「Let it be」も「ジュピター」も、易しさと同時に、非常に深遠なものを語っている。
フーガというのは、単純な音形を、どんどん重ねて複雑な音楽を形成していく。
簡単であり、同時に深遠であるという、一見矛盾しているかのようにみえるものも、あるものを通して聴くと、全く矛盾は無い。
それは「愛」だと思う。
シンプルでありながら、奥深い、というのは、まさに「愛」の特性だ。
「Let it be」も「ジュピター」も、愛を通じて更なる未知の世界へと我々を導いていく、ビートルズとモーツァルトという二者の非常に偉大な音楽の魂がこの世に残したメッセージなのだろう(ポールマッカートニーはまだ生きてるけどね)。
たぶん、スピリチュアルな世界を知る、ことと、愛を知ること、はいずれどこかで繋がっているのだろう。
不本意な仕事という苦役に従事し、それが終わるとレベル0に戻り、ちょっと趣味の世界に没頭しプラスに行きかけたかな?と思うと、又すぐ苦役時代がやってきてマイナスになる。そしてそれが終わって0になって、又マイナス。これの繰り返し。低空飛行。
苦役時代の時間を、他に当てていたなら、どれだけいろんなことができたか、後悔は甚だしい。
このまま行くと、ちょっと変わり者の孤独なオッサン、で一生を終える、僕の人生一体なんだったろう?、の路線を辿るのは明白だ。
ただ、それもあまりにも癪なので、苦役で得たプラス面というものを考えてみた。
やはり第一に考えられるのは、スピリチュアルな世界に惹きつけられたことだろう。
調子がいい時は、自分の趣味のことなど割と実務的実利的な知識を吸収したく思え、あまりスピリチュアルなことには考えがいかないものだ。
ところが人生にプレッシャーが、かかればかかるほど、この現象世界以外で、現実の仕組みのシナリオが展開されているのでは無いか?、と考えたくなる故、スピリチュアルな知識を吸収しよう吸収しよう、という風に意識が働いていくのである。
まさに僕の中では、この精神世界の事柄というのは、苦渋の時代を経なければ感知し得なかった事柄に属するものだと思う。
これは苦難に出会うと宗教に走りたくなる心理と同じではある。
実際かくいう僕も、かつて宗教に走ったこともあった。
ただそれも、長い年月を経て思うに、何かに依存する体質の改善、真に宗教的であることと社会団体としてのコミュニティの場に参画することの違い、などを学ぶ過程として、更にはスピリチュアルな事象についての認識を深めたり、いろいろな人との出会いがあったりと、僕の人生においては必要なことであったような気はする。
じゃあ実際生活面でスピリチュアルになるということは、どういうことなのか?。
僕の経験で言わせてもらうと、それは難しいことでなく、いろんな物事に+αの意味を感ずる、ということになるだろうか。勿論これだけでは無いけれど、簡単に言うと、こんな風になるだろうか。
例えば音楽を聴いたりする時も、今まで歌詞がイイとかメロディがイイとかだけの側面を聴いていたのが、そこの何かのメッセージを感ずる、とか、この曲で勇気づけられた、とか、そういう聴き方をするようになることもスピリチュアルな意識の始まりであると思うのである。
今まで物質的な現象しか存在し得なかった局面に、あたかも第三者が介在しているかのように感じる瞬間、そういう瞬間を重ねていくことで、次第にスピリチュアルな意識は拡大していく。
それはすなわち、人間というのは、孤独などではあり得ないのだ、ということも語っているのである。
こないだ新聞に指揮者の岩城宏之氏の記事が載っていた。
大病の術後に、ふとモーツァルトのオペラの響きが心に降りて来た、というエピソードに続き、今度演奏するモーツァルトの最後の交響曲「ジュピター」に触れ、こう語っていた。
”最終楽章のフーガを演奏するたび、ああ、モーツァルトの人生はハ長調のフーガで終わるんだな、という感慨をもつ”と。
僕は、僕が思うのもおこがましいが、この記事を見て、岩城氏はモーツァルトの音楽にスピリチュアルなものを深く感じとっているな、と思った。
音楽に興味の無い方は、わからないかもしれぬが、この「ハ長調」「フーガ」というものの持つ、音楽を越えた深い意味合いを、やはりさすが日本を代表する指揮者である岩城氏は十分に感じ取られているのだろう。
逆に、音楽をスピリチュアルに聴く方は、皆、「ジュピター」について岩城氏と同じ感慨を持つのでは無いか?。
ちなみにビートルズの最後のシングルであり、屈指の名曲「Let it be」もハ長調である。
ハ長調というのは学校でも最初に習う、ドを基音とした易しい調性である。
しかし「Let it be」も「ジュピター」も、易しさと同時に、非常に深遠なものを語っている。
フーガというのは、単純な音形を、どんどん重ねて複雑な音楽を形成していく。
簡単であり、同時に深遠であるという、一見矛盾しているかのようにみえるものも、あるものを通して聴くと、全く矛盾は無い。
それは「愛」だと思う。
シンプルでありながら、奥深い、というのは、まさに「愛」の特性だ。
「Let it be」も「ジュピター」も、愛を通じて更なる未知の世界へと我々を導いていく、ビートルズとモーツァルトという二者の非常に偉大な音楽の魂がこの世に残したメッセージなのだろう(ポールマッカートニーはまだ生きてるけどね)。
たぶん、スピリチュアルな世界を知る、ことと、愛を知ること、はいずれどこかで繋がっているのだろう。
誤魔化しても無駄【雨】 ― 2005年09月24日
こないだ朝の小田急線の某駅で、勇気あるサラリーマンに電車から引きずり下ろされている痴漢のオッサンがいた。
ちょっとポッチャリめの女子高生が半泣きのような表情で続いて降りてきたので、どうやらその娘さんが被害者だったようだ。
すぐに駅員が駆けつけ事態は収拾していたが、サラリーマンに思いっきり怒鳴られていた痴漢のオッサンは、何かモゴモゴ呟きつつ抵抗していたようだった。
もしかしたらその痴漢は”自分はやってねえよ”的な反抗を試みていたのかもしれん。
しかしその痴漢のオッサン万が一無実だったら大変申訳ないのだが、その容貌たるや、言っちゃあ悪いが誰がどう見ても痴漢だった。
痴漢そのものだった。
目つきが怪しく、鼻の下が伸び切っていた。
私が日本を代表する痴漢です、と顔で語っているようなものだった。
何せ「エロオヤジビーム」を思い切り発散していた。
そこにいた他の客は、目には見えていなかったとは思うが、おそらくこのオッサンに「痴漢の気」をタップリ感じていたに違い無い。
これからの時代、もういくら言葉で、どうこう言ったところで、オーラとか気とか、そういうのに本心が表れてしまって、人を誤魔化す事はできなくなる時代が、そう遠くない内にやってくるかもしれん。
そうなると、もう痴漢の気を持ったエロオヤジなんぞ、エロオヤジセンサーで一発感知、それを改札に設置し、入り口でシャットアウトしてしまい、もう電車に乗せません、なんてことをする鉄道会社もできるだろう。
エロオヤジが自動改札を通ろうとすると、自動改札がバタンと大きな音で閉まり、サイレンのウイーンという音と共に機械の声が大音量で「エロオヤジハッケン!、コイツガ、エロイオヤジデス!。ミナサンチュウモク!、コイツガエロオヤジデス!」と叫び、エロオヤジにスポットライトが当たった後、駅員が飛んでくる、というシステム。
このエロいオヤジのオーラを瞬時に感知する痴漢撃退エロオヤジセンサー統合システムの開発も、近い将来いずこの企業においてや着手されるかもしれない。
ん?、そうなるとオマエが真っ先に、エロオヤジセンサーに引っかかるって?。
ままま、まあ、それも有りっちゃあ、有り、かもしれんが・・・。
ちょっとポッチャリめの女子高生が半泣きのような表情で続いて降りてきたので、どうやらその娘さんが被害者だったようだ。
すぐに駅員が駆けつけ事態は収拾していたが、サラリーマンに思いっきり怒鳴られていた痴漢のオッサンは、何かモゴモゴ呟きつつ抵抗していたようだった。
もしかしたらその痴漢は”自分はやってねえよ”的な反抗を試みていたのかもしれん。
しかしその痴漢のオッサン万が一無実だったら大変申訳ないのだが、その容貌たるや、言っちゃあ悪いが誰がどう見ても痴漢だった。
痴漢そのものだった。
目つきが怪しく、鼻の下が伸び切っていた。
私が日本を代表する痴漢です、と顔で語っているようなものだった。
何せ「エロオヤジビーム」を思い切り発散していた。
そこにいた他の客は、目には見えていなかったとは思うが、おそらくこのオッサンに「痴漢の気」をタップリ感じていたに違い無い。
これからの時代、もういくら言葉で、どうこう言ったところで、オーラとか気とか、そういうのに本心が表れてしまって、人を誤魔化す事はできなくなる時代が、そう遠くない内にやってくるかもしれん。
そうなると、もう痴漢の気を持ったエロオヤジなんぞ、エロオヤジセンサーで一発感知、それを改札に設置し、入り口でシャットアウトしてしまい、もう電車に乗せません、なんてことをする鉄道会社もできるだろう。
エロオヤジが自動改札を通ろうとすると、自動改札がバタンと大きな音で閉まり、サイレンのウイーンという音と共に機械の声が大音量で「エロオヤジハッケン!、コイツガ、エロイオヤジデス!。ミナサンチュウモク!、コイツガエロオヤジデス!」と叫び、エロオヤジにスポットライトが当たった後、駅員が飛んでくる、というシステム。
このエロいオヤジのオーラを瞬時に感知する痴漢撃退エロオヤジセンサー統合システムの開発も、近い将来いずこの企業においてや着手されるかもしれない。
ん?、そうなるとオマエが真っ先に、エロオヤジセンサーに引っかかるって?。
ままま、まあ、それも有りっちゃあ、有り、かもしれんが・・・。
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