奇跡のコース ― 2010年11月27日

今年は不景気の波に図らずも取り込まれてしまい、生活に経済的なプレッシャーがかけられた感がある。
今までも生活に経済的なプレッシャーが、かかったことはあった。
振り返ってみると、そんな時期は傾向としては内面的な方向に生活が向かっていったように思う。
経済的なプレッシャーがかると、自然と非活動的になっていく。
内省の時間というのが増える。
なので今年は勢い内省が多かった気がする(笑)。
僕にとって経済的なプレッシャーというのは、どうも生活全般があまりにも物質的な方向に偏り過ぎた時、宇宙からの「バランスを取るようにせよ」との、メッセージであるかのようだ。
経済的に余裕ができると、欲しかったものを買ったり、少し贅沢したり、物質的なものを取り込もうとする傾向が強くなる。
勿論これ自体に悪いことは無い。
ある程度の余裕を持つことは精神にとっても非常に大切なことだと思う。
しかしこれがバランスをくずすと「あれも欲しいこれも欲しい」になって、得られないと怒りを感じたり、日常にある奇跡や驚異に感動できなくなってくる。
モノを得たり、それを楽しむこと自体に問題は無いが、楽しんだり得ることだけに専心してしまうと、そのモノが自分の精神にどうかかわっているのか、それと対峙することで自分は何を感じたり、何を学んでいるのか、そんなことを忘れがちになる。
日常には、センサーを敏感にすればする程、奇跡や驚異が溢れているのに気づく。
100円ショップの、ちょっとした一品に思いを寄せるだけでも、それを作った人達のドラマや背景があることに気づく。
日常の奇跡や驚異に沢山気づけば気づいていくほど、何が起きてくるか?。
それは自分の中に、形では無い、本当の感謝の念が積み上げられてくる。
感謝の念で満たされていくと、自ずと愛で満たされていくのがわかる。
しかし、そうしたありふれた日常に隠されている、日常の奇跡や驚異は、物質的な欲望が肥大してくると、それに鈍感になってきてしまう。全ての自分に対する行為が「されて当たり前」「当然」のことのように思えてきてしまう。
物質的なものを獲得したり、それに価値をおいたり、耽溺したりする方向へと生活が行く。
そうして精神的なものを軽んじたり、忘れてしまったりする。つまり物質的なモノに大きく傾いてしまう。
全てが当たり前、になるということは、全てが新鮮の反対、になってくる。
つまり日常が干からびていくのである。
それは最初、精神的な干からびに始まり、やがて肉体をも干からびさせていく。
そのくずれたバランスを取り直す為に宇宙はしばしば、僕に経済的なプレッシャーというものを与えるようだ。
というわけで、今年は非常に内省的な1年となったようだが、そんな1年を締めくくるように、12月4日に日本で楽しみな本が出版される予定になっている。
それは「奇跡のコース ―A COURSE IN MIRACLES:ヘレン・シャックマン (著)大内博(訳)ナチュラルスピリット社」という本である。
これはスピリチュアルな世界では割と有名な本だったのであるが、これだけ有名な本でも何の事情かはわからぬが日本では出版されていなかった。
今回ついに日本版が出る。
実は僕はもう大分前に既に原著は入手していた。しかしやはり英語力不足のため、早々に読了を断念していた(笑)。
この本は、イエス・キリストと思われる存在が著者に語りかけてきたメッセージを記録したもので、大ざっぱに言えば、いわゆるチャネリング本の一種に分類されるかもしれない。
ただイエス・キリストというネームを置いておいても、そこには深い霊的な叡智が記されているようだ。
かなり分厚い本でお値段も少々張る。
ボーナスなどの無い今の僕には、ちょっとキツイが、今年頑張った自分へのご褒美に発売即買い求めようと思う(笑)、買うことだけに意識が集中して、肝心な本の内容を理解するということを忘れ、物質的な方向に傾かないように気をつけたいが(笑)。
実は最近「イエス・キリスト」「キリスト意識」というものが自分の中でのキーワードになっている。
これはどんなものかを一言で言い表すのが大変難しいが、敢えて言うと、それは「バランス」という言葉に通じていく(一言で言っとるやないかいっ!)。
昨今、いろんなものの二極化ということが言われている。
陰と陽、善と悪、貧困と繁栄、成功と失敗。
今現象が二極化をしている意味とは何だろう?と考えると。それは「バランス」を考えろ、という宇宙からのメッセージであるように感じる。
「キリスト意識」の意味として「バランス」、そして今まで一般的に知られてきたキリスト教で説かれてきた「愛」という概念について、又考えるようにと、今宇宙がメッセージを出しているように感じる。
今までも生活に経済的なプレッシャーが、かかったことはあった。
振り返ってみると、そんな時期は傾向としては内面的な方向に生活が向かっていったように思う。
経済的なプレッシャーがかると、自然と非活動的になっていく。
内省の時間というのが増える。
なので今年は勢い内省が多かった気がする(笑)。
僕にとって経済的なプレッシャーというのは、どうも生活全般があまりにも物質的な方向に偏り過ぎた時、宇宙からの「バランスを取るようにせよ」との、メッセージであるかのようだ。
経済的に余裕ができると、欲しかったものを買ったり、少し贅沢したり、物質的なものを取り込もうとする傾向が強くなる。
勿論これ自体に悪いことは無い。
ある程度の余裕を持つことは精神にとっても非常に大切なことだと思う。
しかしこれがバランスをくずすと「あれも欲しいこれも欲しい」になって、得られないと怒りを感じたり、日常にある奇跡や驚異に感動できなくなってくる。
モノを得たり、それを楽しむこと自体に問題は無いが、楽しんだり得ることだけに専心してしまうと、そのモノが自分の精神にどうかかわっているのか、それと対峙することで自分は何を感じたり、何を学んでいるのか、そんなことを忘れがちになる。
日常には、センサーを敏感にすればする程、奇跡や驚異が溢れているのに気づく。
100円ショップの、ちょっとした一品に思いを寄せるだけでも、それを作った人達のドラマや背景があることに気づく。
日常の奇跡や驚異に沢山気づけば気づいていくほど、何が起きてくるか?。
それは自分の中に、形では無い、本当の感謝の念が積み上げられてくる。
感謝の念で満たされていくと、自ずと愛で満たされていくのがわかる。
しかし、そうしたありふれた日常に隠されている、日常の奇跡や驚異は、物質的な欲望が肥大してくると、それに鈍感になってきてしまう。全ての自分に対する行為が「されて当たり前」「当然」のことのように思えてきてしまう。
物質的なものを獲得したり、それに価値をおいたり、耽溺したりする方向へと生活が行く。
そうして精神的なものを軽んじたり、忘れてしまったりする。つまり物質的なモノに大きく傾いてしまう。
全てが当たり前、になるということは、全てが新鮮の反対、になってくる。
つまり日常が干からびていくのである。
それは最初、精神的な干からびに始まり、やがて肉体をも干からびさせていく。
そのくずれたバランスを取り直す為に宇宙はしばしば、僕に経済的なプレッシャーというものを与えるようだ。
というわけで、今年は非常に内省的な1年となったようだが、そんな1年を締めくくるように、12月4日に日本で楽しみな本が出版される予定になっている。
それは「奇跡のコース ―A COURSE IN MIRACLES:ヘレン・シャックマン (著)大内博(訳)ナチュラルスピリット社」という本である。
これはスピリチュアルな世界では割と有名な本だったのであるが、これだけ有名な本でも何の事情かはわからぬが日本では出版されていなかった。
今回ついに日本版が出る。
実は僕はもう大分前に既に原著は入手していた。しかしやはり英語力不足のため、早々に読了を断念していた(笑)。
この本は、イエス・キリストと思われる存在が著者に語りかけてきたメッセージを記録したもので、大ざっぱに言えば、いわゆるチャネリング本の一種に分類されるかもしれない。
ただイエス・キリストというネームを置いておいても、そこには深い霊的な叡智が記されているようだ。
かなり分厚い本でお値段も少々張る。
ボーナスなどの無い今の僕には、ちょっとキツイが、今年頑張った自分へのご褒美に発売即買い求めようと思う(笑)、買うことだけに意識が集中して、肝心な本の内容を理解するということを忘れ、物質的な方向に傾かないように気をつけたいが(笑)。
実は最近「イエス・キリスト」「キリスト意識」というものが自分の中でのキーワードになっている。
これはどんなものかを一言で言い表すのが大変難しいが、敢えて言うと、それは「バランス」という言葉に通じていく(一言で言っとるやないかいっ!)。
昨今、いろんなものの二極化ということが言われている。
陰と陽、善と悪、貧困と繁栄、成功と失敗。
今現象が二極化をしている意味とは何だろう?と考えると。それは「バランス」を考えろ、という宇宙からのメッセージであるように感じる。
「キリスト意識」の意味として「バランス」、そして今まで一般的に知られてきたキリスト教で説かれてきた「愛」という概念について、又考えるようにと、今宇宙がメッセージを出しているように感じる。
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