地球の秘密が・・・2012年03月04日

地球も人間と同じように輪廻転生を繰り返して進化している、という記述をシュタイナーの著作で最初見た時は、ある種の衝撃を受けた感じであった。
あれから、いろいろと知識を積んで、今は結構それが当たり前の感覚として定着してきた(笑)。

壮大な地球の進化は僕らの想像を遙かに超えたものではあるけれど、実は日常のごくありふれた事柄に、この地球の進化の神秘が隠されていることを知る人は少ないだろう。

それが「曜日の名称」なのである。
ここでは詳しくは述べない、というか壮大すぎて述べられないので是非勉強をお奨めするが、あの曜日は、地球の進化の秘密が象徴的に表されている。
そしてあの順番が正解なのである。
ちなみに最初は土曜で始まるのが、進化で行くと妥当な順番になる。

そして「今は水曜」という謎のフレーズで今日はとどめておきたい(笑)。

運命共同体2012年03月11日

あの大震災から1年、僕らには大きな刻印を残した出来事であった。

被災地では、復興への道のりは、まだまだ険しいようだ。

引き続き僕らは何ができるかを模索していくべきだろう。

震災によって、僕は「感情の浄化」を個人的なテーマにしてきた。
最近では、ちょっとしたくだらないウジウジした思いが浮かんでくると「そんな小さなことに心理的エネルギーを費やしている暇があったら、被災地の為に何ができるか考えろ」と、自分を叱咤している(笑)。
そう考えることで、結構瞬時に気持ちを切り替えることができる。

ところで神秘学的観点からみると、震災のようなものに対して、我々ができることがあるのだろうか?、という問いには、実は明確な答えがある。

またシュタイナーの受け売りになってしまって、申し訳ないが、地球の構造についての話を少し持ち出す必要がある。
そして我々人間と同じように地球を生きた霊体としてイメージしてもらいたい。

シュタイナーによれば、地球は幾つかの層に分かれているが、その中で火の地球ともいうべき、層があって、この実質は、何と感情と意志を持っているそうだ。
そして更に、この層は人間の情熱と深い関わりがあるという。
悪い情熱と力を人間が持つと、この火の地球の情熱を強めてしまう。
この結果この力が表面まで浮上し噴火や地震を起こしてしまうそうだ。

であれば、僕らのできることは明快に「悪い情熱を抱かないこと」、といえるであろう。
「悪い情熱を抱かない」だけで地震がなくなるとしたらば、どんなにか素晴らしいことか、一人でも多くそうやって想像してみる(imagin)必要があると思う。

ちなみにシュタイナーによれば、未来において、人間はこの火の層は克服しなければいけないらしい。
まさに僕が「感情の浄化」を自分に課したように、人間が情熱を浄化することによって、地球の情熱も浄化していく必要があるのであろう。
そうした地球と我々の共同によってのみ進化は達成されるということなのであろう。
つまりは、地球と僕らは、真の意味での運命共同体というべきかもしれない。

自分を表現する時2012年03月18日

この世に生を受けた上で「自分を表現する」ということは大切なことであろう。
「自分を表現する」ということは、自分の気持ちを表現する、ことにとどまらない。
自分の内部にある混沌とした世界を何か作品のようなものを使用して表現することもあるだろう。
スポーツなどのように身体を使って表現することもあるだろう。

こうしてみると「自分を表現する」というのは、自分の内にあるエネルギーを外の世界へと向けて放射する、ということと言えるかもしれない。

人間が進化していく上で、この「自分の内にあるエネルギー」をいかに放出するかを学んでいくことは、とても重要だと思っている。

自分の内にあるエネルギーがマイナスの感じのものだと、外界もそのエネルギーの影響を受けることになるだろう。
自分の回りの外界は絶えず自分のエネルギーで覆われているそうだ。
それがマイナスのエネルギーだと、マイナスのものを引き寄せる。

もし自分がプラスのエネルギーを出せば、プラスのエネルギーで自分が覆われ、プラスのものを引き寄せる。

プラスのもの、というと即物的な感じがするので、別な言葉に置き換えれば「愛」になるだろう。

であるから、「自分を表現する」時は、「自分の内にあるエネルギー」が「善なるモノ・他を幸せに導くモノ」であるとイメージし、それを他とシェアするようにすることを理想とするのが良いのではないだろうか?。
勿論、それは押しつけがましいものであってはいけない。
「押しつけがましい」ということはエゴイスティックであって、既に「愛」の波動には無い。

とりあえず他人とコミュニケーションを取るといったような日常的なことも「自分を表現する」ことの一部ではあるだろう。
そうした時から常に「自分の内にあるエネルギー」が「善なるモノ・他を幸せに導くモノ」になるように心がけたいと思う。

長所と短所2012年03月25日

長所の無い人間はいないと僕は思っている。
どんなに短所だらけの人だとしても、である。

それは長所と短所は表裏一体だからだ。

短所があったとしても、視点を変えて、その短所をポジティブに反転してとらえてみる。
例えば優柔不断というのを短所だと思ったら、それをポジティブに反転してみると、慎重でファジーな性格、などとなるだろう。

どんな性格も、それが適材適所であれば、長所になり得る。
そしてどんな性格も不適才不適所であれば、それは短所になりうるのである。

であれば短所だらけの性格だと感じている人は、普段逆境に身を置きがちだから、という可能性はあるだろう。
時と場所が変わり、順境になれば、長所だらけになってしまうかもしれないのである。
長所・短所とは、実は観点の違いにすぎない、とも言えるのである。

ところで、人間やはり順境にあるほうが良いのではないか、と誰しもが思うであろう。
しかしここが人生奥深い所で、必ずしも順境にいるばかりが良いとも言えないのである。
時には人間は逆境に身を置いた方が大きな学びを得られる時がある。

逆境においては、そこで生じる抑圧により各種の欲求不満が生じ、やがて妥協・断念・忍耐などを強いられる。
エゴを抑えつけられることもあるだろう。

しかしこうして生じた妥協・断念・忍耐・エゴの抑制などは、魂のレベルからみれば本当に言い尽くしても言い尽くせないほど貴重な至宝となるらしいのである(笑)。
人生に苦難が絶えないのは、実は魂がこの苦難を経験し妥協・断念・忍耐・エゴの抑制などを学びたいためなのだ、とも言えるのである。

そうして妥協・断念・忍耐・エゴの抑制などを学んだ人間に深みが出てくることは、スピリチュアルに造詣の無い人間でも感覚的に、その通りだとわかることであろう。