時が満ち適材適所に ― 2015年08月01日
以前買った夏物の私服のシャツ二枚が、実際着てみると色合いがあまり気に入らなくて、一回着たままで、その後はお蔵入りになっていた。
ちょっと地味めで、プライベートには合わない感じがしていた。
ところが現在通っている職場で夏はクールビズということで、カジュアルなシャツOKになり、そこでこの二枚の活躍の場が急にできた。
プライベートでは地味でも、職場ではちょうど良い具合なのである。
今では毎週フル活動している。
処分しないで良かった。
時が満ち適材適所に。
待てば甘露の日和あり。
ちょっと地味めで、プライベートには合わない感じがしていた。
ところが現在通っている職場で夏はクールビズということで、カジュアルなシャツOKになり、そこでこの二枚の活躍の場が急にできた。
プライベートでは地味でも、職場ではちょうど良い具合なのである。
今では毎週フル活動している。
処分しないで良かった。
時が満ち適材適所に。
待てば甘露の日和あり。
目覚めるきっかけ ― 2015年03月01日
もうすぐ東日本大震災が起きて4年になる。
人生には試練というものがある。
試練というのは、必ず意味を持っている。
多くは、何かに目覚めさせるキッカケになることが多い。
あの震災で、何かに目覚めた人は大勢いるだろう。
東日本大震災は、個々人のみならず、日本という国全体にとっても試練となったことだろう。
日本という国は、現在もこの震災の影響を受け続け、試練の真っ最中でもあるだろう。
それに加え、現在の極右的な政権を持ってしまったこと自体も、ある意味国全体にとっても試練なのだろう(苦笑)。
ただ、最近は、メディアを使ったプロパガンダもメッキが剥がれおちるのが早く、一般大衆も、もう騙されない、という空気は、かなり持ってきているようには、感じている。
もしかしたら、本当の民主主義的な政権が誕生するのも、遠くないかもしれない。
僕自身も昨年は、かなり個人的な試練が相次ぎ(苦笑)、今年に入ってようやく事態が少し改善の様子を見せ始めた。
職場も昨年から二度変わり、今まで埼玉に通っていた生活も、今は新宿と、都会での勤務に戻ってきた。
3.11の時は、かなり自分自身の意識が変化した感があった。
昨年からの試練は、意識の改革というよりも、どちらかというと、実践編のような、どうしたらよいか?、という実際的な行動の是非を問われたような試練だったような気もしている。
昨年・一昨年は、僕自身占星術で見たら、どうやら30年に一度回ってくる土星が自分の星座に回ってくるサタンリターンというやつだったようだ。
リスクは多かった気もするが、その分、未来への展望を、より強く自覚できたような気もすることが、収穫だったのかもしれない。
人生には試練というものがある。
試練というのは、必ず意味を持っている。
多くは、何かに目覚めさせるキッカケになることが多い。
あの震災で、何かに目覚めた人は大勢いるだろう。
東日本大震災は、個々人のみならず、日本という国全体にとっても試練となったことだろう。
日本という国は、現在もこの震災の影響を受け続け、試練の真っ最中でもあるだろう。
それに加え、現在の極右的な政権を持ってしまったこと自体も、ある意味国全体にとっても試練なのだろう(苦笑)。
ただ、最近は、メディアを使ったプロパガンダもメッキが剥がれおちるのが早く、一般大衆も、もう騙されない、という空気は、かなり持ってきているようには、感じている。
もしかしたら、本当の民主主義的な政権が誕生するのも、遠くないかもしれない。
僕自身も昨年は、かなり個人的な試練が相次ぎ(苦笑)、今年に入ってようやく事態が少し改善の様子を見せ始めた。
職場も昨年から二度変わり、今まで埼玉に通っていた生活も、今は新宿と、都会での勤務に戻ってきた。
3.11の時は、かなり自分自身の意識が変化した感があった。
昨年からの試練は、意識の改革というよりも、どちらかというと、実践編のような、どうしたらよいか?、という実際的な行動の是非を問われたような試練だったような気もしている。
昨年・一昨年は、僕自身占星術で見たら、どうやら30年に一度回ってくる土星が自分の星座に回ってくるサタンリターンというやつだったようだ。
リスクは多かった気もするが、その分、未来への展望を、より強く自覚できたような気もすることが、収穫だったのかもしれない。
疾走するママ達 ― 2014年09月15日
東京は坂が多く、自転車を頻繁に使用する僕にとっても上るのは、難儀なものだ。
自分のポリシーとして、坂を自転車で上る時は、なるべく自転車から降りないことを心がけている。体力をつけるためだ。
ところで最近坂を自転車で上っている時、結構見かける状況というか、あるシチュエーションがある。
坂を上っていると、剛の者がたまに僕を勢いよく抜かしていくのを見かける、いかにも脚力の強いお兄ちゃんが、スイスイ抜かしていったりして、大したもんんだと思う。
ところが最近は、若いママさんがグイグイと僕を抜かしていったりするのである。
ともすれば前後に子供を乗せ、荷物を乗せた状態でグイグイいくのである。
最近の母親は強いな、などと思っていたら、彼女たちのある特徴に気づいた。
それは電動自転車であった。
つまりは、母親の脚力が強くなったわけでは無く、自転車が進化してママさんが頻繁に坂を上るようになったわけである。
坂に限らず、最近は平地でも疾走していく電動自転車ママに抜かされる場面が多い。
女性の脚力自体が強くなったわけでは無いだろうが、こういう場面に多く遭遇すると、何となく気持ちでも女性に圧倒されているような気がしないでもない今日この頃である(笑)。
自分のポリシーとして、坂を自転車で上る時は、なるべく自転車から降りないことを心がけている。体力をつけるためだ。
ところで最近坂を自転車で上っている時、結構見かける状況というか、あるシチュエーションがある。
坂を上っていると、剛の者がたまに僕を勢いよく抜かしていくのを見かける、いかにも脚力の強いお兄ちゃんが、スイスイ抜かしていったりして、大したもんんだと思う。
ところが最近は、若いママさんがグイグイと僕を抜かしていったりするのである。
ともすれば前後に子供を乗せ、荷物を乗せた状態でグイグイいくのである。
最近の母親は強いな、などと思っていたら、彼女たちのある特徴に気づいた。
それは電動自転車であった。
つまりは、母親の脚力が強くなったわけでは無く、自転車が進化してママさんが頻繁に坂を上るようになったわけである。
坂に限らず、最近は平地でも疾走していく電動自転車ママに抜かされる場面が多い。
女性の脚力自体が強くなったわけでは無いだろうが、こういう場面に多く遭遇すると、何となく気持ちでも女性に圧倒されているような気がしないでもない今日この頃である(笑)。
似ている? ― 2014年08月10日
子供の頃、地方に住んでいた僕は、東京にかなりの憧れを抱いていた。
当時の銀座四丁目の交差点や新宿の街並みの写真を、飽くことなく、憧憬を持って眺めていた。
大学に入学することになって、東京の大塚に住むことになった。それは自分の意志では無く、当時の状況で、そうせざるを得なかった。
最初の大塚の印象は最悪だった。
大塚から王子方面に通ずる折戸通り、という通りを歩いたのであるが、僕の田舎には無かった都会の哀愁、街の裏の世界の侘しさみたいなのが、僕の心象にドッと流れ込んできた。
あの銀座四丁目の華やかさとは、うって変わった寂しさに、東京に裏切られたように感じた。
時は流れ30年以上経った。
僕は今折戸通りを王子方面に行った付近に住んでいる。
大塚には今でも良く行くし、今は銀座の風景よりも大塚の風景の方が、愛着があるし自分に合っているように思う。
僕は未だ独身で、結婚生活の経験が無いので偉そうなことを言える立場に無いのであるが、もしかしたら、街と女性との結婚に共通するところもあるのかなとも思う。
最初銀座のような華美な点に惹かれ、いざ結婚したら、大塚のような面が露呈し、裏切られたように感ずる。
しかし年月を重ねて、いつしか大塚面も愛せるようになる。場合によっては、そちらの方が好きになる。
独身男性の妄想でした。
当時の銀座四丁目の交差点や新宿の街並みの写真を、飽くことなく、憧憬を持って眺めていた。
大学に入学することになって、東京の大塚に住むことになった。それは自分の意志では無く、当時の状況で、そうせざるを得なかった。
最初の大塚の印象は最悪だった。
大塚から王子方面に通ずる折戸通り、という通りを歩いたのであるが、僕の田舎には無かった都会の哀愁、街の裏の世界の侘しさみたいなのが、僕の心象にドッと流れ込んできた。
あの銀座四丁目の華やかさとは、うって変わった寂しさに、東京に裏切られたように感じた。
時は流れ30年以上経った。
僕は今折戸通りを王子方面に行った付近に住んでいる。
大塚には今でも良く行くし、今は銀座の風景よりも大塚の風景の方が、愛着があるし自分に合っているように思う。
僕は未だ独身で、結婚生活の経験が無いので偉そうなことを言える立場に無いのであるが、もしかしたら、街と女性との結婚に共通するところもあるのかなとも思う。
最初銀座のような華美な点に惹かれ、いざ結婚したら、大塚のような面が露呈し、裏切られたように感ずる。
しかし年月を重ねて、いつしか大塚面も愛せるようになる。場合によっては、そちらの方が好きになる。
独身男性の妄想でした。
陰と芸術 ― 2014年06月29日
東京は梅雨真っ只中である。
基本的に雨の日は、太陽の光を浴びられない為、何となく好きになれないという人も多いだろう。
僕自身も、あまり好きでは無いが、過去人生を振り返ってみると、雨が好きな時代もあった。
それは中学生時代で、理由は全く単純で、雨が降ると部活が休みになる、からだった。
部活は野球部で、元来運動が苦手な僕は、しょっちゅう雨を願っていた(笑)。
高校時代は、そうした部活の縛りは無くなったが、良く考えてみると、学校まで6km位の距離を、雨の日は合羽を着て自転車で通っていた。当時は何も考えていなかったからか、さほど苦になった記憶が無いのであるが、今は、もうそんな無茶できそうもない(笑)。
大学時代は新聞配達のバイトをしていたので、雨雪風は、もう大敵、勿論雨は再び僕の敵となった(笑)。
あの頃から現在まで、雨が苦手、というのを潜在的な感じで引きずっているような感じだ。
ところで、雨の歌には名曲が多いと言われている。
昔の洋楽などでも「雨にぬれても」「雨に微笑みを」とか、稀代の名曲が出てくる。
ここでふと「だからか・・・」とも思う。
つまり、雨が皆苦手だから、逆に一所懸命美化するに至って名曲が生まれてくるのかもな、ということだ。
雨が好ましいものであれば、これだけ歌にはならなかったかもしれない。
じゃあ太陽の歌で名曲は、となるとビートルズの「Here comes the sun」とか、チューブの「シーズンインザサン」とか、まあそこそこ出てくる。
ただ、上に挙げた2曲は、前者は「太陽がやっと出てきた」後者は「夏よ(太陽)いかないでくれ」と、どちらも太陽が無い状態を相対的潜在的なモチーフに使用している。
つまり、雨=陰あっての太陽=陽、という図式が見えてくる。
もしかしたら、陰の状態の方がそれを芸術化しやすいのではないか?、という結論に至るのである。
もう一つ、芸術の一つの役割として、陰を陽に転ずる、ということがあるのではないか?、という推測も出てくる。
基本的に雨の日は、太陽の光を浴びられない為、何となく好きになれないという人も多いだろう。
僕自身も、あまり好きでは無いが、過去人生を振り返ってみると、雨が好きな時代もあった。
それは中学生時代で、理由は全く単純で、雨が降ると部活が休みになる、からだった。
部活は野球部で、元来運動が苦手な僕は、しょっちゅう雨を願っていた(笑)。
高校時代は、そうした部活の縛りは無くなったが、良く考えてみると、学校まで6km位の距離を、雨の日は合羽を着て自転車で通っていた。当時は何も考えていなかったからか、さほど苦になった記憶が無いのであるが、今は、もうそんな無茶できそうもない(笑)。
大学時代は新聞配達のバイトをしていたので、雨雪風は、もう大敵、勿論雨は再び僕の敵となった(笑)。
あの頃から現在まで、雨が苦手、というのを潜在的な感じで引きずっているような感じだ。
ところで、雨の歌には名曲が多いと言われている。
昔の洋楽などでも「雨にぬれても」「雨に微笑みを」とか、稀代の名曲が出てくる。
ここでふと「だからか・・・」とも思う。
つまり、雨が皆苦手だから、逆に一所懸命美化するに至って名曲が生まれてくるのかもな、ということだ。
雨が好ましいものであれば、これだけ歌にはならなかったかもしれない。
じゃあ太陽の歌で名曲は、となるとビートルズの「Here comes the sun」とか、チューブの「シーズンインザサン」とか、まあそこそこ出てくる。
ただ、上に挙げた2曲は、前者は「太陽がやっと出てきた」後者は「夏よ(太陽)いかないでくれ」と、どちらも太陽が無い状態を相対的潜在的なモチーフに使用している。
つまり、雨=陰あっての太陽=陽、という図式が見えてくる。
もしかしたら、陰の状態の方がそれを芸術化しやすいのではないか?、という結論に至るのである。
もう一つ、芸術の一つの役割として、陰を陽に転ずる、ということがあるのではないか?、という推測も出てくる。
僕の運というよりは ― 2014年06月01日
モテナイ独身中年あるある、になってしまうかもしれないが、モテナイ独身中年にとっては、スーパーのレジなどは、是非とも女性であってほしい。
僕などは、全世界のレジ全て女性でもいいとすら思っている(笑)。
理由は比較的単純で、要は独身中年として買ったものを男性に触られたくない、というのがある。
良く潔癖症のヒドすぎる人で、買ったものを帰ってきてから洗う、などというのを聞いたりするが、僕はあそこまでひどくは無いが、気持ちは良くわかる。
僕の場合、日常の消耗品や食料、つまりすぐ消えてしまうものを男性に触られるのは、まああまり気にならない。
下着や大切な本やCD等、つまり永く家で愛用するものを、男性に触られるのが、あまり好きではない。ただでさへ女っ気が無く男性臭にウンザリしているところに、もうこれ以上男性気を取り込みたくない、というのが本音だ(笑)。
まあ全く嫌、というわけではないが、後で、「この本、あの綺麗なネエチャンのレジだったな」というのと「この本、あのアンちゃんのレジかよ」というのでは、その本のその後の扱いにかなりのテンション差が出ることは否めない(笑)。
そんな今日この頃、とある書店に行き、レジに並んだ。
レジは5つあり、4つはオネエチャンレジ、1台がオッサンレジだった。
レジへの並びの順番が僕の前にあと一人、まで来た。
僕の前に並んでいるのは髪を茶髪に染めた赤いトレーナーのオバサンだった。
レジは2台ほどが、もう金銭のやりとりをしていて空きそうだ。
しかしその内の一つが、なんとオッサンレジだ(笑)。
オネエチャンレジが空いてしまうと、必然的に僕はオッサンレジになる。
しかもオネエチャンレジの方が今にも空きそうだ。
確率五分の一なのに、オレが又オッサンレジかーっ!(泣)。
まあ、こんな少ない確率なのにオッサンに当たる現象は、今までくさるほど良くあった現象なので、今更ここでもう落胆はしない(泣笑)・・・
などと思っていたところへ、なんとオッサンレジの方が先に空いた。
オネエチャンレジでは、まさかの「奇跡的モタモタ現象」が発生し、客との事後のやりとりで何やらモタモタしている。
しかし、せっかくオッサンレジが空いたのに、前のオバサンはなかなかレジに進もうとしない。
こういう時、オバサンは真っ先にレジに進むのになあ、と思っていると、そのオバサンは、あまつさへ、モタモタオネエチャンレジの方へ行こうとすら見える。
「なんだよ、オッサンレジ空いてるの見えねえのかよ、よっぽど周りが見えねえのかな」と思いつつ、ふとオバサンを見ると、その時周りを伺っていた、オバサンの顔が見えた。
そして僕は驚いた。
「オバサンじゃねえ!、アンちゃんだっ!」
髪が長かったのと小太りな感じで、てっきり女性とばかり思っていたのが、男性、それもいかにもオタクな感じの男性だったのである。
ここで僕は、この前に並んでいるアンちゃんのモタモタ感の理由を瞬時に把握した。
そしてなかなかレジに行かないイライラと共に、複雑な感情も湧き上がってきた。
なぜなら、このアンちゃんの気持ちは痛いほどわかるからである(笑)。
アンちゃんはおそらく独身で「オネエチャンレジに行きたい、もう確実に大丈夫!」、と思っていたのだろう、それが直前にきての、まさかのモタモタ、そして悪夢のオッサンレジ解放・・・。
僕も、今まで「この手の裏切り」は数えきれないほど喰らってきたので気持ちはよーくわかる(笑)。
しかし無情にも残酷な宣託が下される。
「先頭でお待ちのお客様ドーゾー」なかなかやって来ないアンちゃんに、業を煮やした手招きのレジのオッサンの低い声が店内に響く。
アンちゃんは重い足取りで絞首台に向かうが如く、オッサンレジに向かった。
アンちゃんには申し訳ないと思ったが、これで僕のオネエチャンレジは安泰だ、などと思っていたら、なんと急に今まで閉鎖していた特別カウンターみたいな所にある6台目のレジが解放され、そちらのオネエチャン、しかも他のレジよりもカワイイオネエチャンが、僕を呼んでくれた(笑)。
僕自身に関して言えば、今日はラッキーデイで何も心配することは無かったようだ(笑)。
しかし、可能性のことを言えば、先程のアンちゃんが待っている時点で、6台目のオネエチャンレジが解放されても良かった、ということもある。
そうなったら、僕がオッサンレジになっていただろう。
今日のノリを考えれば、結果的には僕はオネエチャンレジになって、結局僕はラッキーだったかもしれない。
しかし6台あって5台がオネエチャンだから、オネエチャンに当たったところで、それほどラッキーとも言えないのではないか?。
そしてふと、こうも思った。
僕がラッキーというよりは、あのアンちゃんに、ツキが無かったのではなかろうか?
僕などは、全世界のレジ全て女性でもいいとすら思っている(笑)。
理由は比較的単純で、要は独身中年として買ったものを男性に触られたくない、というのがある。
良く潔癖症のヒドすぎる人で、買ったものを帰ってきてから洗う、などというのを聞いたりするが、僕はあそこまでひどくは無いが、気持ちは良くわかる。
僕の場合、日常の消耗品や食料、つまりすぐ消えてしまうものを男性に触られるのは、まああまり気にならない。
下着や大切な本やCD等、つまり永く家で愛用するものを、男性に触られるのが、あまり好きではない。ただでさへ女っ気が無く男性臭にウンザリしているところに、もうこれ以上男性気を取り込みたくない、というのが本音だ(笑)。
まあ全く嫌、というわけではないが、後で、「この本、あの綺麗なネエチャンのレジだったな」というのと「この本、あのアンちゃんのレジかよ」というのでは、その本のその後の扱いにかなりのテンション差が出ることは否めない(笑)。
そんな今日この頃、とある書店に行き、レジに並んだ。
レジは5つあり、4つはオネエチャンレジ、1台がオッサンレジだった。
レジへの並びの順番が僕の前にあと一人、まで来た。
僕の前に並んでいるのは髪を茶髪に染めた赤いトレーナーのオバサンだった。
レジは2台ほどが、もう金銭のやりとりをしていて空きそうだ。
しかしその内の一つが、なんとオッサンレジだ(笑)。
オネエチャンレジが空いてしまうと、必然的に僕はオッサンレジになる。
しかもオネエチャンレジの方が今にも空きそうだ。
確率五分の一なのに、オレが又オッサンレジかーっ!(泣)。
まあ、こんな少ない確率なのにオッサンに当たる現象は、今までくさるほど良くあった現象なので、今更ここでもう落胆はしない(泣笑)・・・
などと思っていたところへ、なんとオッサンレジの方が先に空いた。
オネエチャンレジでは、まさかの「奇跡的モタモタ現象」が発生し、客との事後のやりとりで何やらモタモタしている。
しかし、せっかくオッサンレジが空いたのに、前のオバサンはなかなかレジに進もうとしない。
こういう時、オバサンは真っ先にレジに進むのになあ、と思っていると、そのオバサンは、あまつさへ、モタモタオネエチャンレジの方へ行こうとすら見える。
「なんだよ、オッサンレジ空いてるの見えねえのかよ、よっぽど周りが見えねえのかな」と思いつつ、ふとオバサンを見ると、その時周りを伺っていた、オバサンの顔が見えた。
そして僕は驚いた。
「オバサンじゃねえ!、アンちゃんだっ!」
髪が長かったのと小太りな感じで、てっきり女性とばかり思っていたのが、男性、それもいかにもオタクな感じの男性だったのである。
ここで僕は、この前に並んでいるアンちゃんのモタモタ感の理由を瞬時に把握した。
そしてなかなかレジに行かないイライラと共に、複雑な感情も湧き上がってきた。
なぜなら、このアンちゃんの気持ちは痛いほどわかるからである(笑)。
アンちゃんはおそらく独身で「オネエチャンレジに行きたい、もう確実に大丈夫!」、と思っていたのだろう、それが直前にきての、まさかのモタモタ、そして悪夢のオッサンレジ解放・・・。
僕も、今まで「この手の裏切り」は数えきれないほど喰らってきたので気持ちはよーくわかる(笑)。
しかし無情にも残酷な宣託が下される。
「先頭でお待ちのお客様ドーゾー」なかなかやって来ないアンちゃんに、業を煮やした手招きのレジのオッサンの低い声が店内に響く。
アンちゃんは重い足取りで絞首台に向かうが如く、オッサンレジに向かった。
アンちゃんには申し訳ないと思ったが、これで僕のオネエチャンレジは安泰だ、などと思っていたら、なんと急に今まで閉鎖していた特別カウンターみたいな所にある6台目のレジが解放され、そちらのオネエチャン、しかも他のレジよりもカワイイオネエチャンが、僕を呼んでくれた(笑)。
僕自身に関して言えば、今日はラッキーデイで何も心配することは無かったようだ(笑)。
しかし、可能性のことを言えば、先程のアンちゃんが待っている時点で、6台目のオネエチャンレジが解放されても良かった、ということもある。
そうなったら、僕がオッサンレジになっていただろう。
今日のノリを考えれば、結果的には僕はオネエチャンレジになって、結局僕はラッキーだったかもしれない。
しかし6台あって5台がオネエチャンだから、オネエチャンに当たったところで、それほどラッキーとも言えないのではないか?。
そしてふと、こうも思った。
僕がラッキーというよりは、あのアンちゃんに、ツキが無かったのではなかろうか?
逆をすることが増えた ― 2014年05月11日
人の長所を見て、褒めていくことは確かに大切だろう。
ただ人によって、褒めて伸びる人と、叩かれて伸びる人とパターンがあることも確かだ。
実際褒めると、悪い言い方になってしまうが「つけあがって」それ以上の向上を放棄してしまう人がいることを、最近思い知らされた(笑)。
そんな人を、大きく包みこんで赦してあげると、つけあがる、ことがわかった(笑)。
こういう人には、思い切って説教した方がいいこともわかった(笑)。
説教が、その人を自立させ改心させる本当の愛なのだと、最近わかった(笑)。
勿論、そんな人が、説教を素直にハイハイと聞くはずは無い(笑)。
ただ誠意を持った説教は、いつかは通ずると信じ続けることが肝心だ。
説教したことで、相手が離れてしまうことも覚悟しておいた方が良い。
もしかしたら、敢えて離した方が、自立の為にはいいのかもしれない。
なぜなら「つけあがる」とは、「依存する」とほぼ同義であって、「褒めること」=「賞賛」をほしいため、もっともっとこちらに要求してくる、つまりこちらのエネルギーに依存してくる、という図式がベースにあるからだ。
そういうわけで、なんか最近は、今まで良いとされていたこと、褒めること、などの、逆をしてみたりすることが多いような気のする、今日この頃であった。
ただ人によって、褒めて伸びる人と、叩かれて伸びる人とパターンがあることも確かだ。
実際褒めると、悪い言い方になってしまうが「つけあがって」それ以上の向上を放棄してしまう人がいることを、最近思い知らされた(笑)。
そんな人を、大きく包みこんで赦してあげると、つけあがる、ことがわかった(笑)。
こういう人には、思い切って説教した方がいいこともわかった(笑)。
説教が、その人を自立させ改心させる本当の愛なのだと、最近わかった(笑)。
勿論、そんな人が、説教を素直にハイハイと聞くはずは無い(笑)。
ただ誠意を持った説教は、いつかは通ずると信じ続けることが肝心だ。
説教したことで、相手が離れてしまうことも覚悟しておいた方が良い。
もしかしたら、敢えて離した方が、自立の為にはいいのかもしれない。
なぜなら「つけあがる」とは、「依存する」とほぼ同義であって、「褒めること」=「賞賛」をほしいため、もっともっとこちらに要求してくる、つまりこちらのエネルギーに依存してくる、という図式がベースにあるからだ。
そういうわけで、なんか最近は、今まで良いとされていたこと、褒めること、などの、逆をしてみたりすることが多いような気のする、今日この頃であった。
安心しなさいとのメッセージ ― 2014年04月06日

四月から消費税が8%になった。
今回の増税には納得いかないものも多々ある。
上がってしまったものは、もうどうしようもないが、いつか撤回されることを願う(笑)。
ところで今日、赤羽のビバホームに掃除関連の品を買いに行ったら、増税の憂鬱感を一時晴らしてくれるような、写真のようなちょうどの金額になった。レジの人もちょっとテンションが上がっていたようだ(笑)。
4000という数字がラッキーなのかどうかは、わからぬが、キリの良い数字だと、確かに何か良いことの前兆ではないか?と勘ぐってみたくもなる。
ちなみに4000を単数変換し、カバラ的に「4」という数字で、そのメッセージをドリーンバーチュー氏の「エンジェルナンバー(実践編)ダイヤモンド社刊」で調べてみた。
“天使が、あなたとともにいます。彼らは4という数字を送って、あなたの祈りが届き、助けていることを知らせ、安心させようとしています”。
天使は常に我々とともにいてくれるという。しかし特にこちらが心配したり迷ったりしている時は、こうした数字を送ってメッセージを届けてくれるそうだ。
今日は、特に安心することにしよう(笑)。
今回の増税には納得いかないものも多々ある。
上がってしまったものは、もうどうしようもないが、いつか撤回されることを願う(笑)。
ところで今日、赤羽のビバホームに掃除関連の品を買いに行ったら、増税の憂鬱感を一時晴らしてくれるような、写真のようなちょうどの金額になった。レジの人もちょっとテンションが上がっていたようだ(笑)。
4000という数字がラッキーなのかどうかは、わからぬが、キリの良い数字だと、確かに何か良いことの前兆ではないか?と勘ぐってみたくもなる。
ちなみに4000を単数変換し、カバラ的に「4」という数字で、そのメッセージをドリーンバーチュー氏の「エンジェルナンバー(実践編)ダイヤモンド社刊」で調べてみた。
“天使が、あなたとともにいます。彼らは4という数字を送って、あなたの祈りが届き、助けていることを知らせ、安心させようとしています”。
天使は常に我々とともにいてくれるという。しかし特にこちらが心配したり迷ったりしている時は、こうした数字を送ってメッセージを届けてくれるそうだ。
今日は、特に安心することにしよう(笑)。
はや3年 ― 2014年03月16日
東日本大震災から3年が過ぎた。
被災地の方々の衝撃に比べれば、微々たるものではあるが、東京で地震を体験した僕にも、相当のインパクトがあった。
東京で経験する震度4くらいの普通の地震は、地震自体の印象が残るくらいだが、3.11の地震は、その地震後の影響が甚だ大きく、東京も数か月そのショックを引きずっていた。
街全体が沈み込んだ感じや、混乱する東京の様子、閉塞感一杯の空の感じ等、なかなか忘れることのできない印象が残った。
外的な状況が、そのように印象深かったということで、当然内的な面、すなわち精神面にも大きなインパクトがあった。
僕の場合、特に人間とエゴイズムについて、深く考えさせられることになった。
そうした意味で、とても意義深く貴重な体験だった。
AKBは今も被災地訪問を続けているらしい。
僕も寄付などはしたが、他に被災地に対して何かできることはあるだろうか?と考えたら、後はできそうな事で残っているのが、被災地を旅行する、というのが良さそうだ。
只、今現在は諸事情により、すぐに旅行、というわけにはいかない。
それでも今年旅行に行くのは、良さそうなので、何とか今年中に実現したいものだと思っている。
被災地の方々の衝撃に比べれば、微々たるものではあるが、東京で地震を体験した僕にも、相当のインパクトがあった。
東京で経験する震度4くらいの普通の地震は、地震自体の印象が残るくらいだが、3.11の地震は、その地震後の影響が甚だ大きく、東京も数か月そのショックを引きずっていた。
街全体が沈み込んだ感じや、混乱する東京の様子、閉塞感一杯の空の感じ等、なかなか忘れることのできない印象が残った。
外的な状況が、そのように印象深かったということで、当然内的な面、すなわち精神面にも大きなインパクトがあった。
僕の場合、特に人間とエゴイズムについて、深く考えさせられることになった。
そうした意味で、とても意義深く貴重な体験だった。
AKBは今も被災地訪問を続けているらしい。
僕も寄付などはしたが、他に被災地に対して何かできることはあるだろうか?と考えたら、後はできそうな事で残っているのが、被災地を旅行する、というのが良さそうだ。
只、今現在は諸事情により、すぐに旅行、というわけにはいかない。
それでも今年旅行に行くのは、良さそうなので、何とか今年中に実現したいものだと思っている。
影の尽力 ― 2014年02月16日
金曜から土曜にかけて東京は、又雪が降った。
昨日夜中に目が覚めトイレに行った。
夜中の3時を過ぎていた。
用を済まし、ふと気が付くと、外から聞きなれない音が聞こえてくる。
雪解けの音では無く、明らかに人工的な音だ。
どうやら外で誰かが雪掻きをしている音のようだ。
家の近所は高齢者も多く、最初は、そうした近所の高齢者が早起きして雪掻きをしているものだと思った。
だが、それにしては3時は、多少早すぎるかな?とも思った。
気になって窓を開け、その音の主を確認した。
雪掻きをしていたのは、一人の警官だった。
警官が雪掻きをしていた場所は、坂になっている車道で、自動車はスリップの危険もある。
僕の住居近くには踏切があり、確かに時々警官が、踏切停止違反を張っていることが良くある為、近辺は警官の方々が普段良く使用する場所でもあるのだろう。
ともあれ雪掻きに至った経緯はわからぬが、いずれにしろ、夜中の3時に大変な作業である。
こうした影の尽力が、この地域の安全を支えているのだと思うと、本当に敬服すべき光景であった。
昨日夜中に目が覚めトイレに行った。
夜中の3時を過ぎていた。
用を済まし、ふと気が付くと、外から聞きなれない音が聞こえてくる。
雪解けの音では無く、明らかに人工的な音だ。
どうやら外で誰かが雪掻きをしている音のようだ。
家の近所は高齢者も多く、最初は、そうした近所の高齢者が早起きして雪掻きをしているものだと思った。
だが、それにしては3時は、多少早すぎるかな?とも思った。
気になって窓を開け、その音の主を確認した。
雪掻きをしていたのは、一人の警官だった。
警官が雪掻きをしていた場所は、坂になっている車道で、自動車はスリップの危険もある。
僕の住居近くには踏切があり、確かに時々警官が、踏切停止違反を張っていることが良くある為、近辺は警官の方々が普段良く使用する場所でもあるのだろう。
ともあれ雪掻きに至った経緯はわからぬが、いずれにしろ、夜中の3時に大変な作業である。
こうした影の尽力が、この地域の安全を支えているのだと思うと、本当に敬服すべき光景であった。
最近のコメント