カントさん2011年11月20日

朝通勤電車に乗る時、今はほぼ決まったドアから乗車することにしている。

いつも僕の乗る反対側のホームにも、僕とほぼ同じ時間で、ほぼ同じ位置から反対側へ向かう電車に乗って行くオッサンがいた。

駅に向かう時に、駅の直前で、大きな幹線道路の交差点を渡らなければならない。
僕も大体同じ時間駅に向かうようにはしていたが、このオッサンは、僕よりも更に正確な時間で、毎日ほぼ決まった信号のタイミングで、この交差点を渡っていた。
少なくとも僕がオッサンを見かける時は必ずそうだった。

僕が駅に向かっていき、まだ交差点まで距離がある時、このオッサンが交差点を渡るのが遠くに見えると「あっ、急がなくては」と思う。

ちょっと遅れ気味でヤバイな、とこの交差点に差し掛かった日などに、このオッサンが僕と同じタイミングで渡っているのと遭遇すれば「なんだ、間に合ったじゃん」となる。

僕は時計を持たないので、つまりはオッサンが時計の役割をするのである。

昔ドイツの哲学者カントは、その散歩の時間が非常に正確だった為、カントを見て村人は時計を合わせた、などというエピソードが残っている。
このオッサンは、僕の中で勝手に「カントさん」になった(笑)。

カントさんは僕と同じか、それより年上の初老に見える感じで、サラリーマンのようなスーツを着ているわけでは無く、いつもジーンズで私服のようないでたちであった。髪は結構長く、日本人というよりは、なんだかインデアンの系列人種のような雰囲気を醸し出していた。
そんな感じだから、職業・素性は全く類推できなかった。

この正確さと安定性は、かなりのもので、僕が今の駅を利用するようになって3年以上経つが、僕がいないことは勿論あれど、僕が駅に行く時に、カントさんが遅れたり休んだりするのは見たことが無かった。

そんなカントさんだったが、今年のあの3月11日の震災以来、その姿をパッタリ見かけなくなってしまった。

交差点での人間時計はいなくなってしまった。
実際カントさんに何があったかはわからない。
ただ、あの抜群の安定性と確実性を誇ったカントさんも、さすがにあの震災の影響は受けざるを得なかったのだろう。

カントさんを見かけなくなってから、僕は、じゃあ僕がカント二代目になろう、と思い立った。
誰かが僕の安定性と確実性を見て、何かを感じ取ってくれるかもしれない、などと思いついた。
あれ以来結構注意に注意を払って毎日同じ時間に家を出るようにしている。

ただ、やはりカントさんのようにはなかなかいかないもんだ。
ゴミ出しの日などに、それに手間取ってちょっと遅れると、もう1信号後になったりするし、順調にいってるな、などと浮かれていると、一つ早い信号になってしまったりする。
カントさんのタイミングがいかに正確だったかが、わかる。

そんなカントさんが駅から消えて、半年以上経った先日のこと。
仕事が終わって帰宅途中、いつも行くスーパーサミットに買い出しに行った時、サミット方面から人影がやってくるのが見えた。
その道は、夜はそんなに人通りが多くは無いので、成人男性がやってくるのはわかった。
ただ風邪を引いているようでマスクをしていた。

そして、その人影とすれ違った時、僕の記憶が、その人物が誰であるかを判断してくれた。

そう、カントさんであった。
一瞬のすれ違いであったが、そのフォルムと雰囲気で、すぐにわかった。

震災後、何らかの環境の変化をカントさんは体験したことと思われる。
ともあれ風邪とはいえ、元気な姿を確認できて、僕はホッとしたのであった。