もしかしたら守護霊は?・・・ ― 2005年06月18日
もう20年以上前の古い話で申訳ないが、僕がまだ上京する前、テレビで「私は後妻よ」というドラマをやっていた。
昼の帯にやってるようなコメディタッチのドラマで、主演は市毛良枝さん。今でも熟女の色気がある。勿論当時も色っぽく、確か当時の花嫁候補のランキングでも常に上位だったように記憶する。
「後妻」などという響きはその頃高校生位の僕などには神秘的な感じすらした。
ところが厄年も明けた今や、人妻っつっても年下の女性が大分増えた年齢になってしまった。
「人妻」という語感のエロ部分は、変な話、人妻が年上であることで、そのかなりの部分の神秘性を帯びていたのでは無いかとも思える。
タモリ氏が以前「笑っていいとも」で嘆いておられたが、年を取ってくると、高校球児・横綱・親方・校長先生・・・等等が何時の間にか年下の年齢になってきてしまうのだ。
それと同様に「人妻」もドンドン年下になってきてしまうのだ。
僕だって、こないだまで小さかったと思ってた自分の妹達が、いつしか人妻になり子供を産み、甥っ子姪っ子までできてしまうような年になってしまった。
・・と、まあ、んなこたあ今日は、どーでもよかったのだった。
「私は後妻よ」の詳しい内容等は、さすがに今はほとんど記憶にない。
印象に残っているのは、市毛氏の色っぽさと、このドラマに良く多摩川が出てきたことだ。
それともう一つ、どこかのシーンで出て来た「分倍河原」という名前の駅を、なぜか非常に鮮明に覚えていた。
分倍河原駅は東京府中市、JR南武線と京王線が交差する駅で、多摩川の近くにある。
このドラマの、小市民的で平凡ではあるが明るい感じが好きで、いつかこの「分倍河原」という駅を訪れてみたいな・・・という朧げな願望を当時は抱いていたものだった。
あれから20年以上経った。
この朧げで潜在意識に潜り込んでいたような半ば無意識的な願望は、実は知らぬ間に満たされていた。
今の住居は、分倍河原へは自転車で30分位でそれ程遠くは無い。勿論分倍河原に近づこうとして住居を選んだわけでは無いし、結構近いのは住んだ後から知った。
そして分倍河原駅自体は、後に嫌というほど通勤で使うこととなった。
多摩川中流に位置する分倍河原本体も自転車で嫌と言うほど通ることとなった。
最近では職場も変わり大分分倍河原を通過する回数は少なくなったものの、私用などで経由することは勿論今でもある。
嫌になるほど、と述べたのには少し理由があって、実はこの分倍河原は遥か古の時代、鎌倉幕府打倒の名目で新田義貞などの武将が激しい戦を繰り広げた合戦場としても有名な場所なのである。
討幕軍20万、幕府軍16万もの軍勢が総勢で集まったというから、ハンパじゃない大合戦だったのだろう。
そんな大合戦場のど真ん中を、僕は深夜自転車で毎日帰っていたのである。気持ち良いか良く無いかと問われたならば、どちらかと言えば後者だったエリアなのである。
話しは少し脱線するが、以前テレ朝の「オーラの泉」という番組に高島正宏氏がゲスト出演した時、彼の守護霊が武将で、その時に守護霊の回りに伴っていた未浄化の武士の霊達、おそらく家臣の霊達が、その存在を知られたことで(テレビで公表することで)成仏していったという話しをしていた。
この番組を見ながら僕は「もしかしたら自分の守護霊も武将なのではないか?」とふと思ったのである。
これは僕の全くの独断であるが、そう思った根拠を以下に列記してみる。
1.学生時代古典芸能で喜多流の能というのをやっていた。能一般は中国の猿楽が源流と言われている。只この喜多流は能と更に武道の型が融合したものであり、武家に愛好家がいた流派であった。ちなみに僕が能に造詣があって入ったわけでは無く、単に友人に誘われて入ったサークルであった。
2.僕は中学ではいわゆる課外部活動で野球部に所属していた。ただ授業としてのクラブ活動では剣道をしていた。今でも外で不愉快な野郎がいると、刀で一刀両断にしたい衝動に駆られる。ちなみにこれも僕が好きで入ったわけでは無く、単に友人に誘われて入った。
3我が家系においては、祖父方の先祖が南朝方の武家の末裔、すなわち楠正成一派の誰か、だとの伝説がある。
4.趣味として旧街道を歩くのが好き。中でも東京に残る旧鎌倉街道中道などは良く歩く。鎌倉街道と言えば、かつては鎌倉武士が鎌倉に馳せ参ずる為の道。事実、先にお話した分倍河原は、実は鎌倉街道の途上にあるのである。
5.今では少なくなったが、若い頃は大儀名分の為に自分を犠牲にしようとする衝動があった。
6.映画スターウォーズでもジェダイがライトセーバーを持って戦うシーンが異常に好き。但し日本のチャンバラには少し抵抗がある(これはかなりキーポイント)。
以上を考慮すると、自分の中にどうも「武士衝動」めいた力が、なぜか働いているような気がしてならず、これはもしかしたら守護霊の影響なのだろうか?、とふと思ってみたりもしていたところであった。
ここでチャンバラに抵抗があったことを少しお話しすると、正直なところ、僕はずっと長い間自分の中の「武士衝動」を認めたく無かった。
小さい頃チャンバラごっこは良くしたものの、やはり小さい頃にNHKで見た源義経のドラマで、弁慶が立ち往生して討ち死にするシーンが、ずっとトラウマになっていたくらいだ。
だから日本の合戦の情景というのに物凄く抵抗があった。
争いごとも苦手で、自分が戦うのも嫌だし、人が戦っているのも嫌だった。
そんなある意味気弱な平和主義者だったにも関らず、一方で自分の中に、得体の知れない大きな怒りが存在することも自分で感じていて、それを何とかしたい、解き放ちたい、という大きな葛藤が自分の中にあったのである。
ところが最近スターウォーズで言うところの、ダークサイド(暗黒面)に興味を持ち、それを探求したことでダークサイド的な事象に対して偏見が無くなり、自分のトラウマに対しても平常心で向き合える勇気がつき、戦争や争いを以前と違う視点で見るようになってきた。
その結果、例えば映画の話で言うと「仁義なき戦い」のようなバイオレンスな映画などにも偏見が無くなり、スターウォーズのジェダイのような、ある意味芸術的に昇華された武士的なスタイルに対しても、好意的に見られる視点が備わってきた。
考えて見れば、武士に縁のある地域に行くことになったり、今までやってきた剣道や能のように自分の意志では無く、導かれるように携わった武士的なものがあったり、ジェダイに憧れたりということで、自分の中には本来「武士衝動」があったのかもしれないなと、認められる方向になってきたのである。
僕の今までの人生は、もしかしたら、この武士衝動との葛藤だったのでは無いか?、とも思えて来たのである。
これはあくまでも全くの空想話になってしまうが、こうしたことを全て考慮すると、僕の守護をしてくれていた方は武士であり、僕自身も、もしかしたら前世のどこかで武士をやっていて、壮絶な戦い、例えば分倍河原の合戦のような大きな戦い等等、がトラウマになっていたのかもしれない。
もし、仮にそうだとしたら、いやたとえ、そうで無かったとしても、今まさに、そうしたダークサイドなイメージからは、もう解放される時が来たんだ、そう思い始めているのである。
自分の中にある退っ引きならぬ武士衝動を「ダークサイドな武士衝動」からジェダイのような洗練された「ライトサイドな武士衝動」に変化、再加工して行くべきではないかと。
かつて囚われたダークサイドから、もう過ぎた過去の時代から、解き放たれる時が来たのだ。
もし僕の守護をしてくれている方が武将だとして、やはり高島正宏氏と同じように、沢山の未だ成仏ならぬ家臣の人達を引き連れているとしたなら、その人達を解放してやるべき時が来たのでは無いかと。
もう戦わなくていいのだと。
それには、まず僕自身がダークサイドな想念に囚われないことが必要だ。
戦う人生では無く、創造する人生を選択することができるのだと。
かつての様々な戦いは経験として印象として確かに残った。しかしもうそこに居続けなくても良い、進化する為に次の新しいステップにドンドン進んで行くべきだと・・・。
話は再び戻って、並々ならぬ縁を持ったこの「分倍河原」という場所について考えてみた。
東京に来る前から「私は後妻よ」で「分倍河原」という名称を良く覚えていたので、東京に来てから僕は無意識にそこに導かれたのか?。
それとも、将来「分倍河原」に関ることがあることを、予知的に意識していて、それで当時「分倍河原」という言葉が印象に残ったのか?、すなわちかつて「私は後妻よ」を見た時に、僕は既に運命の糸で「分倍河原」に導かれていたのか?
それとも、もっと以前、言うならば生まれる前から、僕は「分倍河原」を知っていたのか?。
いずれにしろ僕は何かに導かれていたのだと思う。
なぜそう思ったかというと、つい今さっき、こんなことがあったからである。
ちょっと余談じみた話になって申訳ないが、今日のこの日記を書こうとして、分倍河原の合戦のことを調べようと「東京都の歴史」という本を本棚から取り出して、何気なくパッと開いた時、そのページが何と、「分倍河原の合戦」のページだった。
鳥肌が立ちました。
昼の帯にやってるようなコメディタッチのドラマで、主演は市毛良枝さん。今でも熟女の色気がある。勿論当時も色っぽく、確か当時の花嫁候補のランキングでも常に上位だったように記憶する。
「後妻」などという響きはその頃高校生位の僕などには神秘的な感じすらした。
ところが厄年も明けた今や、人妻っつっても年下の女性が大分増えた年齢になってしまった。
「人妻」という語感のエロ部分は、変な話、人妻が年上であることで、そのかなりの部分の神秘性を帯びていたのでは無いかとも思える。
タモリ氏が以前「笑っていいとも」で嘆いておられたが、年を取ってくると、高校球児・横綱・親方・校長先生・・・等等が何時の間にか年下の年齢になってきてしまうのだ。
それと同様に「人妻」もドンドン年下になってきてしまうのだ。
僕だって、こないだまで小さかったと思ってた自分の妹達が、いつしか人妻になり子供を産み、甥っ子姪っ子までできてしまうような年になってしまった。
・・と、まあ、んなこたあ今日は、どーでもよかったのだった。
「私は後妻よ」の詳しい内容等は、さすがに今はほとんど記憶にない。
印象に残っているのは、市毛氏の色っぽさと、このドラマに良く多摩川が出てきたことだ。
それともう一つ、どこかのシーンで出て来た「分倍河原」という名前の駅を、なぜか非常に鮮明に覚えていた。
分倍河原駅は東京府中市、JR南武線と京王線が交差する駅で、多摩川の近くにある。
このドラマの、小市民的で平凡ではあるが明るい感じが好きで、いつかこの「分倍河原」という駅を訪れてみたいな・・・という朧げな願望を当時は抱いていたものだった。
あれから20年以上経った。
この朧げで潜在意識に潜り込んでいたような半ば無意識的な願望は、実は知らぬ間に満たされていた。
今の住居は、分倍河原へは自転車で30分位でそれ程遠くは無い。勿論分倍河原に近づこうとして住居を選んだわけでは無いし、結構近いのは住んだ後から知った。
そして分倍河原駅自体は、後に嫌というほど通勤で使うこととなった。
多摩川中流に位置する分倍河原本体も自転車で嫌と言うほど通ることとなった。
最近では職場も変わり大分分倍河原を通過する回数は少なくなったものの、私用などで経由することは勿論今でもある。
嫌になるほど、と述べたのには少し理由があって、実はこの分倍河原は遥か古の時代、鎌倉幕府打倒の名目で新田義貞などの武将が激しい戦を繰り広げた合戦場としても有名な場所なのである。
討幕軍20万、幕府軍16万もの軍勢が総勢で集まったというから、ハンパじゃない大合戦だったのだろう。
そんな大合戦場のど真ん中を、僕は深夜自転車で毎日帰っていたのである。気持ち良いか良く無いかと問われたならば、どちらかと言えば後者だったエリアなのである。
話しは少し脱線するが、以前テレ朝の「オーラの泉」という番組に高島正宏氏がゲスト出演した時、彼の守護霊が武将で、その時に守護霊の回りに伴っていた未浄化の武士の霊達、おそらく家臣の霊達が、その存在を知られたことで(テレビで公表することで)成仏していったという話しをしていた。
この番組を見ながら僕は「もしかしたら自分の守護霊も武将なのではないか?」とふと思ったのである。
これは僕の全くの独断であるが、そう思った根拠を以下に列記してみる。
1.学生時代古典芸能で喜多流の能というのをやっていた。能一般は中国の猿楽が源流と言われている。只この喜多流は能と更に武道の型が融合したものであり、武家に愛好家がいた流派であった。ちなみに僕が能に造詣があって入ったわけでは無く、単に友人に誘われて入ったサークルであった。
2.僕は中学ではいわゆる課外部活動で野球部に所属していた。ただ授業としてのクラブ活動では剣道をしていた。今でも外で不愉快な野郎がいると、刀で一刀両断にしたい衝動に駆られる。ちなみにこれも僕が好きで入ったわけでは無く、単に友人に誘われて入った。
3我が家系においては、祖父方の先祖が南朝方の武家の末裔、すなわち楠正成一派の誰か、だとの伝説がある。
4.趣味として旧街道を歩くのが好き。中でも東京に残る旧鎌倉街道中道などは良く歩く。鎌倉街道と言えば、かつては鎌倉武士が鎌倉に馳せ参ずる為の道。事実、先にお話した分倍河原は、実は鎌倉街道の途上にあるのである。
5.今では少なくなったが、若い頃は大儀名分の為に自分を犠牲にしようとする衝動があった。
6.映画スターウォーズでもジェダイがライトセーバーを持って戦うシーンが異常に好き。但し日本のチャンバラには少し抵抗がある(これはかなりキーポイント)。
以上を考慮すると、自分の中にどうも「武士衝動」めいた力が、なぜか働いているような気がしてならず、これはもしかしたら守護霊の影響なのだろうか?、とふと思ってみたりもしていたところであった。
ここでチャンバラに抵抗があったことを少しお話しすると、正直なところ、僕はずっと長い間自分の中の「武士衝動」を認めたく無かった。
小さい頃チャンバラごっこは良くしたものの、やはり小さい頃にNHKで見た源義経のドラマで、弁慶が立ち往生して討ち死にするシーンが、ずっとトラウマになっていたくらいだ。
だから日本の合戦の情景というのに物凄く抵抗があった。
争いごとも苦手で、自分が戦うのも嫌だし、人が戦っているのも嫌だった。
そんなある意味気弱な平和主義者だったにも関らず、一方で自分の中に、得体の知れない大きな怒りが存在することも自分で感じていて、それを何とかしたい、解き放ちたい、という大きな葛藤が自分の中にあったのである。
ところが最近スターウォーズで言うところの、ダークサイド(暗黒面)に興味を持ち、それを探求したことでダークサイド的な事象に対して偏見が無くなり、自分のトラウマに対しても平常心で向き合える勇気がつき、戦争や争いを以前と違う視点で見るようになってきた。
その結果、例えば映画の話で言うと「仁義なき戦い」のようなバイオレンスな映画などにも偏見が無くなり、スターウォーズのジェダイのような、ある意味芸術的に昇華された武士的なスタイルに対しても、好意的に見られる視点が備わってきた。
考えて見れば、武士に縁のある地域に行くことになったり、今までやってきた剣道や能のように自分の意志では無く、導かれるように携わった武士的なものがあったり、ジェダイに憧れたりということで、自分の中には本来「武士衝動」があったのかもしれないなと、認められる方向になってきたのである。
僕の今までの人生は、もしかしたら、この武士衝動との葛藤だったのでは無いか?、とも思えて来たのである。
これはあくまでも全くの空想話になってしまうが、こうしたことを全て考慮すると、僕の守護をしてくれていた方は武士であり、僕自身も、もしかしたら前世のどこかで武士をやっていて、壮絶な戦い、例えば分倍河原の合戦のような大きな戦い等等、がトラウマになっていたのかもしれない。
もし、仮にそうだとしたら、いやたとえ、そうで無かったとしても、今まさに、そうしたダークサイドなイメージからは、もう解放される時が来たんだ、そう思い始めているのである。
自分の中にある退っ引きならぬ武士衝動を「ダークサイドな武士衝動」からジェダイのような洗練された「ライトサイドな武士衝動」に変化、再加工して行くべきではないかと。
かつて囚われたダークサイドから、もう過ぎた過去の時代から、解き放たれる時が来たのだ。
もし僕の守護をしてくれている方が武将だとして、やはり高島正宏氏と同じように、沢山の未だ成仏ならぬ家臣の人達を引き連れているとしたなら、その人達を解放してやるべき時が来たのでは無いかと。
もう戦わなくていいのだと。
それには、まず僕自身がダークサイドな想念に囚われないことが必要だ。
戦う人生では無く、創造する人生を選択することができるのだと。
かつての様々な戦いは経験として印象として確かに残った。しかしもうそこに居続けなくても良い、進化する為に次の新しいステップにドンドン進んで行くべきだと・・・。
話は再び戻って、並々ならぬ縁を持ったこの「分倍河原」という場所について考えてみた。
東京に来る前から「私は後妻よ」で「分倍河原」という名称を良く覚えていたので、東京に来てから僕は無意識にそこに導かれたのか?。
それとも、将来「分倍河原」に関ることがあることを、予知的に意識していて、それで当時「分倍河原」という言葉が印象に残ったのか?、すなわちかつて「私は後妻よ」を見た時に、僕は既に運命の糸で「分倍河原」に導かれていたのか?
それとも、もっと以前、言うならば生まれる前から、僕は「分倍河原」を知っていたのか?。
いずれにしろ僕は何かに導かれていたのだと思う。
なぜそう思ったかというと、つい今さっき、こんなことがあったからである。
ちょっと余談じみた話になって申訳ないが、今日のこの日記を書こうとして、分倍河原の合戦のことを調べようと「東京都の歴史」という本を本棚から取り出して、何気なくパッと開いた時、そのページが何と、「分倍河原の合戦」のページだった。
鳥肌が立ちました。
まだあったのかあ・・・ 【曇後晴】 ― 2005年06月19日
東京は今日は夕方晴れ間が見えて、ちょっと救われた気分になったなあ。
少し散策がてら、学生時代に住んでいた大塚などを歩いた。
昔何度か行った飲み屋がまだあった。2件あって両方とも健在のようだった。
今度久し振りに行ってみようかな、などと思った。
ただ一軒は普通の居酒屋だけど、もう一軒は小料理屋で、当時熟女のママがやっていた店で、そっちはそのママ目当の先輩に連れていってもらっていたから、僕単独ではちょっと行きにくい。もう先輩とも連絡もつかないし。
ママは当時で40代位に見えてたから、もう60過ぎの大熟女になってることだろう。
でもちょっと行ってみたい気はある。
もう一軒は、極普通の居酒屋で、やはり先輩に連れていってもらっていた。
ホッピーが置いてあるのが売りだった。
当時は結構年配の親父さんが一人でやっていた気がする。もしかしたら今は別の方がやってるのかもしれない。
ここは、その内行ってみたい。
地方人の僕にとって、東京は第二の故郷には成りえない、と若い頃は思っていた。
でも、今はこうした若い頃住んでいた場所が無性に懐かしく愛着を感ずる。
こうしてズルズルと生き長らえていると、さすがに20年くらいのレンジで自分の気持ちに微妙に変化が訪れるもんなんだな、と最近思う。これが大人になる、ということなのだろうか?。
ん?、レンタルDVDの7割がエロのやつが、そう簡単に大人になれるわきゃないだと?。
え〜ん、え〜ん、もう数字的には充分過ぎるほど大人(つうかオヤジ)なのにい〜っ(泣)。
少し散策がてら、学生時代に住んでいた大塚などを歩いた。
昔何度か行った飲み屋がまだあった。2件あって両方とも健在のようだった。
今度久し振りに行ってみようかな、などと思った。
ただ一軒は普通の居酒屋だけど、もう一軒は小料理屋で、当時熟女のママがやっていた店で、そっちはそのママ目当の先輩に連れていってもらっていたから、僕単独ではちょっと行きにくい。もう先輩とも連絡もつかないし。
ママは当時で40代位に見えてたから、もう60過ぎの大熟女になってることだろう。
でもちょっと行ってみたい気はある。
もう一軒は、極普通の居酒屋で、やはり先輩に連れていってもらっていた。
ホッピーが置いてあるのが売りだった。
当時は結構年配の親父さんが一人でやっていた気がする。もしかしたら今は別の方がやってるのかもしれない。
ここは、その内行ってみたい。
地方人の僕にとって、東京は第二の故郷には成りえない、と若い頃は思っていた。
でも、今はこうした若い頃住んでいた場所が無性に懐かしく愛着を感ずる。
こうしてズルズルと生き長らえていると、さすがに20年くらいのレンジで自分の気持ちに微妙に変化が訪れるもんなんだな、と最近思う。これが大人になる、ということなのだろうか?。
ん?、レンタルDVDの7割がエロのやつが、そう簡単に大人になれるわきゃないだと?。
え〜ん、え〜ん、もう数字的には充分過ぎるほど大人(つうかオヤジ)なのにい〜っ(泣)。
熟れた”又お越し下さい”【晴】 ― 2005年06月20日
この年で独身でいると恐いもんだ。
まあ、何というか女性に免疫ができてないというか何というか。
良くコンビニやファーストフードなどで、店員のオネエチャンがお釣りを渡してくれる時、手を添えてくれたりすると、僕のようなモテナイ独身中年、かなりハイテンションになってしまう。
オニイチャンにこれをやられるとチト閉口するので、やられそうになった時には、”ういーっす”などと気合いともカケ声ともつかぬような呻き声を発しつつ瞬時にサッと手を引く。
ま、んなこた、どーでもいいとして今日は、とある有名丼系チェーン店でやはりお釣りを貰った時に、女性に手を添えられた。シッカリと。
女性は女性でも、年はもしかしたら僕と同じくらいか、それよりずっと上、まあ世間一般で言うオバチャンであった。
この小太りでちょっと元気なオバチャンにお釣りを貰った時、その添えてくれた手の暖かさと柔らかさに、思わず、というか、不覚にもというべきなのか、ちょっと嬉しくなってしまった。
不覚にもオバチャンが、カワイク、というか、愛おしく、というか、まあそういったかなり好意的な風に見えてしまった。
手を添えながら「又お越し下さい」というので”ええ必ず”という意味の念を、その手に送ってしまった。
女性に手を握られて”又来てね”的なことを言われたことなど、記憶を辿るとずっと昔川崎の風俗店で言われた以来であった。
過ち、というのは、こういう所から火が立つんだなあ、とつくづく思った次第であった。
まあ、何というか女性に免疫ができてないというか何というか。
良くコンビニやファーストフードなどで、店員のオネエチャンがお釣りを渡してくれる時、手を添えてくれたりすると、僕のようなモテナイ独身中年、かなりハイテンションになってしまう。
オニイチャンにこれをやられるとチト閉口するので、やられそうになった時には、”ういーっす”などと気合いともカケ声ともつかぬような呻き声を発しつつ瞬時にサッと手を引く。
ま、んなこた、どーでもいいとして今日は、とある有名丼系チェーン店でやはりお釣りを貰った時に、女性に手を添えられた。シッカリと。
女性は女性でも、年はもしかしたら僕と同じくらいか、それよりずっと上、まあ世間一般で言うオバチャンであった。
この小太りでちょっと元気なオバチャンにお釣りを貰った時、その添えてくれた手の暖かさと柔らかさに、思わず、というか、不覚にもというべきなのか、ちょっと嬉しくなってしまった。
不覚にもオバチャンが、カワイク、というか、愛おしく、というか、まあそういったかなり好意的な風に見えてしまった。
手を添えながら「又お越し下さい」というので”ええ必ず”という意味の念を、その手に送ってしまった。
女性に手を握られて”又来てね”的なことを言われたことなど、記憶を辿るとずっと昔川崎の風俗店で言われた以来であった。
過ち、というのは、こういう所から火が立つんだなあ、とつくづく思った次第であった。
なあんだ、まだ大丈夫?【晴後曇】 ― 2005年06月21日
なんだ明日のテレ朝の「マシューTV」は、マシューと内P軍団の夢の共演じゃん。
今日の「さんま御殿」で、男は50代が一番モテル、なんて言ってたなあ。なあんだやったじゃん!。オレまだ望みあるかも。あとまだ7年あるじゃん。
ん?、40過ぎてモテたがってるようじゃ、そもそもダメだと?。
その前に貯金しろ?。
・・・ですよねえ・・・。
今日の「さんま御殿」で、男は50代が一番モテル、なんて言ってたなあ。なあんだやったじゃん!。オレまだ望みあるかも。あとまだ7年あるじゃん。
ん?、40過ぎてモテたがってるようじゃ、そもそもダメだと?。
その前に貯金しろ?。
・・・ですよねえ・・・。
花月東京公演【晴】 ― 2005年06月25日
有楽町の”よみうりホール”に吉本のなんば花月の東京公演を見に行って来た。
前半はネタ、後半は吉本新喜劇、ネタは、タカアンドトシ、海原やすよ・ともこ、ジョニー広瀬(マジック)、ガレッジセール、中田カウス・ボタン、月亭八方、オール阪神巨人。
新喜劇では座長の辻本茂雄を始めとし、東京で有名どことしては藤井君(藤井隆)や花ちゃん(山田花子)などが出ていた。
さすが本場の吉本の公演だけあって、僕がいつも行ってる新宿のルミネとは一味違う熟練された感じだった。
それにしても、お笑いもやっぱり生ライブはいい。
いつもテレビだけでお笑いを見ている人には、是非生を見ることをお薦めする。
さる筋の事情通の体験談を伺った際も、やはりゴム着用よりも生が断然良いとの見解であったことを考慮すれば、お笑いも当然生が良いだろう。
ん?、何の話をした?。
ライブを見ていると、お笑いというのは、ネタの面白さに加え、ある種の”心地良さ”も魅力なのかなと思った。
言葉で言い表すのが、ちょっと難しいけれど、テンポの良さというのか、間合いの取り方の良さとうのか、場の空気の読み方の良さというのか、見ていて感じる安堵感というのもあろう。
そうそう、スターウォーズ風に言うと、フォースの流れを掴んでいるというか、フォースの意志に沿っているというか、そういう感じの良さがヒシヒシと感じられた。やはり生のライブは、それが強い。
さる筋の事情通の体験談を伺った際も、やはりゴム着用よりも生が断然心地好いとの見解であったことを考慮すれば、お笑いも当然生が良いだろう。
ん?、何の話をした?。
ベテランの芸人さんは、特に場の雰囲気を掴むのが上手いようだ。
あの人達は、ある意味フォースを把握してるってことか。もしかしてあの人達は、”フォースのお笑い面”を駆使するジェダイ?。
勿論芸人さんの力もあるが、やはりお笑いフォースは観客との気持ちが一体となった時に最大のパワーを発揮する。
新喜劇では、泣かせどころもあり、僕などちょっと涙ぐんでしまった。
感極まったとこで、ドーッと落とす、そのタイミングが又実に良くて、それが反って笑いの本質というか笑いの持つ愛を垣間見せられた気がして、余計感極まったりする。
笑いと涙の両方兼ね備えているということは、エンターテーメントとして極めて上質なものなのだろう。
東京で、大阪の吉本と、東京の吉本両方見られるというのは有り難い。
まあ本場の、なんばグランド花月に行くのも、これ又楽しいけどね。
やっぱお笑いはイイな。
僕もエロジェダイを卒業し、次は”フォースのお笑い面”を駆使する、お笑いジェダイを目指したい、などと思った今日この頃でした。
前半はネタ、後半は吉本新喜劇、ネタは、タカアンドトシ、海原やすよ・ともこ、ジョニー広瀬(マジック)、ガレッジセール、中田カウス・ボタン、月亭八方、オール阪神巨人。
新喜劇では座長の辻本茂雄を始めとし、東京で有名どことしては藤井君(藤井隆)や花ちゃん(山田花子)などが出ていた。
さすが本場の吉本の公演だけあって、僕がいつも行ってる新宿のルミネとは一味違う熟練された感じだった。
それにしても、お笑いもやっぱり生ライブはいい。
いつもテレビだけでお笑いを見ている人には、是非生を見ることをお薦めする。
さる筋の事情通の体験談を伺った際も、やはりゴム着用よりも生が断然良いとの見解であったことを考慮すれば、お笑いも当然生が良いだろう。
ん?、何の話をした?。
ライブを見ていると、お笑いというのは、ネタの面白さに加え、ある種の”心地良さ”も魅力なのかなと思った。
言葉で言い表すのが、ちょっと難しいけれど、テンポの良さというのか、間合いの取り方の良さとうのか、場の空気の読み方の良さというのか、見ていて感じる安堵感というのもあろう。
そうそう、スターウォーズ風に言うと、フォースの流れを掴んでいるというか、フォースの意志に沿っているというか、そういう感じの良さがヒシヒシと感じられた。やはり生のライブは、それが強い。
さる筋の事情通の体験談を伺った際も、やはりゴム着用よりも生が断然心地好いとの見解であったことを考慮すれば、お笑いも当然生が良いだろう。
ん?、何の話をした?。
ベテランの芸人さんは、特に場の雰囲気を掴むのが上手いようだ。
あの人達は、ある意味フォースを把握してるってことか。もしかしてあの人達は、”フォースのお笑い面”を駆使するジェダイ?。
勿論芸人さんの力もあるが、やはりお笑いフォースは観客との気持ちが一体となった時に最大のパワーを発揮する。
新喜劇では、泣かせどころもあり、僕などちょっと涙ぐんでしまった。
感極まったとこで、ドーッと落とす、そのタイミングが又実に良くて、それが反って笑いの本質というか笑いの持つ愛を垣間見せられた気がして、余計感極まったりする。
笑いと涙の両方兼ね備えているということは、エンターテーメントとして極めて上質なものなのだろう。
東京で、大阪の吉本と、東京の吉本両方見られるというのは有り難い。
まあ本場の、なんばグランド花月に行くのも、これ又楽しいけどね。
やっぱお笑いはイイな。
僕もエロジェダイを卒業し、次は”フォースのお笑い面”を駆使する、お笑いジェダイを目指したい、などと思った今日この頃でした。
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