晴れと褻のバランス2007年06月08日

 火曜日はどういうわけか、急にキリンカップに行けることになって、さいたまスタジアムまで見に行ってきた。
 職場の人からチケットが余ったというので、誘っていただいた。
 スタジアムに行ったら、これまたメッチャ良い席で、バックスタンドの前から二列目、マスコミの方々のすぐ後ろであった。

 試合はマスコミ発表の通り、0-0の引き分け、日本は優勝だったらしい。
 試合内容は、お世辞にも良いとは言えず、ハッキリ言ってしまえば凡戦の印象が否めなかったが、まあお祭りイベントの雰囲気を味わうことができて良かった。

 僕は2002年の日本でのワールドカップ、日本-ロシア戦の時も、全く行く予定が無かったのに、なぜかあれよあれよという間に、いつの間にかチケットが舞い込んできて行けることになった。

 いくら頑張っても思い通りに行かないことがあるのに、一方では全くそのつもりが無かったのに、いつしか導かれるように直面する事態がある。人生とは不可思議なもんだ。

 ここでワールドカップ、キリンカップに導かれた意味を考えてみた。

 それは「祭りの重要性を認識し晴れと褻のバランスを取れ」とのメッセージがあったのではないか?、ということだ。

 この考えが出てくるにあたって、最近ちょっとした伏線の出来事があった。
 それは僕が引っ越してしばらくしてから、たまたまちょうど実家の母が上京する用事があり、それを機会に、東京の兄弟達が僕の家に集まり皆で引っ越し祝いをやった、というのがあったことだ。

 甥っ子なども来て、夜間にも関わらず奇声を上げ、ちと閉口したものの、子供が来てくれたことで、何か邪気払いができたような気がした。

 昔から宴・祭り、というのは邪気払い、すなわち清めの儀式の意味合いがあったようだ。
 「晴れ」と「褻(け)」というのは、大ざっぱに言えば、「晴れ」は「晴れの舞台」という言い回しにも使うように非日常的なイベント、一方「褻」は日常的な出来事といえる。
 人間の社会的生活においてはバランスをとる為に、「晴れ」と「褻」の場が設けられてきた。「褻」で膠着した日常に「晴れ」でインパクトが与えられアクセントがつくことによって、エネルギーがスムーズに流れだしバランスがとれる。

 僕の場合、ちょうどタイミングよく家族が東京の僕の家に集い、宴を催し、生活がほとんど「褻」の僕に思いがけず「晴れ」の場を提供してくれた。膠着した日常のエネルギーにインパクトを与えてくれた。

 日本の現代ビジネス社会に身をおいていると、なかなか「晴れ」と「褻」のバランスが取りづらい。とはいえ「晴れ」の場自体が数が減ったりしているわけでは無い。「晴れ」があっても「褻」が「晴れ」を押しつぶすようなパワーが巣食っているのかもしれない。

 こんな状態、もし気づかなければ、ずっとこのままで日常を過ごしていただろう。
 そこで、引越を機に家族が参会したことと、キリンカップというイベントによって、「晴れ」と「褻」のバランスを取れ、とのメッセージを僕に知らしめる意味合いがあったのかもしれない。

洗濯との和解2007年06月09日

 今度越したところは都電のすぐ近くで、契約した時は大好きな都電の近くで風情があってイイなと思っていたのだが、実際住んでみると、踏切の音などがウルサクて、朝などもそれで起きてしまうくらいの感じで、こりゃノイローゼになってしまうんでねえか?とかなり不安になった。
 都電以外にも、昼間は車や人の往来も結構多く、稲城に住んでいた時と比べて、都会の騒音がドッと僕の生活にも入り込んできた。

 ところが人間、よくしたもんで一ヶ月くらい経つと、この騒音にも慣れてきた。
 夜は、それほど気にならないし、昼間も何か、テレビとかパソコンとかに、に集中していれば、ほとんど、忘れてた、くらいに気づかないくらいである。

 都会の騒音は、他の引っ越したメリットの代償に引き受けた事象なのだ、と変に納得してしまってる。

 他のメリットというと、やはりスペースと日当たりを得たことだ。

 間取りが1Kから2DKになって俄然スペースが増えた。スペースのパワーはスゴイ。今更ながら感動している。
 例えば、今まで「洗濯」に対して、僕はかなり理不尽とも言える「怒り」を抱いていた。
 その「洗濯」に対する「怒り」が、最近ウソのように消えているのに気づいた。
 ともすれば「洗濯が楽しみ」くらいに気持ちが変化しているのに自分でも驚いたくらいだ。
 これには、引っ越した当初、給水管の不具合などで洗濯機が使えず、しばらくコインランドリーの生活をしていたことも影響はしている。
 今の部屋は築が古く、洗濯機は外置きである。屋根も無く勿論普段は雨ざらし、日当たりが良いのが逆に災いして電化製品の洗濯機には良くない。
 そうした諸々の事情で最初、洗濯機使えるのかよ?、とかなり不安があった。

 しかし洗濯機も外に何とか設置、給水管も買い換えて、洗濯機カバーも買い、外置き洗濯機生活も何とか軌道に乗ってきた。
 外置きの不便さで意外に盲点だったのが、快晴で太陽の日差しが強い日は、洗濯機のパネルの電光文字が明るすぎて全く見えない、ということだ。手をかざして暗くしたくらいでは全くわからない。これは今どきのAI搭載の洗濯機には手痛いハンディだ。

 こういろいろハンディが多いと、洗濯機に対して、いつもちゃんと動いてね、となぜか愛情めいたものすら感じるようになってきた。
 朝は明るくてパネルが見えないので前日のうちにタイマーをかけておいて、翌日外出してから帰ってきて、ちゃんと洗濯ができてるかどうか確認するのが嬉しくなってきた。

 しかも今は洗濯物を干すスペースが前に比べて沢山ある。
 しかも、である。
 今度の部屋は、結構風通しが良く、洗濯物の乾きが、前に比べて格段に早い。コインランドリーの生活の時に、乾燥機は随分便利だと思ったが、この乾きの早さなら室内干しでも全然問題無いのである。
 稲城時代は洗濯が嫌で、なるべく洗濯の回数を減らそうと溜めていたのが、今や1日おきくらいにしたいくらいで、頻繁にすると、洗濯物が無くなり、洗濯物が無いと寂しくなったりするくらいまで、心境が変わった。
 こんな変化は引っ越すまでは思いもしなかった。

 洗濯の他にも、掃除片付けなど家事に抱いていた嫌悪感が、ウソのように消えた。
 掃除や洗い物もスペースがあると俄然ヤル気が出てくる。

 今こうして振り返って考えてみると、僕が抱いていた怒りは、「洗濯」自体に対するモノでは無かったようだ。
 それは「スペースが無いことに対する怒り」、「スペースが無いことで不自由になっていることに対する怒り」だったようだ。

 怒りというのは、相当なエネルギーを消費する。
 今まで随分無駄なエネルギーをダークサイドに注いでいた。
 これからは、その怒りが無くなった分のエネルギーを、今までやろうと思って後回しにしていたことに注ぎたいと思う今日この頃なのである。

初めての冷蔵庫2007年06月10日

 前の冷蔵庫が壊れてから、ずっと冷蔵庫無しの生活を送ってきた。
 そして今日数年ぶりに冷蔵庫が我が家に来た。
 純白の昔ながらの2ドアタイプのやつだ。一人暮らしには十分である。

 冷蔵庫の説明書を読みながら、ふと、その状態に違和感を覚えた。
 「あれ?、オレ、冷蔵庫の説明書なんて、今まで読んだことネエなあ・・・」
 それもそのはずだった。
 東京に来てから25年経つが、寮暮らしの時は寮のヤツがあったし、それ以外は冷蔵庫は誰かからお古を頂戴していた。説明書なんてついてなかった。つまり自分で冷蔵庫を買ったことが無く、冷蔵庫を自分で買うのは良く考えてみたら今回が初めてだったのである。
 新品冷蔵庫の説明書を読むなんて良く考えたら初めてのことだった。

 冷蔵庫なんて、かなり日常生活に密着した電化製品なのに、一人暮らしの長い僕が、25年して初めて自分で選んだ冷蔵庫を買った、ということが、なんかとても不思議に思えて仕方ない今日この頃なのであった。

次はアドバイザーのステップへ2007年06月11日

 今日日本アロマ環境協会から、こないだのアロマテラピー検定の結果が郵送されてきた。
 1・2級併願で受け、両方とも合格した。
 今年の始めくらいから勉強を開始、地道に進めてきたが、いろいろあった挙げ句の合格で、なんか報われたような感じでホッとした。

 合格率9割というので、それほど心配は無かったが、勉強しないでできるような代物でも無かった。
 その辺は自動車の免許の検定みたいだが、実際勉強してみると、かなり手強い感じもあった。
 それなのに合格率9割というのは、つまりは、この検定を受検してくる人は皆、結構気合い入れて勉強してくるのだ。

 次のステップとして日本アロマ環境協会に入会し、8月に講習会を受けると、アロマテラピーアドバイザーというのの資格が取得できるらしい。勿論僕は受講予定である。

 ところで月9の主題歌の桑田佳祐の「明日晴れるかな」が聞きたかったので、最近音楽はiPodばかりだったが久しぶりに携帯で曲をダウンロードした。
 この桑田佳祐という人はスゴイな。もう僕が10代の頃から、ずっと第一線で活躍してる。
 なんかちょっとの嫉妬と羨望と、それから賞賛の思いで「明日晴れるかな」を今聞いています。

折戸通りは僕の瞼の中に2007年06月16日

 先週、前に住んでいた稲城のアパートのリフォーム&クリーニングが終わったそうで、結局敷金からの多少のバックがあった。
 大分部屋を汚していたので多少足が出るのは覚悟していたが、大家さんの計らいもあり、足も出ない上にバックまであった。
 これで稲城ライフも最終章を迎え、新生活にシフト完了。

 北区在住だが、学生時代に住んでた生活圏にカムバックした。すなわち良く利用する街が、大塚・巣鴨(豊島区)である。言わば大塚・巣鴨er(おおつかすがまあ)に又戻った。

 大塚駅からJRに乗る時、駅前にある猫の額程の小さな自転車置き場に自転車を置いて出かける。ここは狭いのに、僕が置くときはラッキーなことに、なぜかいつも自転車が置けるスペースがある。
 25年前、学生時代のある時期、やっぱりここに自転車を置いて学校に通った。
 あの頃は、もっと空いてたような気もする。でも駐輪場自体ほとんど変わってない。

 巣鴨の地蔵通り商店街は、4のつく日や休日は人手で賑わう。
 そんな中を、手荷物をカゴに入れ自転車で人の往来を縫って走っていく。
 これも20数年前、巣鴨erだった僕の生活習慣と変わらぬ姿だ。

 最初はこの地域に引っ越す考えは無く、埼玉の大宮辺りで安くて広いのをと考えていた。
 それが、ちなみにこの辺りは自分の条件の物件があるのかな?と、たまたま、それ程意識もせず軽い気持ちで探してみたところ、何の気無しに見つけた物件がズバリ好条件で、それからは、あれよあれよという間に事が進み、結局僕は20数年前と同じ、この地域を生活圏とする、大塚・巣鴨erにカムバックした。たまに板橋er(いたばさあ)や駒込er(こまごまあ)にもなったりするが。

 休日自転車で街に出ると、なんかとても不思議な感じがする。
 僕はあの頃住んでいた地域に戻ってきた。
 でもやっぱり、昔とは感覚が違う。買い物もする感じも、人も、当たり前のことだが、皆新しいものばかりだ。
 もう僕が前に居た時の、あの頃の感じを完璧に探し出すのは難しいのである。
 やはりビートルズが歌うが如く、”PennyLane is in my ears and in my eys ♪”なのだ。
 ”折戸通りは〜、僕の瞼の中に〜、地蔵通りは僕の頭の中に〜♪”なのだ。

 一番大きく変わったのは、大塚の駅前でも巣鴨の駅前でも無い。
 なんと言っても僕のこの街に対する意識が、もう一番大きく変わっているのだ。
 20年以上も経てば、人間の子供だって、立派に大人になる。
 大塚巣鴨は東京に出たての僕を育ててくれた街だ。当時はこの街に、いつもブーたれていたもんだった。僕など反抗期の子供のようでもあった。

 そして今、僕と大塚・巣鴨は、成人した子が親と対面するように、関係性が完全に変わっていたのである。
 もうこの街に僕の居た街は無い。この街に、もう僕の過去は無いのである。僕の街は僕の頭の中にある。街は常に動いている。
 もう確実に時代は変わっている。新しい時代が始まっていたのである。

初めてのレンジ2007年06月17日

 今日電子レンジがきた。
 こちらは冷蔵庫と違って、今まで自分では持ったことがない。
 文字通り、初めてのお買い物だった。

 どうも貧乏癖が抜けず、電子レンジは贅沢品、というイメージが僕の中では強かった。
 でも今は、昔では考えられないスゴイ機能が付いた製品でも、一万円台で買える。
 もう電子レンジを買わない理由は僕には無かった。

 コンビニで買った枝豆と焼き鳥をチンして、買い置きして冷蔵庫で冷やしておいたビールを、やはり冷やしておいた中生グラスで一杯やる。
 稲城では考えられなかった生活に、何かひどく充実感を感じてしまった。

 コンビニの枝豆とビールで、何をそんなに感激してるか?、と言われそうだが、それだけ前のアパートでは、生活状態が混乱の極みだったと言える。

 今2DKで、ようやく普通のストレスのかからない暮らしができるスペースが確保できた。それでも、収納は既に満杯、DKはCD置き場と化し、本来のDK機能を損ねてしまっている。
 これでもかなり荷物を捨てて越してきたつもりだ。
 この2DKでも一杯の荷物が、もっとあった状態で1Kに押し込まれていたと思うと、今更ながらゾッとする。しかも一時期ゴキブリの巣窟状態だった時期もあった。仕事がタイトで全然休みの無い時期もあり、帰ってきてもゴキブリが待っているだけの寝るスペースしか空いて無い部屋で、全くよく普通の精神状態でいられたなと、我ながら感心する。
 いやいや、もしかしたら精神状態はオカシかったかもしれんが、そういうのは自分では気づかないもんだ。鬱屈した状態で何か間違った判断をしてしまったこともあるかもしれん。今更遅いかもしれんが。

 そんなわけで、今のこの時期は、何でもないようなことが〜、幸せなんだと思う〜♪、状態でいられることが有り難い。
 ちょっとしたことが、すごく嬉しい。

 トイレがウォッシュレットなことが、すごく嬉しい。
 部屋を出ると、頭上に高圧鉄線が無いことが、すごく嬉しい。
 風呂に窓があって、朝シャワーを浴びた時に息苦しくならないのが、すごく嬉しい。
 押し入れの扉がすぐ開けるのが、すごく嬉しい。
 朝から日が差すのが、すごく嬉しい。
 部屋を歩く時に洗濯物が顔にかかったりビデオが崩れ落ちてきたりしないことが、すごく嬉しい。
 「痛くない?」って聞いた時に、「ううん、気持ちイイ」と言われると、すごく嬉しい。
 ん?、なんじゃそりゃだと?。ありゃ?、失礼、説明不足でした。初めて整体治療してもらおうとして行こうとした医者が、どんな具合か聞いた時に、のことです・・・。え?、関係ねえだって?。ごもっともです。

 でも不便になったこともいろいろある。
 インターネットの回線が不安定になって、繋げない時が良くある。
 ゴミの提出が厳しくなった。
 騒音が増えた。水回りが古くて使いにくくなった。
 自然が少なくなった。
 ・・・etc。

 今はそれでもプラマイでちょっとプラスだと思ってる。マイナスはプラス要因でカバーできてる。
 ある意味、うまい具合にバランスが取れてる、そう思うことにしてる。

雨と音楽2007年06月22日

 今日は梅雨らしい天気だった。
 このところの晴れ続きで、こんな時期に今日のような日は、ほっとしたりする。

 昔から雨のつく歌は名曲が多いとされてきた。
 僕もちょっと思いつくだけでも、
 「雨にぬれても」BJトーマス(バートバカラック作)
 「雨に微笑みを」ニールセダカ
 「雨の日と月曜日は」カーペンターズ(ポールウイリアムス作)
 日本でも
 「雨の物語」伊勢正三(イルカが歌ってヒット)
 「雨の街を」ユーミン
 「雨の夜明け」大貫妙子
 「雨が降る」チューリップ
 いずれも1聴の価値ある確固たる名曲だ。
 ニールセダカは自身のライブで「雨に微笑みを」を歌うとき、「天からメロディが降りてきた」みたいなことを言ってた記憶がある。

 雨とか失恋は、名曲を生み出す非常に優れた契機となるようだ。
 逆に考えれば、雨とか失恋のプレッシャーをカバーする為に、音楽があるのかもしれない。