運命の人 ― 2008年09月06日

良く、運命の人に出会ったとき、ビビッとくる、という。
もしいわゆる異性のパートナーとしての運命の人の定義を、この「ビビッと」とするならば、僕は一体今まで、どれぐらい沢山の運命の人と出会っただろうか。
これは僕だけではない、と思う。およそ男=オスというものなら、自分の好みのタイプを見たら、瞬間的にビビっときているのでは無かろうか?。
芸能人のとびきりカワイイのをテレビで見た瞬間、ビビっときて、街で美人を見かけビビっときて、それこそ盛りのついた動物の如く、四六時中ビビビビ来ているのではなかろうか?。
つまり言ってしまえば、この「ビビッと」だけでは、いわゆる異性のパートナーとしての運命の人の定義としては、いささか弱い気がするのである。
以前、通勤電車で、朝二本乗り換えがあって、その二本共に同じ時間同じ車両に乗ってくる女性がいた。
しかも僕にしたら物凄いタイプ、超ストライクの子で、更には満員電車で同じになるので、そりゃもうかなり興奮する状態にもなるくらい密着したりして、随分通勤に幸せな瞬間を与えてくれた女神のような女性だった。
しかも、僕が仕事の都合で、いつもと全然違う時間に電車に乗ったのに、その子がいたりした時もあり、こりゃ完全に運命の人だと思ってしまったくらいだった。彼女がたまに車内で携帯を見ているので、そのことにかこつけてメールアドレスを教え合おうよ、と言ってみよう、・・・などという妄想をいつも抱いていた始末だった。
ところがとある日、ほんのちょっとしたハプニングが起こった。
いつものように満員電車に乗り込む時、これまたいつものようにドアのところで彼女と並ぶ格好になった。僕はいつものように”シメシメまたオイシイ時間ですな、こりゃ!、などと思っていると、僕のカバンがドアに挟まってるのに気づいた。朝の通勤時にこの状態、勿論大ひんしゅくである。
僕はカバンを引っ張りながら思わず「チッ!」と舌打ちしてしまった。
するとなんとこの後、あろうことか彼女がなぜか、僕の隣の立ち位置をズルズルとどいて、後ろ、つまり電車の中の方に引っ込んでしまったのである。
ん!?、ありゃりゃ、なぜ?、どーして?。
僕は?????の、つきまくった状態で、彼女の代わりに変なオヤジが立ち位置に入ってきたのも気づかず、呆然とそのままその状態で終点までやり過ごしてしまった。
その日からである。
どうしたことか彼女が「僕を避けるような感じ」になり始めた。
同じ電車でも違う入り口から乗ったり、もう時間帯すら、ずらして乗るようになってしまった。
最近彼女遠くでしか見られないなあ・・・、などとテンション下がりまくっている内に、結局何もリカバリーもできない状態で、僕は職場の転換になり、その電車に乗ることも無くなり、彼女との縁は途絶えてしまった。
今でもなぜ彼女が、あの時、僕の隣の立ち位置をどいたのかワカラナイ。
僕の変に殺気だった感じに嫌気が差したのか?。
一番悲しいのは、僕の舌打ちが彼女に向けられたものと誤解してしまった、などということがあったとしたらタマラナイ。それは無かったと願いたい。
結局、あんなに奇跡的なタイミングが合ったり、容姿もタイプの子でも、なんのことも無いクソみたいなことがキッカケとなって、疎遠になってしまうのである(それが原因かもわからんけど)。
最近僕が思うに、いわゆる異性のパートナーとしての運命の人の定義には、もう一項目重要な項目を追加してもらわんと、いかんな、とつくづく思う。
勿論「ビビッと」も必要条件ではあろう。
モテナイしがない独身中年オヤジの僕が言うのも大変おこがましいのであるが、僕が思う、もう一項目は「お互いの間のハプニングやトラブルも、それをリカバーする機会があって、尚かつそれでお互い成長しあえる仲」、それがいわゆる異性のパートナーとしての運命の人の条件、では無いか?と思う。
これは結局どういうことかというと、ある程度お互い親密な距離になって、それなりの期間というか時間をかけないとわからない、ということでもある。
逆に言えば、ちょっとくらい喧嘩したり、気まずい感じになっても、なんとかそれを克服するチャンスや時間や場所が与えられている仲、だったら、いわゆる異性のパートナーとしての運命の人、かもしれない。
もし先の電車の彼女がいわゆる異性のパートナーとしての運命の人だったら、あの謎の撤退があっても「最近あまり一緒にならないね、どうした?」などと僕が発言できる機会が与えられていたことだろう。実際は勿論、そんなレベルでもノリでも無かった。つまりハッキリ言ってしまえば「縁が無かった」ということになる。
誤解無きように言っておくが、今は僕はあくまでも、いわゆる異性のパートナーとしての運命の人、というのに限定して述べている。すなわち恋人や配偶者、ということである。
本当に宇宙的に広い意味で言ってしまえば、僕らが出会う人々は、性別年齢関係なく全て運命の人だ。勿論先の電車の彼女だって、宇宙的運命の人であったことは間違いない。
もしいわゆる異性のパートナーとしての運命の人の定義を、この「ビビッと」とするならば、僕は一体今まで、どれぐらい沢山の運命の人と出会っただろうか。
これは僕だけではない、と思う。およそ男=オスというものなら、自分の好みのタイプを見たら、瞬間的にビビっときているのでは無かろうか?。
芸能人のとびきりカワイイのをテレビで見た瞬間、ビビっときて、街で美人を見かけビビっときて、それこそ盛りのついた動物の如く、四六時中ビビビビ来ているのではなかろうか?。
つまり言ってしまえば、この「ビビッと」だけでは、いわゆる異性のパートナーとしての運命の人の定義としては、いささか弱い気がするのである。
以前、通勤電車で、朝二本乗り換えがあって、その二本共に同じ時間同じ車両に乗ってくる女性がいた。
しかも僕にしたら物凄いタイプ、超ストライクの子で、更には満員電車で同じになるので、そりゃもうかなり興奮する状態にもなるくらい密着したりして、随分通勤に幸せな瞬間を与えてくれた女神のような女性だった。
しかも、僕が仕事の都合で、いつもと全然違う時間に電車に乗ったのに、その子がいたりした時もあり、こりゃ完全に運命の人だと思ってしまったくらいだった。彼女がたまに車内で携帯を見ているので、そのことにかこつけてメールアドレスを教え合おうよ、と言ってみよう、・・・などという妄想をいつも抱いていた始末だった。
ところがとある日、ほんのちょっとしたハプニングが起こった。
いつものように満員電車に乗り込む時、これまたいつものようにドアのところで彼女と並ぶ格好になった。僕はいつものように”シメシメまたオイシイ時間ですな、こりゃ!、などと思っていると、僕のカバンがドアに挟まってるのに気づいた。朝の通勤時にこの状態、勿論大ひんしゅくである。
僕はカバンを引っ張りながら思わず「チッ!」と舌打ちしてしまった。
するとなんとこの後、あろうことか彼女がなぜか、僕の隣の立ち位置をズルズルとどいて、後ろ、つまり電車の中の方に引っ込んでしまったのである。
ん!?、ありゃりゃ、なぜ?、どーして?。
僕は?????の、つきまくった状態で、彼女の代わりに変なオヤジが立ち位置に入ってきたのも気づかず、呆然とそのままその状態で終点までやり過ごしてしまった。
その日からである。
どうしたことか彼女が「僕を避けるような感じ」になり始めた。
同じ電車でも違う入り口から乗ったり、もう時間帯すら、ずらして乗るようになってしまった。
最近彼女遠くでしか見られないなあ・・・、などとテンション下がりまくっている内に、結局何もリカバリーもできない状態で、僕は職場の転換になり、その電車に乗ることも無くなり、彼女との縁は途絶えてしまった。
今でもなぜ彼女が、あの時、僕の隣の立ち位置をどいたのかワカラナイ。
僕の変に殺気だった感じに嫌気が差したのか?。
一番悲しいのは、僕の舌打ちが彼女に向けられたものと誤解してしまった、などということがあったとしたらタマラナイ。それは無かったと願いたい。
結局、あんなに奇跡的なタイミングが合ったり、容姿もタイプの子でも、なんのことも無いクソみたいなことがキッカケとなって、疎遠になってしまうのである(それが原因かもわからんけど)。
最近僕が思うに、いわゆる異性のパートナーとしての運命の人の定義には、もう一項目重要な項目を追加してもらわんと、いかんな、とつくづく思う。
勿論「ビビッと」も必要条件ではあろう。
モテナイしがない独身中年オヤジの僕が言うのも大変おこがましいのであるが、僕が思う、もう一項目は「お互いの間のハプニングやトラブルも、それをリカバーする機会があって、尚かつそれでお互い成長しあえる仲」、それがいわゆる異性のパートナーとしての運命の人の条件、では無いか?と思う。
これは結局どういうことかというと、ある程度お互い親密な距離になって、それなりの期間というか時間をかけないとわからない、ということでもある。
逆に言えば、ちょっとくらい喧嘩したり、気まずい感じになっても、なんとかそれを克服するチャンスや時間や場所が与えられている仲、だったら、いわゆる異性のパートナーとしての運命の人、かもしれない。
もし先の電車の彼女がいわゆる異性のパートナーとしての運命の人だったら、あの謎の撤退があっても「最近あまり一緒にならないね、どうした?」などと僕が発言できる機会が与えられていたことだろう。実際は勿論、そんなレベルでもノリでも無かった。つまりハッキリ言ってしまえば「縁が無かった」ということになる。
誤解無きように言っておくが、今は僕はあくまでも、いわゆる異性のパートナーとしての運命の人、というのに限定して述べている。すなわち恋人や配偶者、ということである。
本当に宇宙的に広い意味で言ってしまえば、僕らが出会う人々は、性別年齢関係なく全て運命の人だ。勿論先の電車の彼女だって、宇宙的運命の人であったことは間違いない。
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