最後は自分2005年06月01日

 自分を最終的に癒せるのは、他の誰でも無い、他ならぬ自分自身。
 自分が自分らしく生きて、自分らしく世の中に貢献できた時、初めて完全な癒しが訪れる、そう信じて、それを希望に、今は生きています。

Mの悲劇2005年06月02日

 満員電車で僕の前に二人の女性がいた。
 ネエチャン二人超至近距離で僕を囲むような形で、喋くっていた。
 僕もその会話の輪の一員みたいな非常に気まずい状況ではあった。
 ま、そんなことはどうーでも良いのだが、このオネエチャン達、何を喋くっていたかというと、合コンの話しをしていた。

 そこで焦点となっていたのは”男のカッコイイは当てにならないよねえ”という命題であった。
 ”男のカッコイイは当てにならないよねえ”、すなわち彼女達の論点に沿って意訳するならば、「男性が、自分達の仲間をして”カッコイイ”と評した男性は、概して私達の美的観点からすれば全然カッコ良かったといった事例は無く、その”カッコイイ”という評は私達から言わせてもらえば全く当てにはならない」ということになる。

 良く男性陣の間で交わされる定番の会話として「女の”カワイイ”は当てにならん」というのがある。
 これは先のオネエチャン達の提示せしめた命題の完全なる男性版と言って良かろう。
 結局、男も女も感じるところは同じ、ということなのだろう。

 オネエチャン達の血祭りに上げられていたのは、”Mちゃん”なる他称イケメン男性であった。
 彼女達によれば”Mちゃん、確かに作りはいいかもしれないけど、そんなにイケメンて感じじゃないよねえ”とのことであった。
 男性陣の触れ込みでは、”Mちゃん”がとっておきの四番打者だったのであろう。ところがオネエチャン達にとって、この四番は残念ながら不発に終わった。オネエチャン達落胆は隠せなかったようである。

 その他諸々”Mちゃん”言われていたが、よもや自分がこんなとこでモテナイ中年男性傍聴付の状況で、オネエチャン達に結構ケチョン2にけなされていたとは、男性陣の秘密兵器でもあったであろう”Mちゃん”全く預り知らぬところだったであろう。
 ひょんなことから偶々居合わせた為に、こんな”Mちゃん”の悲劇を聞いてしまった僕も、モテナイ男性陣の一人として、こんな可哀想な”Mちゃん”に深く深く同情しつつ、重ね重ね謹んで謹んで哀悼の意を表しておきたい(死んじゃいねえよ)。

 ちなみにオネエチャン達、自分達の仲間うちにも”イケメン担当””盛り上げ担当”等の役割分担があることや、その他合コン時の自分達の手の内について事細かに超至近距離で語ってくれていた。
 聞いているにつけオネエチャン達の、シタタカさ、力強さ、が伺い知れた一時となったが、ちなみのそのオネエチャン達は、その過去の合コンにおいては、残念ながらステディなカレは見いだせなかったようだ。

 話は全然変わりますけど、今日昼頃歩いていたら、NHKの中川緑アナウンサー(たぶん)を見かけた。
 ちょっと先からでもハッとわかるくらいの輝きを発していた。
 こういう女性は男好きのする女性だと思う。思ったよりも華奢な印象だった。
 まあ、エエもん見さしてもろうたです。

スティーヴン・ビショップ2005年06月03日

 1970年代の洋楽には現代でも是非とも聴いてほしいアルバムが数多ある。
 そんな中ちょっと地味で目立たないながらも是非とも聴いてほしいアルバムがスティーヴン・ビショップのアルバムだ。
 音楽を愛する人だったら「ケアレス」「水色の手帳(BISH)」の2枚は聴いて損は無いだろう。
 僕らが迷い傷ついている時に、優しく暖かく包み込むように聞こえてくるのが神の声だとするならば、スティーヴン・ビショップのそれは、まさに神の声、と言っても過言は無いであろう。

又々シスの復讐の話しです2005年06月05日

 「スターウォーズ・エピソード3・シスの復讐」の公開も一ヶ月近くに迫って来た。
 評判はかなり良いようだし、僕としては前作前々作のエピソード1・2も好きなので、それより世評の良いエピソード3は、たぶん僕にとっては面白く無いわけが無いだろう。

 スターウォーズの新シリーズでもあるエピソード1〜3では、ダークサイドに大きく焦点を当てている。
 スターウォーズで言うダークサイドは簡単に言えば「悪」の側面と言って良いが、すなわちそれは怒り・不安・悲しみ、といった人間の負の感情によって引き起こされる暗黒面を象徴している。
 本来であれば、そんな否定的なものを扱った映画なぞ毛嫌いされそうなのに、僕を含め、なぜ人はスターウォーズに魅了されるのか?。

 僕自身ここ数年、人間のダークサイドな部分に非常に興味を持ち、ある意味マイブーム的なテーマにもしている。
 スターウォーズは、僕のそんな志向に都合よくシンクロしてくれた。

 ダークサイドな感情と、いかに向き合うかは人間の持つ大きなテーマの一つでもあると思う。
 たぶん・・・、今の人類はダークサイドをコントロールすることに非常に困難を感じ、最も不得手で、最も避けて通りたい、最も忌避すべきものとしてダークサイドに対しているだろう。いや、もっと言えばダークサイドに対しては、どうしたら良いのかわからない、というのが本当のところであろう。

 スターウォーズは、そんなダークサイドを描くことで、人間の中に潜むダークサイドな部分を、娯楽映画という形に変え浄化している。
 すなわちスターウォーズを見ることで、ダークサイドに対して僕らが抱いている悶々とした思いにカタルシスが起こるのである。
 これは日本映画の傑作「仁義なき戦い」にも同じことが言える。

 話しは少し変わるけれども、ダークサイドな感情は意外に芸術にとっては不可欠であったりする。
 ダークサイドパワーが芸術的昇華を遂げ素晴らしい作品になった例を、僕らは数多く知っている。
 つまりはダークサイドも上手にコントロールすることで大きな善なるパワーに変わることもあるのである。
 優れた作品はダークサイドを実に巧みに取り入れている。ダークサイドな部分があるからこそ、そこに+αの面白みが加わっているものを沢山僕らは知っている。
 モーツァルトの「魔笛」が傑作であるのは、一つにはダークサイドとライトサイドの見事な対照があるからだ。

 もしかしたら、実はダークサイドを芸術的に表現することこそ、その営みの核心部分なのでは無いか?とたまに思う時もある。
 偉大な作曲家やアーチストの晩年や後期の作品が優れていくのは、簡単に言うと「深みを増す」からということになる。
 この「深みを増す」ということは、幾多の苦しみや悲しみを越え、学び、吸収し、成長し、精神的に成熟したということ、言い替えれば「ダークサイドを上手に芸術的にコントロールするようになった」ということに他ならない。

 エピソード3ではアナキンスカイウォーカーがダークサイドに堕ちてしまう。
 そして時系列的にはそこに続いていく旧シリーズの最終作エピソード6で、アナキンは死の直前、初めて親子の愛を通じダークサイドから再び善に戻り、皇帝というダークサイドの象徴に打ち勝つことができるのである。かくしてアナキンは長い年月を経た後予言通り、フォースにバランスを取り戻すのである。
 この壮大なサーガでは、アナキンの生き方を通じて、まさしく我々人間がダークサイドに対峙した際の、一つの示唆を与えてくれているのである。

 ダークサイドに堕ちてしまった、アナキン・スカイウォーカー=ダース・ヴェイダーが、悪の暗黒卿であるにもかかわらず、これだけ人気があるのも、実はアナキン自身が、本来最も人間的で、僕らに近い感情を持ったキャラクターであるからであろう。

 ダークサイドといかに向き合うか、どう変えていくかは各人がそれぞれのやり方で学ぶべきことではあるだろう。
 例えば、怒り妬みといったダークサイドをユーモアや強烈なビートに、不安や悲しみを歌やメロディー、更には絵画や文学などに変えていくこともできるだろう。

 スターウォーズでは、アナキン・スカイウォーカーは「ダークサイドを滅ぼす者」では無く、あくまでも「フォースにバランスをもたらす者」として予言される。いかにも暗示的だ。
 僕らは今まではダークサイドな感情を、それが沸き起こるがままに、翻弄され囚われ、爆発させ苛まれ過ごして来た。
 これからはダークサイドな感情を、いかに上手に解き放つか、いかに浄化し、ライトサイドなパワーに変えていくか、そんなことが求められていくのかもしれない。

汲取り便所の暗黒面2005年06月06日

 人には夢がある。
 夢を実現する為に生きることこそ人生だとも言えよう。

 僕の夢は「水洗便所のある家に住むこと」だった。
 今のアパートは水洗便所だ。
 そういう意味では、んじゃあ、僕の夢の大きな部分は、もはや実現されてしまったのではないか?という意見もあろう。
 そう考えるともはや僕の人生は終わったんじゃ無いの?もうアンタ用済みで無いの?との意見もあろう。

 ま、それ程水洗便所のある家に住みたかった。
 一昔前は一般的では無かったものなのに、今や極普通に見かけるようになったものが多々ある。
 例えば、カラーテレビ、携帯電話、ベッド、電子レンジ・・・。
 そして勿論水洗便所。
 今や便所といえばいちいち「水洗」などと断らなくても普通に「水洗便所」のことである。
若い人などは、生まれた時からそれらがある為、これらが無かった時代の感覚など想像もつかないであろう。

 しかし僕の小さい頃は便所と言ったら「汲み取り便所」のことなのであった。
 僕の性格形成において色濃く、それはそれは暗い影を落としている、あの忌まわしきもの・・・。
 それが、そうその通り、「便所」、すなわち「汲み取り便所」なのである。

 現代の家庭、特に都市部の家庭で便所といえば、まず水洗便所が一般的になり、汲み取り便所を見かけることの方が少なくなってきた。
 汲み取り便所を全く知らないような現在の子供たちなどは、汲み取り便所に落ちる夢、などというのは見たことも無いのでは無いか?

 僕は未だに良く見る。
 僕の実家は今も昔もずっと汲み取り便所だ。便所といえば汲み取り、汲み取りといえば便所であった。
 実家の便所に身体半分程突っ込んだまま、成す術もなく寂しげな微笑みを浮かべている夢、暗い便所の中に顔を突っ込んでもがく夢・・・。
 そんな夢を見て、うなされて飛び起きた、なんてこともしばしばであった。いや、あった、つうか、恐ろしいことに今でも良くある。

 実家に帰省すると、この汲み取り便所を使用しなければいけないことが、今でも結構憂鬱の種である。
 東京で水洗便所生活を送っている僕を過去に引きずり戻し、昔の傷を思い出させる。

 できれば実家を改築してやって、便所も新しいモノにしたい。金が全然無い。
 僕の生涯は、この汲み取り便所との戦い、といっても過言では無いだろう。
 いかに汲み取り便所から逃れるか、汲み取り便所の悪夢をいかに拭い去るかという為の人生、といっても過言では無いだろう。
 僕の人生はこの汲み取り便所から完全に解放されて、漸く一つの完結を見る、といっても過言では無いだろう。そうしてダークサイドオブ汲み取り便所、すなわち汲み取り便所の暗黒面から解放されるのである。
 スターウォーズ風に言うと、汲み取り便所と対峙しそれを何らかの形で壊滅させ克服するのが、僕の汲み取り便所ウォーズ完結編・エピソード3となる。「汲み取りウォーズエピソード3ダンゴムシの復讐」となる(意味わかんないんだけど・・・。)。

 人には壮大な夢を実現する人生、愛に生きる人生など、素晴らしい人生があり、そういう人生を送られてきた方々の人生と比較すると「汲み取り便所と戦う人生」などというのはこれはどうしたものか?、という気もしないでも無い。だが、気がついたら便所と戦っていたので致し方無い。
 これからも汲み取り便所と戦う人生になりそうなので致し方無い。いつか実家の便所を奇麗に、と思っている人生なので致し方無い。
 致し方無いったら、致し方無いのっ!!(また逆ギレか・・・)。

とりあえず分相応2005年06月09日

 相変わらずツーカーな携帯ライフを送っている今日この頃です。
 auに変えようかな〜。
 結構auに変えたがってる人多いみたいだしな〜。
 ”電話番号変えずに他社に機種変更可能”なる制度が正式に実施されたら変えよっと。時間の問題だな。
 ツーカーのメリットかあ・・・。
 ”オレの携帯マイナーのツーカーですっ!”つって、その話題でしばらく盛り上がれることかなあ・・・。
 勿論この話題、夜のオネエチャンには一回切りしか効かねえしなあ・・・。
 この話題のおかげでメチャクチャモテルようになった、なんてこと微塵もねえしなあ・・・。
 ezwebの人同志でメールすると、絵文字使えるから、それ結構楽しくてイイんだけど、auへの乗換えだったらそのままezwebで全然問題ねえしなあ・・・。
 昔ツーカー音楽が良かったけど、今au着うたフルとかあるしなあ・・・。
 ツーカーでいる必然性益々無くなってくるなあ・・・。
 ん?、マイナーな人間は、ずっとマイナーでいるのが分相応だって?。
 ・・・ですよねえ・・・。・・・じゃねえよっ!。携帯くらいメジャー持って、どこがいけないんじゃあああ〜っ!。って本当は買い替える金がねえですけど。

又々又スターウォーズの話です2005年06月10日

 またまたダークサイドのお話ですみません。

 スターウォーズの新シリーズで、アナキンスカイウォーカーがダークサイドに堕ちていく過程をみていくと、大きく以下のような経緯がある。
  1クローン大戦というプレッシャーのかかる、シビアな状況に置かれてしまう。
  2ジェダイとしての実力があるのに、ジェダイ評議会には認められないことで不満が鬱積する。
  3身内の不幸がある(母親を殺される。最愛の妻が死ぬヴィジョンを見てしまう)。

 これは僕らがダークサイドに堕ちていく状況を彷彿させる。
 すなわち僕ら現代人は、
  上記1のように、常に戦場のような競争社会に置かれ疲弊している。
  上記2のように、好きなことをやっても認められない。やるステージが無い。やっても金にならない、等の思い通りにならない境遇で不満が鬱積する。
  上記3のように、身内の不幸や、更にはリストラや借金などで家庭に破綻が起こったりする。

 スターウォーズではダークサイドの象徴であるシスの暗黒卿が、1の状況を長い時間をかけて設定し、2、3の部分でアナキンにつけ込んでくる、というストーリーになっている。
 細かく言うと
  1の戦争を引き起こすことで、表面的には分離主義勢力と共和国の争い、と見せかけながら、実はそれに参画するジェダイを疲弊させ結束力を弱め壊滅させ、アナキンをジェダイから分離するという裏の目的を持っていた。
  2において、ジェダイに認められないアナキンを、シス(パルパティーン)だけが認め支えていた。勿論下心があって。
  3において、身内の不幸が救えるのは、ダークサイドパワーだけだと、アナキンをそそのかした。勿論結局救えなかった。
 結果気づいたら、まんまとアナキンはダークサイドの誘惑に屈してしまった。

 僕らだって、たぶん、長いことプレッシャーのかかる状況が続いて疲弊し、自分を認めない世を恨み、怒りを抱いている時に「君には才能がある。私は知っている」などとおだてられ、揚げ句の果てに「愛する人と幸せになるには、この方法しかない」などと高価なツボなどを買わされた日にゃあ、気づいたらダークサイドに堕ちていることだろう。

 エピソード3では、アナキンが最終的に、ジェダイにつくか、シスにつくか、すなわちダークサイドに堕ちるか否かの選択を迫られるシーンがある。具体的には、サミュエルLジャクソン演ずるメイス・ウインドウとパルパティーンの戦いのシーンで、結局アナキンは逡巡した後、メイスの腕を切り、パルパティーンに加担してしまうのである。

 まあ、こういった以上のような事を踏まえて、今度は旧シリーズのエピソード4〜6を見ると、又新たな感慨がある。
 特にエピソード6「ジェダイの帰還」ではルーク・スカイウォーカーの成長が実感できる。
 ルークはアナキンのようなパッションもありつつ、しかし一方でオビワンのような確固たる意志とダークサイドに堕ちない強さを身につけたようだ。
 ルークが最後ダースヴェイダー(アナキン)と決闘するシーンで、危うく怒りに任せ父であるダースヴェイダーを殺しそうになる。ここでダースヴェイダーを倒してしまえばルークはダークサイドパワーに支配され、まさにルークをダークサイドに誘惑せんとしていたシスの思うつぼであった。

 ところが、ここでルークは思い止まって戦いを、ダークサイドを拒否し、なんとジェダイの命ともいえる武器、ライトセーバーをシスの前で投げ捨ててしまうのである。
 アナキンがメイスを裏切ってダークサイドに堕ちたことを考えると、このルークの決断は重い。ライトセーバーの捨てた音が心なしか大きく響いたような気がするくらいだ。シスの前で丸腰になるなど、まさに命懸けの決断だ。
 でもって、その時のルークのセリフが良い。最高にカッコイイ。
 「Never!」
 そしてシスに向かい決然と、こう言い放つ。
 「I'll never turn to the dark side. You've failed Your Highness. I'm a Jedi.like my father before me!」(僕はダークサイドには堕ちはしない。皇帝、あなたの負けだ。僕はジェダイだ。父がかつてそうだったように)。
 結局このルークの決然としたジェダイぶりによって、アナキンの中に再び善の心を蘇らせることになる。
 このシーンは前からカッコイイと思っていたが、今度のエピソード3を踏まえると、尚更カッコイイ。

 僕も、日常生活で、ふとしたことで危うく怒りに駆られダークサイドに堕ちてしまいそうな局面が多々出現する。
 そんな時は心の中で、このセリフを力強く復唱するのである。
 「Never!,I'll never turn to the dark side. I'm a Jedi」

 ん?ジェダイじゃねえよって?。
 じゃあ、とりあえずせめてエロジェダイってとこでイイすかねえ。
ん?、そんなジェダイはねえって?。
 ・・・ですよねえ・・・。
 じゃあ、エロジジイ、ならOKでしょうか?。
 え?、OK?、そっかあ、良かった〜、わ〜い僕はエロジジイだあ〜・・・、って、それじゃあ意味ねえんじゃああ!、エロジジイなんぞ、前からそーなんじゃあああっ!(あー、またダークサイドに転げ堕ちているようです)。

湯めぐりしたい2005年06月12日

 夫婦で混浴めぐりをされてる方のサイトを、たま〜に閲覧させてもらう。
 こういうの見ると、結婚もエエなあてゆうて思うのう。
 混浴で無うてもエエで貸切りの露天風呂で、昼間っから大自然の中で好きな人と風呂に入るゆうはさぞ気持ちエエもんじゃろうのう。
 ま、子供がおって、家族で入るんも良かろう。

 厄年も過ぎた孤独な旅人のワシにゃ土台無理な願いかのう。
 せめて若いオネエチャンで、一緒に温泉でも行ってくれるんがおりゃエエんじゃがのう。
 ん?、まず旅費と足が無いかねえかじゃと?。
 痛ったあ〜っ!。コンクソッ、一番痛いとこ突きよったっ!。
 ん?、一番痛いとこはオマエがまずモテナイとこじゃねえかじゃと?。
 うっ、気分が悪うなった、今日はこの辺で失敬。<翁>

そりゃまたタマゲタ2005年06月16日

 今日「笑っていいとも」のテレフォンショッキングにANRI(杏里)が出てたけど、そう言えばこないだ婚約したんだよな、杏里。
 リー・リトナーと。
 リー・リトナーて!(思わず関西風ツッコミ)。
 僕のような40代から50代の音楽好きや、元ギター小僧、などなどは、たぶんみな同じリアクションしたんじゃなかろうか。
 杏里の相手、リー・リトナーて!。

大物ギタリスト2005年06月17日

 ここの6月3日の日記に70年代の名盤としてスティーヴン・ビショップのアルバムのことを書いた。
 スティーヴン・ビショップの音楽の魅力は、何といっても、その暖かく美しい楽曲にある。
 そしてその楽曲を彩るように、やはり暖かみのある素敵な伴奏を奏でるアコースティックギターの音色が実に心地好い。
 ちなみにスティーヴンのアルバムには、大物ミュージシャンが多数ゲスト出演している。
 アート・ガーファンクル、チャカ・カーン、エリック・クラプトン、マイケル・マクドナルドなど20世紀の音楽シーンを語るには欠く事のできない、錚々たるメンバーだ。
 そんな中、とある一人の大物ミュージシャン、ギタリストもゲスト出演し、このスティーヴンの楽曲で素晴らしいアコースティックギターの演奏を聴かせてくれる。
 それが、そう、昨日話題にもした名ギタリスト。
 リー・リトナーである。
 リー・リトナーて!(これが言いたいだけじゃん)。