又スターウォーズですが何か問題でも?【曇】 ― 2005年07月24日
昨日の続きです。
今回の「スターウォーズエピソード3」は、僕が当初イメージしていたものからすると、大分短くまとまっていた。
ただ、僕がこんなことを言うのは、大変おこがましいけれど、まあたぶん、ジョージ・ルーカスの描きたかったものは、描かれたんじゃないかな、とは感じた。
黒澤映画の如き活劇的な要素もあるし、今回のエピソード1〜3の大きなポイントであるダークサイドに関しても、僕には良く伝わって来た。
もし観客に伝わらなかったとしたら、それは制作者と言うよりは、我々観客が「ダークサイド」に対してまだあまり認識していないからだろう。
アナキンは自分が命まで賭けて守ろうとした最愛の妻を、自分の手で殺めてしまうという、端から見れば、とんでもなくお粗末で滑稽な程の失態を演じてしまう。
しかし映画としては、これでイイのである。これで充分だ。
この不条理、矛盾こそが、まさにダークサイドなのだ。
恋愛というのは、ある意味最もダークサイドに陥り易い状況が現出される。
象徴的な言い方をすると、最愛の人だと思っていた人が、ある日、ちょっと別な方向に向きを変えただけで、途端に、そこから不信感が生じてしまう。ダークサイドへの第一歩だ。ほんのちょっとなのに。
そうなってしまうと、もうそこに「愛」は無くなる。
あるのは失うことへの恐れなのである。
恐ろしいのは「向きを変えた」のが、単なる誤解だったとしても、なのである。
もうそこからは自分だけの世界、「他」が無くなった状態で、ダークサイド的な状況はどんどん迷路に陥っていく。
まさにヨーダがエピソード5だったかでルークに言っていたように「ダークサイドは入り易い」のである。
つまりダークサイドに陥ると、自分が何をやっているのか見えなくなってしまう。
端から見たら、とてつもなく馬鹿げたことをしているのに、当人は全く気づかない。
これこそが、まさにダークサイドなのである。
エピソード3はシス・パルパティーンの思惑通り、ジェダイが戦いに次ぐ戦いで摩耗し最後には裏切られ壊滅してしまうという展開になる。
戦争自体が最初から、ジェダイをハメる為の壮大な罠だった。そしてアナキン・スカイウォーカーという類い希なフォースの使い手を、自分の側に取り込む為の罠でもあった。
冒頭で分離主義者のリーダーでもあるシス卿ドゥークー伯爵が、アナキンに殺されるシーンがある。
ここでアナキンは一瞬躊躇するが、人質として捉えられていたパルパティーンがドゥークーを殺せとけしかけた為、アナキンはそれを実行してしまう。この時ドゥークーが、一瞬パルパティーンを驚いた表情で見返す。
設定を知らなかった人には、わかりにくかったかもしれないが、ドゥークーにとってパルパティーンは自分の師匠・上司なのだ。アナキンはそれにはまだ気づいていない。
ダークサイドに特有の「裏切り」がいとも簡単に遂行される。
すなわちパルパティーンは人質のフリをしながら実はアナキンをシスたるべき者としてテストしていた。アナキンはドゥークーに変わる新しいシスの弟子として自らドゥークーを倒して自分が弟子の位置を確保してしまったことに気づかない。ドゥークーは単なる犠牲・道具にすぎなかったのだ。
まさに「仁義なき戦い」だ。
そして最後は、アナキンとオビワンの、まるで兄弟喧嘩の如き壮絶なバトル、まさに我々の持つダークサイドの中でも最も象徴的な「骨肉の争い」とも言える戦いでクライマックスを迎える。
そこでのアナキンの悲痛なセリフ「Liar!」や「I hate you!」は、もうスターウォーズという空想の世界を越えて、我々が日常生活でダークサイドに堕ちた時の言い回し、姿と、ほとんど同じ、象徴なのだ。
かくの如くエピソード3には、全編にダークサイドの香がプンプンと漂っている。
アナキンはシス卿になってしまい、パドメは死に、ジェダイは滅び、共和国は解体し、皇帝の独裁国家が現れる。
しかしながら、こんな悲劇的な結末を迎えてしまうエピソード3ではあるが、そこでは、両手を挙げてのライトサイド賛美、というわけでは無いのだ。ここが「スターウォーズ」の面白いところだけど、これについて書いているとキリが無いので、またいつか。
このブログ、シネマというカテゴリー設けたけど、「スターウォーズ」の話ばっかになっちゃった(失笑)。
今回の「スターウォーズエピソード3」は、僕が当初イメージしていたものからすると、大分短くまとまっていた。
ただ、僕がこんなことを言うのは、大変おこがましいけれど、まあたぶん、ジョージ・ルーカスの描きたかったものは、描かれたんじゃないかな、とは感じた。
黒澤映画の如き活劇的な要素もあるし、今回のエピソード1〜3の大きなポイントであるダークサイドに関しても、僕には良く伝わって来た。
もし観客に伝わらなかったとしたら、それは制作者と言うよりは、我々観客が「ダークサイド」に対してまだあまり認識していないからだろう。
アナキンは自分が命まで賭けて守ろうとした最愛の妻を、自分の手で殺めてしまうという、端から見れば、とんでもなくお粗末で滑稽な程の失態を演じてしまう。
しかし映画としては、これでイイのである。これで充分だ。
この不条理、矛盾こそが、まさにダークサイドなのだ。
恋愛というのは、ある意味最もダークサイドに陥り易い状況が現出される。
象徴的な言い方をすると、最愛の人だと思っていた人が、ある日、ちょっと別な方向に向きを変えただけで、途端に、そこから不信感が生じてしまう。ダークサイドへの第一歩だ。ほんのちょっとなのに。
そうなってしまうと、もうそこに「愛」は無くなる。
あるのは失うことへの恐れなのである。
恐ろしいのは「向きを変えた」のが、単なる誤解だったとしても、なのである。
もうそこからは自分だけの世界、「他」が無くなった状態で、ダークサイド的な状況はどんどん迷路に陥っていく。
まさにヨーダがエピソード5だったかでルークに言っていたように「ダークサイドは入り易い」のである。
つまりダークサイドに陥ると、自分が何をやっているのか見えなくなってしまう。
端から見たら、とてつもなく馬鹿げたことをしているのに、当人は全く気づかない。
これこそが、まさにダークサイドなのである。
エピソード3はシス・パルパティーンの思惑通り、ジェダイが戦いに次ぐ戦いで摩耗し最後には裏切られ壊滅してしまうという展開になる。
戦争自体が最初から、ジェダイをハメる為の壮大な罠だった。そしてアナキン・スカイウォーカーという類い希なフォースの使い手を、自分の側に取り込む為の罠でもあった。
冒頭で分離主義者のリーダーでもあるシス卿ドゥークー伯爵が、アナキンに殺されるシーンがある。
ここでアナキンは一瞬躊躇するが、人質として捉えられていたパルパティーンがドゥークーを殺せとけしかけた為、アナキンはそれを実行してしまう。この時ドゥークーが、一瞬パルパティーンを驚いた表情で見返す。
設定を知らなかった人には、わかりにくかったかもしれないが、ドゥークーにとってパルパティーンは自分の師匠・上司なのだ。アナキンはそれにはまだ気づいていない。
ダークサイドに特有の「裏切り」がいとも簡単に遂行される。
すなわちパルパティーンは人質のフリをしながら実はアナキンをシスたるべき者としてテストしていた。アナキンはドゥークーに変わる新しいシスの弟子として自らドゥークーを倒して自分が弟子の位置を確保してしまったことに気づかない。ドゥークーは単なる犠牲・道具にすぎなかったのだ。
まさに「仁義なき戦い」だ。
そして最後は、アナキンとオビワンの、まるで兄弟喧嘩の如き壮絶なバトル、まさに我々の持つダークサイドの中でも最も象徴的な「骨肉の争い」とも言える戦いでクライマックスを迎える。
そこでのアナキンの悲痛なセリフ「Liar!」や「I hate you!」は、もうスターウォーズという空想の世界を越えて、我々が日常生活でダークサイドに堕ちた時の言い回し、姿と、ほとんど同じ、象徴なのだ。
かくの如くエピソード3には、全編にダークサイドの香がプンプンと漂っている。
アナキンはシス卿になってしまい、パドメは死に、ジェダイは滅び、共和国は解体し、皇帝の独裁国家が現れる。
しかしながら、こんな悲劇的な結末を迎えてしまうエピソード3ではあるが、そこでは、両手を挙げてのライトサイド賛美、というわけでは無いのだ。ここが「スターウォーズ」の面白いところだけど、これについて書いているとキリが無いので、またいつか。
このブログ、シネマというカテゴリー設けたけど、「スターウォーズ」の話ばっかになっちゃった(失笑)。
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