危機的状況?2012年10月07日

8月下旬から、有楽町から埼玉の熊谷に勤務地が変更になった。

通勤が以前より大変になったが、まあそれは慣れの問題でもあるだろうと、思っている。

実はもっと僕にとってはストレスフルな事態が発生している。
それは「相対的オッサン人口の激増」である(笑)。

職場では元々女性は少なく、我がチームにいた、既婚ではあるが二人の女性もいなくなり、一人いた部内の庶務の女性もいなくなった。
庶務の女性は、その内現地の女性がくる予定ではあるが、今は部内が男子校の様相を呈している(笑)。
既婚の男性は全然問題無いと思うが、僕のように50を目前にした未婚男性では、職場でも何かしらの目の保養があればあるほど良い。
東京時代は他の部署の活きの良い女性陣で目の保養もできたが、今やそれも無い。他の部署は見えない(笑)。

職場だけでなく更に、下りの朝の高崎線も、こんなにオッサンが多いとは誤算だった(笑)。
さすがに下りなので、満員電車になっていないのが、せめても救いだ。
これが満員電車だったら、と思うと戦慄である。まさに地獄絵図だっただろう(笑)。

ちなみに通勤の満員ラッシュの悲惨さは良く言われるが、世の男性は、なぜこの満員電車に耐えているか?というと、一つ大きな理由があると思う。
ある意味タブー気味な意見ではあるが、それは、”女性と密着できるから”というのがあると思う。
たぶん世の男性は大きな声でいえないがこれを思っている輩は、かなり多いはずだ(笑)。

つまり逆に言うと、満員電車の何がストレスフルなのか?、というと僕は「オッサンとの密着」につきると思う(笑)。
正直申し訳ないが、たまに存在自体がストレスフルなオッサンも見かける(笑)。
こんなオッサンに奥さんがいて、いつも毎日同じ家で暮らさなくてはいけない、と思うと、その絶望的な状況に奥さんに同情する。
完全に自分がオッサンなのを棚に上げてしまって申し訳ないが(笑)。


・・・少し話がそれた。
話を戻すが、僕の場合、高崎線の帰りの電車は空いているので、ストレスフルでは無いが、1車両全部男だけ、というのもちょくちょくあるのが腹立たしい(笑)。

このように、通勤時も職場でも、今の僕の生活は「あれ?日本って女性の人口の方が多いんじゃなかったっけ?」と統計的事実を疑いたくなるような異常な男女比である(笑)。
異常な男女比に向き合わなければならない事態、というのは確かに人生において何かしらの意味はあるはずだ。
しかし今は「なぜオッサンにこれだけ囲まれるか?の霊的な意義」という萎えるような命題を考える気力は湧いてこない(笑)。

個人的には以前も女性の少ない職場というのは結構あった。
そんな時は一昔前の景気が良い時なら、お金を使って「お金で女性との接触機会を買う」というような哀しい技を駆使して、こうした事態に対処してきたので殊更男女比を問題にすることもなかった(笑)。
しかし今や、その経済力は無い。
まさに危機的状況である(笑)。

これによって女性に対するハードルがググッと下がり、女性を見る目にも曇りがかかってきはじめている、というある意味これも危機的と言える状況が発生しつつ無いでも無い(笑)。
最近では富士そばの店員の、かなり熟女なオバちゃんに対しても、女性として意識し始める、という傾向がチラホラと見え始めているとか、いないとか(笑)。

僕はこの異常事態は、単にバイオリズムの問題で、時間がその内解決してくれると思っている。きっとそうだ。そうに違いない(笑)。
決して今までのバチが当たったからでは無いはずだ(笑)。

でもちょっと不安になったので、少しだけ過去を振り返って検証してみようとは思っている(笑)。

熊谷に通ってみて2012年09月02日

8月の最終週より職場移転により埼玉の熊谷に勤務することになった。
8月最終週は準備週という感じで、いよいよ9月より本格化という感じだ。

僕個人的に今まで8月に仕事面においての重要な変化が起こるパターンが多かった気がする。
こうした変化は一般的に3月に起こりやすいが、比較的8月というのも結構変化が多いのではないかと思う。

一週間熊谷に通って、気づいたことは、結構遠距離通勤をしている人が多い、ということだ。
僕は王子から京浜東北~、更に赤羽から高崎線というように、北上する形になり、最初都心と反対方向に行く電車なので、しかも朝早い時間だからガラガラなのかと思っていた。
とんでもない。
大宮からは結構混むし、上野や赤羽から僕が降りる籠原より先に乗っていく人も大勢いる。

月曜からは学校も始まるので更なる込み具合の加速があるのだろう。

自分のことは棚に上げるが、”みんな結構頑張ってますなあ”と、何かと学ばされた一週間であった。

ヒーロー?2012年07月15日

たまには自慢話をする(笑)。

その前に、僕はお恥ずかしながら、今まで財布などを落としたことが良くあり、その都度無名の善意の人々に助けられてきた。
財布が警察に届けられていたことも何回かあった。
現金やカードなどが入っていたが、勿論何も取られていなかった。
拾い主の方の素性は一切明かされておらず、いつも「どなたか知りませんがありがとうございました」と天に祈るしかなかった。
なので、もう直接拾い主を探すのはおそらく無理なので、誰か他の人でもいいから、何らかの形で、僕もそうした行為でお返しをしなければ、と常日頃思っていた。

今日、都内のとある私鉄の駅で、やってきた各駅停車の車両に、僕は乗ろうとしていた。
車内は空いていて、僕が乗りこむと、入れ替わりに4人の親子連れ(夫婦+子供二人)が、慌てて降りて行った。
どうやら、その駅は急行の停車する駅なので、降りて次の急行に乗るつもりだったのだろう。

僕はその親子の去った後に、大量に空席ができたので、そこに座ろうとした。

すると、その場所に、子供用のようなピンクの腕時計が落ちているのを発見した。

咄嗟に、僕の頭に、いろんな思考がよぎった。
”これ、さっきの親子の物かな?”
”彼ら、まだ、いるのかな?”
”いたら、渡した方がいいよな”
”でも、降りたらオレ電車に乗れねえな”
”さっきの親子のモノじゃない、可能性もあるよな”
・・・などといった、考えが一瞬にしてめぐったが、ここが僕のカッコイイところで(笑)、もう次の瞬間時計を持って、電車を降りていた。

「これ、落としませんでしたか?」
急行待ちの為、幸いに近くのベンチに座っていた親子を発見して、声をかけた。
最初ダンナが不審そうに僕を見たが、母親の方が、すぐに気づいて、時計が彼らの物だったことが判明した。

そして僕は時計をそそくさと渡すと、もう次の瞬間、母親の礼を聞く暇もなく、まだ停車中の各停のドアから再び電車に飛び乗った。
乗ったと同時に、ドアが、プシュー。
この間のやりとり、ほんの数秒。
まだこちらの方を見ている親子を窓越しに眺めながら、電車は発車した。

(僕の心の声)
”あれ、オレ今、すげえ、カッコヨクネ?”

昔からヒーローというものは、名も告げずに、風のように去っていくものだ。
まさに今の僕こそが、そうなのだ、と思った(笑)。

強いて不満を言うとすれば、渡したのが独身の女性だったらな・・・ということである(笑)。

運命の人2008年09月06日

 良く、運命の人に出会ったとき、ビビッとくる、という。
 もしいわゆる異性のパートナーとしての運命の人の定義を、この「ビビッと」とするならば、僕は一体今まで、どれぐらい沢山の運命の人と出会っただろうか。
 これは僕だけではない、と思う。およそ男=オスというものなら、自分の好みのタイプを見たら、瞬間的にビビっときているのでは無かろうか?。
 芸能人のとびきりカワイイのをテレビで見た瞬間、ビビっときて、街で美人を見かけビビっときて、それこそ盛りのついた動物の如く、四六時中ビビビビ来ているのではなかろうか?。

 つまり言ってしまえば、この「ビビッと」だけでは、いわゆる異性のパートナーとしての運命の人の定義としては、いささか弱い気がするのである。

 以前、通勤電車で、朝二本乗り換えがあって、その二本共に同じ時間同じ車両に乗ってくる女性がいた。
 しかも僕にしたら物凄いタイプ、超ストライクの子で、更には満員電車で同じになるので、そりゃもうかなり興奮する状態にもなるくらい密着したりして、随分通勤に幸せな瞬間を与えてくれた女神のような女性だった。
 しかも、僕が仕事の都合で、いつもと全然違う時間に電車に乗ったのに、その子がいたりした時もあり、こりゃ完全に運命の人だと思ってしまったくらいだった。彼女がたまに車内で携帯を見ているので、そのことにかこつけてメールアドレスを教え合おうよ、と言ってみよう、・・・などという妄想をいつも抱いていた始末だった。

 ところがとある日、ほんのちょっとしたハプニングが起こった。
 いつものように満員電車に乗り込む時、これまたいつものようにドアのところで彼女と並ぶ格好になった。僕はいつものように”シメシメまたオイシイ時間ですな、こりゃ!、などと思っていると、僕のカバンがドアに挟まってるのに気づいた。朝の通勤時にこの状態、勿論大ひんしゅくである。
僕はカバンを引っ張りながら思わず「チッ!」と舌打ちしてしまった。
 するとなんとこの後、あろうことか彼女がなぜか、僕の隣の立ち位置をズルズルとどいて、後ろ、つまり電車の中の方に引っ込んでしまったのである。
 ん!?、ありゃりゃ、なぜ?、どーして?。
 僕は?????の、つきまくった状態で、彼女の代わりに変なオヤジが立ち位置に入ってきたのも気づかず、呆然とそのままその状態で終点までやり過ごしてしまった。

 その日からである。
 どうしたことか彼女が「僕を避けるような感じ」になり始めた。
 同じ電車でも違う入り口から乗ったり、もう時間帯すら、ずらして乗るようになってしまった。
 最近彼女遠くでしか見られないなあ・・・、などとテンション下がりまくっている内に、結局何もリカバリーもできない状態で、僕は職場の転換になり、その電車に乗ることも無くなり、彼女との縁は途絶えてしまった。

 今でもなぜ彼女が、あの時、僕の隣の立ち位置をどいたのかワカラナイ。
 僕の変に殺気だった感じに嫌気が差したのか?。
 一番悲しいのは、僕の舌打ちが彼女に向けられたものと誤解してしまった、などということがあったとしたらタマラナイ。それは無かったと願いたい。

 結局、あんなに奇跡的なタイミングが合ったり、容姿もタイプの子でも、なんのことも無いクソみたいなことがキッカケとなって、疎遠になってしまうのである(それが原因かもわからんけど)。

 最近僕が思うに、いわゆる異性のパートナーとしての運命の人の定義には、もう一項目重要な項目を追加してもらわんと、いかんな、とつくづく思う。
 勿論「ビビッと」も必要条件ではあろう。
 モテナイしがない独身中年オヤジの僕が言うのも大変おこがましいのであるが、僕が思う、もう一項目は「お互いの間のハプニングやトラブルも、それをリカバーする機会があって、尚かつそれでお互い成長しあえる仲」、それがいわゆる異性のパートナーとしての運命の人の条件、では無いか?と思う。

 これは結局どういうことかというと、ある程度お互い親密な距離になって、それなりの期間というか時間をかけないとわからない、ということでもある。

 逆に言えば、ちょっとくらい喧嘩したり、気まずい感じになっても、なんとかそれを克服するチャンスや時間や場所が与えられている仲、だったら、いわゆる異性のパートナーとしての運命の人、かもしれない。

 もし先の電車の彼女がいわゆる異性のパートナーとしての運命の人だったら、あの謎の撤退があっても「最近あまり一緒にならないね、どうした?」などと僕が発言できる機会が与えられていたことだろう。実際は勿論、そんなレベルでもノリでも無かった。つまりハッキリ言ってしまえば「縁が無かった」ということになる。

 誤解無きように言っておくが、今は僕はあくまでも、いわゆる異性のパートナーとしての運命の人、というのに限定して述べている。すなわち恋人や配偶者、ということである。

 本当に宇宙的に広い意味で言ってしまえば、僕らが出会う人々は、性別年齢関係なく全て運命の人だ。勿論先の電車の彼女だって、宇宙的運命の人であったことは間違いない。

え?こんな娘が、そんなものを!2007年07月17日

 都電に乗って通勤中、僕の前の席が空いて、そこに女子高生か中学生くらいの女子が座った。
 スポーツ系の感じのする、系で言ったらビーチバレーの浅尾美和系の爽やか健康的美少女という感じだ。

 雨のせいか窓ガラスが曇っている。その浅尾っチは、しばらく髪や首の後ろをいじくっていたが、その作業が終了するや、今度はおもむろに窓ガラスに落書きのようなものを書き始めた。
 浅尾っチのアートパフォーマンスの観客たる僕は、この突然のライブ敢行の意味を図り兼ねつつも、しばらくその作品を眺めるともなく眺めていた。

 浅尾っチは、まず、ある一点を中心とし、そこから放射線状に拡がる多少くねった曲線状のものを描いていた。
 見れば、花火のような、彼岸花のような、太陽のような、そんな感じの形状をしている。
 浅尾っチのアートパフォーマンスの観客たるチョイエロオヤジの僕は、ここでこの作品を眺めつつ、自然に連想されてくるイメージに、己の想像を任せていた。チョイエロオヤジの発想は、どうしてもダウンアンダー系というか、なんというか、そういう方向にベクトルが行きがちになる。
 チョイエロオヤジは、その絵を見て、どうしても人間のある器官を想起せずにはいられなかった。
 まあ、言ってしまうならば、人間の排泄系の器官で所謂比較的サイズの大きい物件を担当している器官、すなわち英語でア○ルと呼ばれる部位に酷似してるなあ、そう思わずにはいられなかった。

 浅尾っチのアートパフォーマンスは更に進み佳境に入っていったようだ。
 ここでチョイエロオヤジは、その妄想ベクトルから類推される最終的な到達地として当然の結果となる、人間のとある部位、しかも女性のみが有する部位のことを想起せずにはいられなかった。そして嫌な予感がした。
 「まさか、この子、あの中心点の付近に、円は描かねえよな・・・」。

 このエロ予感は、なんと的中した。
 なんと、その子、中心点付近を指でグルグルやり出した。僕の恐れていた形状が、次第次第に僕の眼前に現出しだしたのだ。
 この形状、その筋では良く知られた形状で、トイレ内の落書きパフォーマンスでは、非常に人気の高いモチーフとしても知られている。
 そして古くは「笑っていいとも」でタモリ氏が安産のお守りにと、良くゲストに渡していたものとしても知られており、大変歴史のあるアートモチーフとして広く親しまれているイメージである。

 「おおっ、マイガッ!」、僕は心の中で吠えつつ、他の観客が、この作品に注目していないか辺りを確認した。
 幸い、付近の乗客は、気づいていないようだったが、僕の心配をよそに少女は、そのパフォーマンスを続けていく。

 その内、少女は僕の心配を知ってか、どうなのか、円を描く作業に次第に力を入れ始め、円を何度も何度も重ねて描く作業に入った。
 簡単に言うと、その絵の真ん中をグチャグチャグチャっとぬりつぶしにかかった。

 僕の心配は、何とか杞憂に終わり、そのアートパフォーマンスは、最終的に、キラキラと輝く太陽のようなものを描いた、というような形となって終止符を打った。女性のみが有する身体的部位、というのからは、どうにかこうにか外れたような形となった。
 途中経過見てたら、どうなることかと思った。
 まあ、昔から、さるあの部位と太陽は女性の象徴として語られることが多いモノだ。

 物事に偶然は無いと言う。
 この出来事の意味は一体何だったのか?。
 少女が僕を挑発した?。
 いやいやそんなことはないだろう。
 少女は僕を見ながら連想する、内なる自己から沸き出でる自然の素直なイメージを無意識のうちに落書きした。
 それが正解。それがすなわち・・・オ○○コ。
 オ○○コかよっ!。
 違うわっ、太陽じゃ、太陽なの!。

風はペパーミント2007年02月21日

 朝、コートの襟のところに、アロマオイルを一滴垂らして外出した。
 使ったのはペパーミントである。
 花粉症対策と、香料の意味合いも含めた。

 仕事が終わって、職場を出て電車に乗るとガラガラだったので気兼ねなく座る。
 羽を伸ばして車窓の風景をボンヤリ眺めつつ音楽を聴きいていると、なんだかガムくさい臭いがする。
 「わっ、ガムくせっ!、昼間食ったガム、どっかにひっついてんのかよっ?!」
 急いで体中、ポケットの中などを確認点検する。
 それともどっかの心無い乗客が、ガムを椅子の上に吐き出してそのままんじゃねえだろうな?!。
 ちょっと半分キレつつ、尻の辺りをまさぐって確認する。

 しかし幸いにして、ガムがへばりいているような個所は無いようだった。
 あれ?、んじゃなんだ?、このさっきから匂ってくるガムの匂いは。

 そこでハッと思い出した。
 スッカリ忘れていたのである。
 今朝ペパーミントを襟につけてきたのを。

打破すべき価値観?【晴】2005年10月12日

 これからの新しい時代、今までの思い込みを打ち崩し、ドンドン価値観を変えていかなければ人間としての進化は無いだろう。
 僕も、自分の思い込みをドンドン壊していきたい。

 まず手始めに自分は「モテナイ」という思い込みを打破していきたい。
 要するに僕は「モテル」と思っていきたい。ドンドン。できればかなり激しく狂おしいまでに「モテル」と思っていきたい。

 何も僕は全然根拠が無い状態において空元気で、こう宣言しているわけじゃないからね。
 ちゃんと今日は僕が実はモテル、モテテイル、と確信するに至った一事があった次第なのだ。

 ん?、どうせオマエのことだから電車の中でオネエチャンのオッパイに当たったとか、そういった類いの話だろうって?。

 なぜ、わかった〜っ?!。

 ま、いいや。とりあえず日記には書いておくけど。

 電車で僕の横に女子高生のオネエチャン2人が立っていた。
 だんだん電車が混んできて、僕はオネエチャンサンドイッチ状態になった。
 僕を挟んでオネエチャン二人は喋くっているのだが、電車が揺れるたびに、前のオネエチャンのオッパイがムニョムニョと当たるまでに至った。
 オネエチャン達は、揺れて体勢が崩れる度に、キャーキャー言ってはしゃいでいる。

 どう見ても、とっても楽しそうなのである。
 僕にオッパイが当たって、不愉快になっているとは、とても思えないのである。

 これは、僕に対して「オッパイ接触の無言の許可」が降りた、すなわち、もう僕は既にモテテイル、と解釈して、どこがいけないのだろうか?。
 「オッパイ接触」=「モテル」という短絡解釈については、確かに反論もあろう。
 確かに「オッパイ接触」したからと言って、必ずしも「モテル」とは限らない。
 でも逆から言うと「モテル」ならば、必ず「オッパイ接触は当然許可」ということになりゃせんか?。
 だから、この際、逆が真だったらイイのっ!。モテたことにするのっ!(逆ギレし始めたゾ・・・)。

 ただし僕をやや不安にさせる論点も無いことも無い。
 すなわち、それはかくなる恐ろしき図式で表される。
 「オッパイ接触許可」=「オネエチャン気づいていない」=「僕は眼中に無い」。
 こっちだったら、どーする?。
 全くあり得ないこたあ無いな。
 ま、有りっちゃあ〜、有りかもな。

 結局僕の新時代の新価値観「モテル」は、未だ不確実性100%のようですね。
 そーですねっ!。
 今日は戸部でーす、よろしくお願いしまーす。
 今日のゲストは、えっ?!、11年ぶりっー?、紺野美沙子ちゃんでーす。

 ん?、いいともごっこは関係無い?、それがやりたかっただけだろって?。
 そーですねっ。

誤魔化しても無駄【雨】2005年09月24日

 こないだ朝の小田急線の某駅で、勇気あるサラリーマンに電車から引きずり下ろされている痴漢のオッサンがいた。
 ちょっとポッチャリめの女子高生が半泣きのような表情で続いて降りてきたので、どうやらその娘さんが被害者だったようだ。
 すぐに駅員が駆けつけ事態は収拾していたが、サラリーマンに思いっきり怒鳴られていた痴漢のオッサンは、何かモゴモゴ呟きつつ抵抗していたようだった。

 もしかしたらその痴漢は”自分はやってねえよ”的な反抗を試みていたのかもしれん。
 しかしその痴漢のオッサン万が一無実だったら大変申訳ないのだが、その容貌たるや、言っちゃあ悪いが誰がどう見ても痴漢だった。
 痴漢そのものだった。
 目つきが怪しく、鼻の下が伸び切っていた。
 私が日本を代表する痴漢です、と顔で語っているようなものだった。

 何せ「エロオヤジビーム」を思い切り発散していた。
 そこにいた他の客は、目には見えていなかったとは思うが、おそらくこのオッサンに「痴漢の気」をタップリ感じていたに違い無い。

 これからの時代、もういくら言葉で、どうこう言ったところで、オーラとか気とか、そういうのに本心が表れてしまって、人を誤魔化す事はできなくなる時代が、そう遠くない内にやってくるかもしれん。

 そうなると、もう痴漢の気を持ったエロオヤジなんぞ、エロオヤジセンサーで一発感知、それを改札に設置し、入り口でシャットアウトしてしまい、もう電車に乗せません、なんてことをする鉄道会社もできるだろう。
 エロオヤジが自動改札を通ろうとすると、自動改札がバタンと大きな音で閉まり、サイレンのウイーンという音と共に機械の声が大音量で「エロオヤジハッケン!、コイツガ、エロイオヤジデス!。ミナサンチュウモク!、コイツガエロオヤジデス!」と叫び、エロオヤジにスポットライトが当たった後、駅員が飛んでくる、というシステム。
 このエロいオヤジのオーラを瞬時に感知する痴漢撃退エロオヤジセンサー統合システムの開発も、近い将来いずこの企業においてや着手されるかもしれない。

 ん?、そうなるとオマエが真っ先に、エロオヤジセンサーに引っかかるって?。
 ままま、まあ、それも有りっちゃあ、有り、かもしれんが・・・。

予定大幅変更【曇】2005年07月19日

 昨日は東武野田線の大宮から岩槻まで乗った・・・。
 ・・・のつもりだったのが、隣に座った若いオネエチャンが居眠りして僕に凭れかかってきたので、起こすのが勿体なく、そのまま春日部まで行ってしまった。
 若い女性と腕と腕、素肌同士が触れ合って・・・、癒されたなあ・・・。お互いちょっと汗ばんでたけど、そこがちょっとエロかったけど。

 ・・・と、日記には書いておこう、うん。

 ・・・なあ〜んてCMが大昔にあった。浅田飴のCMだったかなあ?・・・、うん。

 あっ、申訳ないすけど、オネエチャンが凭れかかってきたので、そのまま春日部まで行っちゃったつーのは、本当スけど、何か問題でも?。
 結局春日部のロビンソンで本買って帰って来ましけど、何か問題でも?。

Mの悲劇2005年06月02日

 満員電車で僕の前に二人の女性がいた。
 ネエチャン二人超至近距離で僕を囲むような形で、喋くっていた。
 僕もその会話の輪の一員みたいな非常に気まずい状況ではあった。
 ま、そんなことはどうーでも良いのだが、このオネエチャン達、何を喋くっていたかというと、合コンの話しをしていた。

 そこで焦点となっていたのは”男のカッコイイは当てにならないよねえ”という命題であった。
 ”男のカッコイイは当てにならないよねえ”、すなわち彼女達の論点に沿って意訳するならば、「男性が、自分達の仲間をして”カッコイイ”と評した男性は、概して私達の美的観点からすれば全然カッコ良かったといった事例は無く、その”カッコイイ”という評は私達から言わせてもらえば全く当てにはならない」ということになる。

 良く男性陣の間で交わされる定番の会話として「女の”カワイイ”は当てにならん」というのがある。
 これは先のオネエチャン達の提示せしめた命題の完全なる男性版と言って良かろう。
 結局、男も女も感じるところは同じ、ということなのだろう。

 オネエチャン達の血祭りに上げられていたのは、”Mちゃん”なる他称イケメン男性であった。
 彼女達によれば”Mちゃん、確かに作りはいいかもしれないけど、そんなにイケメンて感じじゃないよねえ”とのことであった。
 男性陣の触れ込みでは、”Mちゃん”がとっておきの四番打者だったのであろう。ところがオネエチャン達にとって、この四番は残念ながら不発に終わった。オネエチャン達落胆は隠せなかったようである。

 その他諸々”Mちゃん”言われていたが、よもや自分がこんなとこでモテナイ中年男性傍聴付の状況で、オネエチャン達に結構ケチョン2にけなされていたとは、男性陣の秘密兵器でもあったであろう”Mちゃん”全く預り知らぬところだったであろう。
 ひょんなことから偶々居合わせた為に、こんな”Mちゃん”の悲劇を聞いてしまった僕も、モテナイ男性陣の一人として、こんな可哀想な”Mちゃん”に深く深く同情しつつ、重ね重ね謹んで謹んで哀悼の意を表しておきたい(死んじゃいねえよ)。

 ちなみにオネエチャン達、自分達の仲間うちにも”イケメン担当””盛り上げ担当”等の役割分担があることや、その他合コン時の自分達の手の内について事細かに超至近距離で語ってくれていた。
 聞いているにつけオネエチャン達の、シタタカさ、力強さ、が伺い知れた一時となったが、ちなみのそのオネエチャン達は、その過去の合コンにおいては、残念ながらステディなカレは見いだせなかったようだ。

 話は全然変わりますけど、今日昼頃歩いていたら、NHKの中川緑アナウンサー(たぶん)を見かけた。
 ちょっと先からでもハッとわかるくらいの輝きを発していた。
 こういう女性は男好きのする女性だと思う。思ったよりも華奢な印象だった。
 まあ、エエもん見さしてもろうたです。