削除するだけです 【晴時々曇】2005年07月20日

 今日は”ゆかりん”からメールが届いた。
 やっと車の免許取ったから、ドライブに連れていってほしいそうな。
 ”いろいろ教えてもらいたいなって思っちゃってます”そうな。

 おうおう、いろいろあれこれ教えてやるから、オレの助手席に乗りなよって・・・。
 ドアホーッ!。
 ワシゃ車も金も持っとらんわっ!。
 「やっと」て、おぬしがいつから免許取ったかなんて知らんわっ!。

 しかしなして、最近のエロスパムの類いは「〜たいなって思っちゃってます」みたいな、昔の宇野鴻一郎の文体みたいなのしかこんのじゃ、全く。んなメール口調の女子の知り合いなぞおらんわ。
 ほとんどは、この宇野風か、バカ丁寧な有閑マダム風の、どっちかじゃの。大方男が書いとったりするんじゃろ。
 こうシツコイと、ほんにイライラするわ。

 こがなメールいくら出されても、ワシゃフォースの導きがあるで、すぐ怪しいメールゆうがわかるわ。
 無駄無駄。
 40過ぎの独身男性、女子に飢えとるからゆうて、こがなメールで釣ろうなんぞナメたらアカンぜよ。

 ん?、石原さとみの極秘画像はここをクリック?。
 おう、ほうか!、どれどれ、ポチッ・・・。ありゃ?・・・。

あじかん【晴時々曇】2005年07月21日

 宴席で、そこにいた若いオネエチャンの口から「アジカン」なる未知の単語が発せられた。
 「アジカン」と言われ、僕の脳にはアジ(鯵)の缶詰の映像が辛うじて思い浮かんだ位だ。しばらく考え、味野勘三郎、などという胡散臭い大衆演劇役者の如き名称を捻りだして来た程度だ。
 「アジポン?」などとボケなくて良かった、などと思ってしまった体たらくだ。

 どうやらオネエチャンの好きなミュージシャンの名前だったらしい。
 音楽好きだと思っていた僕も、もうついていけない、サッパリわからぬアーチストが出てきてしまうようになってしまった。

 なんかここへ来て僕もオッサン度が、一気に高まった。
 「アジカン」は「アジアン・カンフー・ジェネレーション」の略だそうだ。
 アジカン、オレンジレンジ・・・、どうも台所を連想してしまうのは、僕だけか。
 あ〜あ、こういう発想が、もうオッサンだね。ははは。

パコ・デ・ルシア・イン・ジャパン【晴時々曇】2005年07月22日

 今日は池袋の東京藝術劇場で行われた「パコ・デ・ルシア・イン・ジャパン2005」を観に行って来た。

 パコデルシアは、スペインの天才ギタリスト。
 基本はフラメンコギタリストであるけれども、その音楽はフラメンコを越えている。

 僕もパコデルシアの生の演奏に接したのは初めてだったが、まあ凄かった。カッコ良すぎた。
 普通のフラメンコギターをイメージしてパコデルシアに接すると、その凄まじいフォースの電撃に打ちのめされることだろう。

 その音楽は、フラメンコだったかと思えば、時にドビュッシーのピアノ曲のような絵画風になったり、ロックのようでもあり、民謡のようでもあったり、ジャズのインプロヴィゼーションでもあったり、実に多彩な変化をしていく。
 相当な早弾きをしているのにも関らず、その指の動きは滑らかで淀みない。
 まるで打ち出の小槌を一振りしただけで、色とりどりの様々な宝物が、そこから沢山飛び出してくるかのようである。

 フラメンコの暗い情念が醸し出す、ダークサイドな味わいすら感じられるサウンドは、呪術的な神秘性を帯びて、僕らを異様な宗教的ともいえる興奮へと掻き立てる。
 まさに今日来た観客は、その名を意識せずとも、パコデルシアの背後にミューズ(音楽の神)を感じていたに違いない。それが証拠に、それほど大観衆というわけでもないホールが熱狂的な大歓声に包まれていた。

 歴史的に音楽はしばしば、ある天才によって、伝統的なものと異文化とが融合され、異次元へと解放されることによって進化を遂げてきている。
 パコデルシアも、確実にそれらの天才の内の一人だ。

宇宙戦争〜スターウォーズ【曇】2005年07月23日

 今日は「宇宙戦争」と「スターウォーズ」を観た。
 巷では、ルーカスVSスピルバーグという図式で騒がれていたけど、観た印象では映画の質も違うし、優劣どうこうは、どうなのかな?という感じ。
 僕はというと、まあ優劣をつけた方が話としては面白いだろうから敢えて言うと、一応スターウォーズファンの端くれなので客観的に判断できないのはご了承いただくとして、好き嫌いで言えば「スターウォーズ」の方が好きと言わざるを得ない。

 ただ勿論「宇宙戦争」も充分楽しめたことは楽しめた。原作が古典的な名作だけに、ストーリーもちゃんとしているし、映像も良かったし、人類への警鐘とか家族の絆とかパニック心理とか副次的なことも良く伝わって来た。スピルバーグで言えば「ジョーズ」の系統になるのかなあ?。

 まあ「スターウォーズ」と比べちゃうとなあ・・・。
 「スターウォーズ」は、観ていると、こちらの想像力を掻き立てるし、副次的なことを含め、いろんなものが伝わってくる。
 観た後に高揚感があるし、又何度でも観てみたいと思う。ファンにとっては映画を越えた何かがある。

 その点「宇宙戦争」は、ハッとする程刺激的で無いというか、想定範囲内というか、映画としては充分面白いけど、それ以上にこちらをインスパイアしてくれる程では無かったというのが正直なとこか。あくまでも「スターウォーズ」と比べちゃうとだけどね。
 たぶん「宇宙戦争」も「エピソード1」作って、100万年前の、その戦争計画の頃の話をでっちあげちゃえば、「スターウォーズ」に類する面白さが出てくるかもしれないけどね、ははは。んなこたやらないって?。

 「スターウォーズ」のエピソード4〜6は、随分ファンタジー性が強くて、新シリーズのエピソード1〜3は、ファンタジーというよりもドラマ性が強いな、などと思っていたけど、こうして他のSF映画と比べると、新シリーズも、設定が空想の星星ばっかりなので、随分ファンタジー性のある映画だなあと、改めて感じた。

 「スターウォーズ」の難点を敢えて言うと、やっぱりエピソード4〜6、1〜3を通して観てみないと、いろんな面白さは伝わってこないかもしれない、というのがある。
 用語・設定・人物関係を把握しておかないと、特に新シリーズは理解が難しいかもしれない。
 でも、それでも活劇性やファンタジー性だけでも、ある程度楽しめるようには作られているから、そこはルーカスの手腕なのかもしれない。

 僕も今回のエピソード3は、もう何回か観たが、今日やっとわかったようなこともある。
 例えば、アナキンが、親しかったパルパティーンがシスだとわかり、それをジェダイマスターのメイス・ウインドウに報告し、その後ジェダイ聖堂の会議室で一人、メイス達がパルパティーンを逮捕しに行ったのを待つシーンがある。
 ここは妻のパドメがアパートで憂鬱そうに佇むシーンと交互にカットが入る。結構時間を取っている。セリフはほとんど無い。
 ファンにとっては、オイシイシーンを随分カットしてテンポアップしているのに、ここの一瞬冗長とも思えるシーンに、なんでルーカスは時間を割いたのだろうか?。

 僕の勝手な推測で、今日ピンと来たのは、ここがアナキンのダークサイドへのターニングポイントのシーンだったのではないか?と感じたのだ。今回観て初めてやっと、そう感じた。ここだったのかあ!、という感じだ。
 自分が、このままジっと待っていてしまうと、パドメを救う方法を知るパルパティーンは殺され、パドメはこの世からいなくなってしまう。
 ゲーテのファウストでは無いが、頼るべき者が、例え悪魔だったとしても、最愛の人を守る為には、今自分が悪魔に魂を売り渡すしか方法が無い、そういう苦渋の選択を、あのジェダイカウンシルの会議室で、アナキンは涙を流しながら行なった。すなわちダークサイドへ心を売り渡すことを決めたシーンだったのだ。こうしてアナキンはパルパティーンを形としては助けに行ってしまうのである。
 そう考えれば、確かにヨーダがダゴバに行くシーンをカットしてでも時間を取って入れるべきシーンだったのだ。
 それが数回観てやっとわかった。

 あともう一つは、オビワンがグリーバスを倒す為に出発する前に、アナキンに別れを告げるシーンがある。
 ここでのオビワンのセリフ「Good-bye old friend・・・」が最初に見た時からやけに気になっていて、単なる任地への出発にしては、最後の別れみたいな感じだなあと思っていた。
 ここも、今日観ていて、良く見てたら、確かに、ダークサイドに堕ちる前のアナキンとは最後の出会いのシーンだったことに気づいた。この後再会した時には、アナキンは既にダース・ヴェイダーになっていたのだ。確かに弟子として、ジェダイとしての事実上の決別のシーンになっていたのだ。
 それが数回観てやっとわかった。

 ・・・と、まあ「スターウォーズ」については、どんどん言いたいことが出てくるなあ。
 ちょっと今日はここまで。

又スターウォーズですが何か問題でも?【曇】2005年07月24日

 昨日の続きです。

 今回の「スターウォーズエピソード3」は、僕が当初イメージしていたものからすると、大分短くまとまっていた。
 ただ、僕がこんなことを言うのは、大変おこがましいけれど、まあたぶん、ジョージ・ルーカスの描きたかったものは、描かれたんじゃないかな、とは感じた。

 黒澤映画の如き活劇的な要素もあるし、今回のエピソード1〜3の大きなポイントであるダークサイドに関しても、僕には良く伝わって来た。
 もし観客に伝わらなかったとしたら、それは制作者と言うよりは、我々観客が「ダークサイド」に対してまだあまり認識していないからだろう。

 アナキンは自分が命まで賭けて守ろうとした最愛の妻を、自分の手で殺めてしまうという、端から見れば、とんでもなくお粗末で滑稽な程の失態を演じてしまう。
 しかし映画としては、これでイイのである。これで充分だ。
 この不条理、矛盾こそが、まさにダークサイドなのだ。

 恋愛というのは、ある意味最もダークサイドに陥り易い状況が現出される。
 象徴的な言い方をすると、最愛の人だと思っていた人が、ある日、ちょっと別な方向に向きを変えただけで、途端に、そこから不信感が生じてしまう。ダークサイドへの第一歩だ。ほんのちょっとなのに。
 そうなってしまうと、もうそこに「愛」は無くなる。
 あるのは失うことへの恐れなのである。
 恐ろしいのは「向きを変えた」のが、単なる誤解だったとしても、なのである。
 もうそこからは自分だけの世界、「他」が無くなった状態で、ダークサイド的な状況はどんどん迷路に陥っていく。
 まさにヨーダがエピソード5だったかでルークに言っていたように「ダークサイドは入り易い」のである。

 つまりダークサイドに陥ると、自分が何をやっているのか見えなくなってしまう。
 端から見たら、とてつもなく馬鹿げたことをしているのに、当人は全く気づかない。
 これこそが、まさにダークサイドなのである。

 エピソード3はシス・パルパティーンの思惑通り、ジェダイが戦いに次ぐ戦いで摩耗し最後には裏切られ壊滅してしまうという展開になる。
 戦争自体が最初から、ジェダイをハメる為の壮大な罠だった。そしてアナキン・スカイウォーカーという類い希なフォースの使い手を、自分の側に取り込む為の罠でもあった。

 冒頭で分離主義者のリーダーでもあるシス卿ドゥークー伯爵が、アナキンに殺されるシーンがある。
 ここでアナキンは一瞬躊躇するが、人質として捉えられていたパルパティーンがドゥークーを殺せとけしかけた為、アナキンはそれを実行してしまう。この時ドゥークーが、一瞬パルパティーンを驚いた表情で見返す。
 設定を知らなかった人には、わかりにくかったかもしれないが、ドゥークーにとってパルパティーンは自分の師匠・上司なのだ。アナキンはそれにはまだ気づいていない。
 ダークサイドに特有の「裏切り」がいとも簡単に遂行される。
 すなわちパルパティーンは人質のフリをしながら実はアナキンをシスたるべき者としてテストしていた。アナキンはドゥークーに変わる新しいシスの弟子として自らドゥークーを倒して自分が弟子の位置を確保してしまったことに気づかない。ドゥークーは単なる犠牲・道具にすぎなかったのだ。
 まさに「仁義なき戦い」だ。

 そして最後は、アナキンとオビワンの、まるで兄弟喧嘩の如き壮絶なバトル、まさに我々の持つダークサイドの中でも最も象徴的な「骨肉の争い」とも言える戦いでクライマックスを迎える。
 そこでのアナキンの悲痛なセリフ「Liar!」や「I hate you!」は、もうスターウォーズという空想の世界を越えて、我々が日常生活でダークサイドに堕ちた時の言い回し、姿と、ほとんど同じ、象徴なのだ。

 かくの如くエピソード3には、全編にダークサイドの香がプンプンと漂っている。
 アナキンはシス卿になってしまい、パドメは死に、ジェダイは滅び、共和国は解体し、皇帝の独裁国家が現れる。

 しかしながら、こんな悲劇的な結末を迎えてしまうエピソード3ではあるが、そこでは、両手を挙げてのライトサイド賛美、というわけでは無いのだ。ここが「スターウォーズ」の面白いところだけど、これについて書いているとキリが無いので、またいつか。

 このブログ、シネマというカテゴリー設けたけど、「スターウォーズ」の話ばっかになっちゃった(失笑)。

女流ブログ【台風】2005年07月26日

 台風のおかげで、敢えて「おかげ」と言わせてもらう、仕事は早帰りになった。
 「スターウォーズ」見に行っちゃおうかな、と思ったけど、こないだ買った「魔法の杖」という本を見てめくったら「NO」という答えが出て来たので、飯食ってそのまま帰って来た。

 蒼井そらチャン、というAV女優がいる。
 僕は特にファンでは無かったのだけれど、こないだふとしたことで、この子のブログを読み始めた。
 結構クセになる心地よさがあって、いつもチェックさせていただいている。

 女性の日記・ブログを読むのは、僕みたいな独身エロ中年には楽しみの一つだ。
 女性の書くものには男性には無い感性があるし、文体も真似できないような女性特有の感覚がある。

 素人の女性さんの日記が、今では至る所で見かけられるようになった。僕は嫌いでは無い。
 著名な女流作家の日記とかも読ませてもらうけど、やっぱりこういう人達はものすごくパワーもあって文体もユニークだ。世に出るだけのことはある。
 ただ僕は素人さんの、ともすると、か弱い壊れそうな、でも女性らしいフンワリした感じも好きなので、女性の方は是非、著名な女性のパワフルでユニークな文体を見て自己嫌悪に陥らないで、ナンバーワンじゃなくてオンリーワンじゃないけど、自分の個性を活かした日記を書いてほしい。

 ありゃ?、オレ偉そうに、何言ってんだ?。

なるティックTOWN【快晴】2005年07月27日

 なんか久し振りに青空を見た。
 いつもと違うイイ気を感じた。
 スターウォーズのヨーダ風に言うと「The Light side ,I sense in the air」。

 石原良純が言っていたが「なると巻」の9割は静岡県焼津市で生産されているそうだ。
 すなわち焼津は「なるとの街」だったんだ。
 スターウォーズのヨーダ風に言うと「The town ,of NARUTO roll」

 ちなみに静岡県焼津市は僕の郷里です。
 ですから、なるとをヨロシク。
 生をワサビ醤油かなあ。
 チクワは生をワサビ醤油がイイな、うん。それも切ったりしないで、一本丸ごとを寿司のように手でつまんでワサビ醤油につけて食べる、これがチクワのベストの食い方。
 あれ?、チクワの話だっけ?。

DNA【曇後晴】2005年07月30日

 夏はモモヒキがエエぞう。
 寝間着の代わりになるし、涼しいし。
 あ〜あ・・オレの姿、いつの間にか子供の頃いつも目にしてた祖父の格好に近づいてる、確実に・・・。

あま〜い【曇時々晴一時雨】2005年07月31日

 スピードワゴンの「あま〜い」買ってきて読んで一笑いした。楽しいね、このアマイセリフってやつは。
 そういえば昨日の「エンタの神様」でやってたザ・プラン9の5人漫才は面白かったな。なんか吉本新喜劇風のテイストがあって良かった。
 今関東だと新喜劇をテレビで観られる機会が無いので、又こっちでもテレビでやってくれたらイイのになあ。