ダークサイドの意義【曇後雨】2005年10月15日

 今日テレビ朝日「オーラの泉SP」を見ていたら、花田勝氏が現役時代試合の時に相手の「気」のようなものを感じて戦っていたという話をしていた。
 面白いと思ったのが、これがスターウォーズのジェダイの戦い方に似ているのである。

 スターウォーズシリーズの映画だけからは、ジェダイの戦い方についての情報は、あまりわからないのだけれど、エピソード1〜6以外のストーリーを扱ったクローン大戦関係などのノベルズを読むと、その辺の情報が良く出ている。
 かいつまんで言うならば、習練を積んだジェダイはフォースの流れを把握し、その意志によって、その場の状況に合わせながら戦う。

 こうした知識を踏まえて映画を見ると、ジェダイが武術的な技術の他にフォースを使って戦いをしている為、割と見た目に簡単に動いているように見えても、それが力量のあるジェダイの戦法だとわかるシーンなどもあるのである。

 スターウォーズシリーズは勿論フィクションだ。だが実際に花田氏のように「気」を感じとることのできる人にとっては、もはや「フォース」は空想のお話では無くなってきそうだ、

 それにしても霊能者というのは、今の時代においては、つくづく大変だな、とは思う。
 たぶん、ああいう人達が関る事象、関らなければならない事象は、勿論良いこともあるだろうけど、ほとんどがダークサイドな事象だろう。
 悩み相談、カウンセリング、とは言ってみれば、ダークサイドとの付き合い方を処方することに他ならない。
 よほどの霊力と健全な精神が無いと、難しいだろう。

 ところで最近つくづく思うのは、スターウォーズで出てくる、このダークサイドなパワー、というものは、概念では無く実際本当にあるんじゃねえか?ということだ。
 僕も冗談や便宜上、このダークサイドという概念を良く使う。今も使った。
 ダークサイドの事象とは、まあ簡単に言ってみれば地球上での認識で言う「悪」の事象だ。
 僕は身の回りのダークサイドは、自分の心が現象界に投影したものだ、と思って来た。そう思うよう心がけて来た。
 確かに、その側面はある。
 自分自身のダークサイドに気づく、これも大切な修行の一つだ。

 ただ最近、それとは違い、自分のコントロールできるところを越えた、他者のパワーとしてのダークサイドな事象のパワーも、どうも本当にあるような気がしてならなくなってきた。
 自分のイメージでは、ここまで起こらないだろう、というような妨害や中傷や非難といったものが別な力として既に存在しているような、更にはいつもの自分なら絶対しないのに、まるで魔が差したように思いがけない行動をしてしまったりする時、などというものが、少なからずあった。
 いわゆる邪悪な力の妨害だ。

 これらのダークサイドな事象も根本的原因は、自分の波動が引き寄せたということもある。
 ただ言えるのは、言い訳がましく聞こえるかもしれぬが、自分から「ダークサイドに吸引されてしまった」のだ。自分が産み出したのでは無く「近づいていって」しまったのだ。
 ということは、やっぱりダークサイドなパワーがあった、と認めた方が話は早いのだ。

 ダークサイドパワーは、それが簡単に増幅するのが厄介だ。怒りは怒りを産み、トラブルはトラブルを産み、まさにスターウォーズでヨーダが言っていたように、ダークサイドは、陥り易く誘惑的なのである。

 ここからは又僕の空想話として聞いてほしい。
 ダークサイドパワーは、もうあるものと仮定しよう
 じゃあ、一体ダークサイドパワーは、なぜ存在するのか?。
 なぜここまで僕らを苦しめるのか?。

 そのヒントが、又々スターウォーズで申し訳ないが、あの映画には、隠されている。
 それは「フォースにバランスを取る為」、ということだ。
 僕らの実際現世的に言うならば、精神的思想的肉体的、といったあらゆる側面で、バランスを取ることのできる健全な魂を作る為、ということになる。

 表面的には、ダークサイドパワーは、僕らを堕落させたり麻痺させたり混乱に陥れたりして、進化の動きを止める。
 しかしそれは、更に大きな宇宙的観点から見ると、我々にバランスの概念を授ける為の一つの試練、だと考えられるのでは無いだろうか?。

 勿論ダークサイドに関らないで生きていければ、それは理想だし結構なことだ。
 でもスターウォーズのルークのように、どうしても運命的にダークサイドと向き合わなければならない人も少なからずいるはずだ。
 そうなった場合、ダークサイドの誘惑に勝つ云々よりも、更に大事なのは、自分に健全なバランスを取り戻すこと、それが宇宙の真意だと感じることが必要な気もする。

 こうも言えるだろう。
 ダークサイドに打ちひしがれて希望も気力も失った人は、その逆の肯定的なパワーを身につけ幸せに生き、バランスを取り戻す義務があると。
 逆も真なりで、自分だけの進化を追求したり、あるいは力を過信したり幸せに感謝を忘れ傲慢になったり、向上心を忘れ形式主義になったりすれば、エピソード3のジェダイのように、シスから強烈なしっぺ返しを被るかもしれないので要注意だ。

 この「フォースにバランスを取る」というテーマは、あの映画が扱っているテーマの中でも、かなり深い部類に属すると思う。だから簡単に説明するのも難しく誤解も生ずるかもしれない。考察し出せば果ては古の「イエス・キリストの受肉」なんてなところまで話が及ぶ可能性すらある。
 そんなとこまで、この日記ごときでは書くつもりは無いし、書けもしないので、ともあれ僕なりに簡潔にまとめるならば、現世的な事象に左右され自分を見失わない為のバランス、今まで経験したことのない世界と今までの自分の世界とのギャップを埋めるバランス等等、そうしたあらゆる局面でのバランスを取り戻すことが、それがダークサイドパワーの現れる意味の一つなのでは無いか?、そう思う今日この頃なのである。
 この話、まだまだ続けられそうだな・・・。

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