愛の惑星、旅の途中2007年07月23日

 20代くらいの若い人と趣味の話などをしていると、「多趣味ですねえ」とか「マルチですねえ」などと言われることがある。
 実際は僕が多趣味だったりマルチというわけでは無い。
 僕はただ単に今までやってきたことを横に並べて話しているだけなのである。
 それが若い人から見るとマルチに写るのだろう。
 僕は”あと20年もしたら君らも自然にこうなってるよ”などと言うのだが若者達は、まあまだあまりピンとはきてないようだ。

 年季というのが、きっとこういうものだろう。
 確かに年数が経って自然に身についた心的態度というのもある。

 昔は占いの結果やおみくじの結果などに一喜一憂したりしていた。
 しかし低迷期のハプニングやトラブルというものは、必ず人間的成長をもたらしてくれるものだ。
 凶期というのは物質的世界から見た凶であって、人間の魂にとっては必ずしも凶では無い、むしろ吉の要素が強いと言ってもいいかもしれない。
 そういうことが年数が経つにつれ次第にわかり始めてきた。

 だから若者が「初詣のおみくじで大凶が出ちゃいましたあ」などと言っていれば、「それは成長の飛躍的チャンスが巡ってきてむしろ喜ぶべきことだ」などといった意味のようなことを訓たれる。

 しかしここが僕のまだ未熟な所であるのだが、当然のことながらこうした説教も、若者にはあまり説得力が無い。
 一つには僕がまだ成長の途上にあって、人生の真理を良く理解していないことにもよる。
 それから説教たれる僕のバックのオーラが、若者に対してまだ”気の毒に、これから大変だが、まあ頑張れよ”的な、同情というか哀れみというか、一種他人事のような気をまだまだ醸し出してしまっているからでもあろう。

 きっと悟った聖人や、スターウォーズのヨーダクラスのマスターなら、こうした説教も全く屈託も無く心底喜ばしげに言うことができるのだろう。
 だから僕も早く「何?、大凶?、おう、君はこの地球という貴重な学びの場で、ラッキーなことに飛躍的な成長の鍵を手にすることができたじゃないか!。きっと君はこの試練を経ることによって人間的深みを増し、やがて多くの人から尊敬されるような大いなる人格に変貌を遂げることができるだろう。おめでとう!」と、全く一点の曇りもなく喜ばしげに言えるようになりたい。

 さてと・・、明日の僕の運勢は・・・と・・。
 何?、大凶?、
 げげっ、ショック!!!、めっちゃテンション下がるわ~!、ギザど~ん!!。