暗渠2011年08月07日

暗渠(あんきょ)とは、川や用水路に蓋をして閉水路になっているものを言う。
東京には、この暗渠が沢山ある。

僕は昔上京する前までは、東京は「関東平野の一部」と習ったので、平べったい土地かと思っていた。
実際住んでみると全然そんなことはなかった(笑)。
坂は無数にあるし、〜山という地名も沢山あり、要するに台地地形なのである。

その台地地形を更に複雑にしたと思われるのが、遙か昔は東京にも数多く流れていたと思われる川である。
今は、ほとんどが暗渠となり、その面影は坂の存在から類推することぐらいしかできなくなっている。

僕のような後から東京に移り住んだ輩などは、もし川が暗渠にならずに残っていたら、さぞかし東京も風情のある景観が残ったのではないか?と、残念に思う時がある。
僕の住む地域の近くにある大塚の南口に、かつて繁華街として栄えた三業通りというのがある。
その三業通りにも、かつて川があったようだ。
もしかしたら京都みたいな風情を醸し出せたのかもな?と思う。

しかしこうしたノスタルジー風の願望も、後から東京に移り住んだ輩のエゴの現れにすぎないようだ(笑)。

そもそもなぜ暗渠になってしまったか?ということを調べていけばわかることであるが、暗渠になる前は、水難事故や雨量が激しい時の川の氾濫による洪水・浸水など、地域の住民の頭痛の種になるような問題が多発していた場所が数多くあったようだ。
であるから、暗渠は完成した当時、地域住民にも歓迎されていたものが数多くあったようだ。

よくよく思い出してみると、実は僕の故郷の実家のすぐ近くにも、かつて小さな川が流れており、僕がまだ上京する前には、既に暗渠になっていた。
暗渠になる以前には、毎年夏や台風の季節くらいになると、一年に1〜2回は必ず、家が浸水していた。
暗渠になってからは浸水が無くなって大変有り難い想いをしたことを覚えている。
川に落ちたこともある(笑)。
当時中学生くらいだったろうか、兄弟の面倒をみていて、三輪車か小さい自転車に乗って手本を見せようとしていたのが勢い余って川に突っ込んでしまった。
運悪く、丁度近くの保育園の保母のお姉様方の帰宅途中に遭遇してしまい、川から這い上がってきた化け物然とした姿を悲鳴混じりに見られてしまい、大変恥ずかしい想いをしたのを今でも覚えている(笑)。

後からきたものにとっては、一見否定的に見えるものでも、それが出てきた当初の思想は当時の人々の善意によって成されたものは多い。
それが時代の移り変わりや我々の意識の変化と共に、状況にそぐわなくなって不要のモノに見えてしまうこともある。

暗渠に限らず他にも数多く、そうしたものがある。
中には暗渠と違い、実際に不要になってしまっているものもあるだろう。
しかし必ず当初は善意によって始められたはずだ。
もし捨てるにしても、そうした当初の善意を、少し思いめぐらせて見るのも、捨てるモノに対する良い供養になるに違いない。

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