プア充に思う2013年11月04日

最近「プア充」という生き方が注目されているそうだ。
「プア充」とは、お金が無くても充実した生活を送ることというような意味だそうだ。

プア充の根底には、経済成長を続けなければいけないという強迫観念に捉われた今の日本社会へのアンチテーゼという意味合いもある。
であるから、この考え方を、高度経済成長やバブル期を生きた人々は簡単に受け入れがたいのかもしれない。

「プア充」などというと、貧乏人の負け惜しみだと言われそうだし、プア充の非生産的側面等の否定的な部分を批判する人々もいるだろう。

しかし僕は、「プア充」という考え方が出てくること自体が、非常に良い傾向だと思っている。

「プア充」の是非は兎も角、そうした経済至上主義に対するバランスをとるべく出てきた考え、という点に僕は着目したい。

我々がプア充を受け入れていくには、まずいろんな意識を変えていく必要があるだろう。
すなわち、心理学でいう「認知的」意識改革が必要だろう。

今のほとんどの経済界や、政治は、「経済成長」という魔物に憑りつかれたようであるとも言えるだろう。

成長しなければいけないのは、経済では無く、我々の道義心道徳心とか、それを含んだ精神的な部分であって、経済の成長は、有限な物質世界の産物であり、人類が目指すべき第一義の命題では無いと思う。

有限な経済成長というものは、いつか限界がくる。下手すれば破綻・崩壊が待っていることもある。
誰かが儲かれば、誰かが損する。
世界のいろいろな情勢が、それを示している。

経済至上主義の考えは、かつては良かったのだと思う。
ある時代においては非常に有益な考え方だったと思う。
戦争で何も無くなった所に、経済至上主義は、逞しく力強く復興する力を与えてくれたのだと思う。

しかし、そうした考えも、日本人は実はもう卒業すべき段階まで成熟し成長していて、もはや次の段階にシフトしていい、シフトすべき時期に差し掛かっているのだと僕は思っている。

その象徴的な考え方が「プア充」ということなのだろう。

バブルを考えてみる2013年11月10日

僕が社会人になってから数年間は、ちょうどバブルの時代だった。

今よくテレビでバブル時代を検証するような番組をやっていたりするが、大抵は文化的な側面や経済的な側面しか捉えていなかったりする。

確かに僕もあの時代は、いくらタクシーを使っても交通費が全部出たことを考えると、経済的な面では恩恵を受けていたといえる。

しかし、しょっちゅうタクシーを使っていた、ということはそれだけ当時残業ばかりしていた、ということに他ならない。

メンタルヘルスマネジメント検定の勉強をやったおかげで、日本も大分企業が社会人のメンタルヘルスを考えることができる状況に、制度が整ってきたことがわかった。

それまでは社会人の過労死とか自殺の問題も、メンタルへルスの不調だとは考えてもらえない状況があったと思う。

バブル時代なんか、まさにそうで、お金が使われたと同時に、僕らの時間もとことん使われた。
深夜残業・休日出勤は当たり前、そういう雰囲気・土壌が、あのバブルの基盤にあり、あの時代を支えていたとは、今は考えてももらえぬだろう。

勿論、そうした土壌は、バブル特有のものでは無く、日本の企業には昔から根付くものかもしれない。
まあ、しかしながら、その特徴がバブル時代で顕著に表れたのは確かだ。

あの時代の無茶な働き方で、健康や家庭や人生を損ねた人もきっと多くいるだろう。
あの時代に、メンタルへルスが、もっと考慮されていたら、犠牲者は大幅に減ったのかもしれない。いやしかし、逆に考えると、バブルの無茶があった為に、メンタルへルスを考慮する動きが、やっと出始めたのかもしれない。

もしバブル時代に戻りたいですか?、と問われたら、即答、いや喰い気味で、「とんでもないです。絶対戻りません!」と僕は答える(笑)。

どちらかといえば懐かしがりに来た2013年11月17日

今日は府中の試験場に免許の更新に行ってきた。

前回は砂町の方で行ったので府中は久しぶりになる。

試験場に行く前に、免許を取るために通った、東府中の教習所の前も歩いた。
こちらも久しぶりだった。15年以上ぶりだった。
お笑いコンビのバイキングのコントで、教習所に懐かしんで来るというネタがあったが、何だか、それと似たような感じになってしまった(笑)。

その教習所沿いに品川街道というのが通っている。
今日は免許更新の前と後に、この品川街道を少し歩いた。

昔東京は稲城市というところに住んでいて、街道好きの僕は、実はこの品川街道は、その頃良く自転車で来ていたりしたもんだった。
つまりは、この品川街道も久しぶりだった(笑)。

最近は日が短くなってきて、夕暮れになると、それも日曜の夕暮れは、どうにも切ない心持になってくる(笑)。

そして今日は、試験場、教習所、品川街道、と懐かしい場所を久々に味わったことで、なぜか胸が一杯になる思いだった(笑)。

免許更新に来た、というより、懐かしがりに来た、ような一日だった(笑)。

風景カレンダーの十二月2013年11月24日

毎年今頃は来年のカレンダーを買いに行く時期だ。

僕は大体4~5冊買う。
必ず1冊は、綺麗な風景か花のカレンダーにする。

ただ風景のカレンダーを買うときは注意がある。

それは12月の風景が暗くないやつを購入する、ということだ。

風景のカレンダーは、裏に大抵小さなサンプルが載っているので、それで確認できる。

まあ、当たり前、と言われるのだろうが、12月は冬の景色だ。
しかし大抵の風景カレンダーは、この12月の風景が暗く物悲しい。

きっと僕と同じ思いをした人はいると思うのであるが、もう押し迫って、もうすぐ来年を迎えようという時期に、暗く物悲しい風景が部屋に、飾ってあると、なんだかこちらも物悲しくなってくる。

僕としては、12月は雪景色等でも良いが、空は青空だったり、色鮮やかな植物が移っていたり、とか、そういう明るいのにしてほしい。

その点、花のカレンダーは、その辺を考慮してか、せぬかわからぬが、兎に角明るい感じでまとめてくれているので、安心して買える。

一度、風景のカレンダーを12月分を良く確認しないで購入してしまい、あまりの物悲しさに、12月の半ばくらいで、早々処分してしまったことがあった。

明るくしてほしいのは、梅雨の六月分にも言えることであるが、六月は、まあ最悪まだ次の七月の明るさでカバーできるので、まだ我慢できるが、12月はなんといっても締めくくりの月なので、明るいもの選びには特に神経を使うものだ。

12月は、是非明るいものを、いや、12月こそ、明るいものを、とカレンダー業界に一考を促したい(笑)。