暗黒面から光明面へ【晴】2005年11月11日

 スターウォーズエピソード3のDVDの発売が近づいてきた。早くまた見てえ。
 ファンサイトなどでは、スターウォーズ旧作・新作のどちらが良いか等の議論が活発になっているようだ。

 僕はといえば、勿論どちらがどうとは言えない。
 新旧で大きく違うと思うところは、旧作が割と映画らしく、テーマも親子愛・友情・恋愛など幅広く扱っているのに対し、新作は「ダークサイド」を非常に重点的に扱っているところだ。

 僕は考えるに、これはルーカスが意識するしないに関らず、現代の人類において、未だダークサイドな局面に遭遇する場面が多く生じ得ること、それから現代人がダークサイド、闇を、あまり理解しておらず、闇に堕ちているのに気づいていないことに対する、ある意味忠告というか、そうした流れがあるのでは無いかと思う。

 別にこれは脅しとか引きずり下ろそうというわけでは無く、こう考えると良いと思う。
 ちなみにこっからは、あくまでも僕の空想タイムですけど。

 例えば大学の卒業シーズン間近になると、卒論を提出するのを義務づけられる。
 ダークサイドとの対面は、人類の進化における、ある意味”卒論”の如き意味合いがあるのでは無いか。

 では人類は、一体何から卒業するのか?。
 卒業時期は、2012年とも言われているし、2000年だったとの説もある。
 今回のこの大学期は、15世紀くらいに始まったとも言われている。
 まあ今から何年が、その時期だといっても、それでやるべきことに変わりはないので、その年自体が人間にとって最重要なことでは無い。

 今期は人間がある意味、物質的な考え、物質主義、科学万能主義に支配された時代だった。
 古代の人間は、現代に比べ霊性ともっと密接にあった。
 それは「当たり前」であり、言い替えれば「無意識」であった。言ってしまえばそれを本当に理解していたのでは無かったかもしれない。
 もしそのまま行っていたら、人間は真の進化ができなかったかもしれない。
 人間は現代において、それを一旦自分達から切り離した。霊性とは幻想だ、幻覚だ、という考えをするように至った。

 光の中だけにいると、光が何者なのか、その重大さにはなかなか気づかないものだ。
 闇があって、初めて光の存在を意識的に見るようになる。
 それと同じように、霊性を一旦捨て去り物質主義の中に没入することで、初めて霊性を意識的に振り返るようになる。
 これからの時代、今度は人類は霊性を「意識的」に考えるようになる。
 霊性と切り離された物質主義からの卒業。
 それが現代だったのだ。

 かつて無意識で当たり前だった光の存在を、人類は今度は意識的に見つめるようになる。かつてはまだ獲得されていなかった個我の自由を携えて。
 光を当然のこと無意識のこととしてでは無く「意識的」に考えるようになる。
 ダークサイドは、その為の準備、今までの時代の象徴的な事象だった・・・、と、僕は考えているのである。
 であるから「ダークサイド」に対する人類の対応が、言わば卒論のテーマのようなもの、とも言えるのでは無いか・・・、と、僕は考えているのである。

 コブクロの「ここにしか咲かない花」という僕も大変好きな楽曲があり、この曲はまさにブライトサイドからの語りかけのような歌だと感じている。
 その歌詞にこんな一節が出てくる。
 ”闇が教えてくれるのは、そこにある悲しみだけじゃない。うつむく顔を上げて振返れば、そこにある光に気づくだろう”。
 この曲を、晴れた日に瑠璃色の海を前にして、うつむいていた顔を上げて空を見ながら聴いてみれば、光からのメッセージが受け取れるかもしれない。

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