金曜いいとも&シューベルト【晴】2005年11月19日

「笑っていいとも」で、さまあ〜ずが、木曜から金曜に移った。
 当初、木曜の習字の企画達筆王を離れちゃったり、金曜の”輝け許センス大賞”に入ったり、ちょっと違和感があったが、今や”輝け許センス大賞”も、かつての内Pを彷彿させるノリになってるし、さすがさまあ〜ず、やってくれる。
 あと南海キャンディーズが入ったことでタモリ達とのコラボレーションもイイし、金曜いいともオーケーです。南海キャンディーズの山ちゃんも最高。
 さまあ〜ずは、ツボや感性が合ってて、非常にコンテンポラリーに好きな芸人さんだ。
 あと今週、月曜坂下千里子と木曜井上和香が番組中に泣くという、奇跡?が起こった。日曜のいいとも増刊号で特集するらしい。

 ところで話はガラっと変わって、我が郷里静岡県焼津市では今日は「おいべっさん」、すなわち恵比寿講の縁日に当たる。
 そして我が身内の中でも精神形成において僕に影響力の大きかった母方の祖父の命日でもある。
 そして奇しくも、オーストリアの音楽家シューベルトの命日でもあるとされている。
 同じ11月生まれの僕にとっては、何かしら只ならぬ縁を感じる日だ。

 シューベルトというと「アヴェマリア」「未完成交響曲」「魔王」あたりの名前が出てくる。
 確かにこれらの楽曲の素晴らしさは今更言うまでも無いところなのであるが、おそらく一般的なシューベルトのイメージはここで止っていることだろう。
 これは学校教育の弊害かもしれない。上記の曲はシューベルトの世界からすれば、ほんのごく小さな部分でしかない。

 先行する、あまりにも偉大なベートーヴェンや、後に続く絢爛豪華なロマン派の狭間にあって、若くしてその生涯を閉じたシューベルトの音楽作品は、正直正当に市井に理解されているとは言い難い。

 一般的には歌曲の作曲家としてのイメージが強い。しかし器楽曲、特に晩年のものを聴くと、その到達し得た境地は、とても30そこそこの精神とは思えない深さと新しさがある。
 僕は、ある意味、彼こそ本当の純粋な音楽における天才だったのだろうと思う。

 それはあのあまりにも有名な「アヴェマリア」からだって伺いしれる。
 主旋律の美しさもさることながらピアノの伴奏の実に音楽的な陰影に満ちた美しさは、この音楽の魂と天上との分かち難い結びつきを髣髴とさせるものだ。

 てなわけで、しばらくシューベルト強化月間に入ります。
 ん?、それがどーしたって?。

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