怒りを消すには2007年07月29日

 引っ越してから自分の気持ちの中で変わったことが、幾つかある。
 その一つが洗濯に対する怒りが消えたことだ。
 ”あの怒りは一体何だったんだ?”てなくらい、スッと消えた。

 以前は日曜に洗濯するなんて考えられなかった。日曜の夜に洗濯なんて有り得なかった。
 土日と休みがあったら、家事雑用は土曜に全部済ませて、日曜は家事などせずキッチリと自分の時間を持ちたかった。
 それができずに日曜の夜に洗濯しなくちゃならない事態が発生するや、もう僕の怒り、まさに怒髪天を抜き、抜きすぎて宇宙に行っちゃうくらいであった。今洗濯なんかしてる場合じゃネエんだよっ!、と何度衣類を床に叩きつけたことかしれない。

 ところがそれが今や、日曜の洗濯が何でも苦にならなくなった。
 なんなら外出前と後で二回やっちゃうくらいにまでなった。

 なんという変わりようであろうか・・・。

 今は一週間あたりの洗濯回数が増えた。
 一週間あたりの洗濯量は昔と、さほど変わっていないから、一回の量が減った。
 一回の量が減って、尚かつ室内に洗濯を干せるスペースが以前に比べ格段に増えたことで、それが僕を多大に癒してくれた。

 以前は一枚のパンツを物干しハンガーの洗濯バサミ一個に干していた。
 それが今は一枚に2個使って、悠々と拡げて干している。それだけ余裕ができた。乾きもイイし皺も減った。
 下着用のハンガー、パンツ&靴下用と2個ハンガーを分けて干せるようになった。
 もう家の中を歩いて、濡れた洗濯物が顔にぶつかることもなくなった。
 スペースが僕の気持ちにスッカリ余裕を与えてくれた。

 以前は遅く帰った時に、タイマーかけていた洗濯を干さなくてはいけない場面だと、やっぱり怒髪天を抜いていた。
 ところが今は、その怒りも消え、時間が経って無い内に、キチンと干すのが楽しみなくらいになってる。
 なんという変わりようであろうか・・・。

 僕の怒りは洗濯自体にでは無く、家にスペースが無いことに対する怒りの代替だったようだ。
 はけ口が、たまたま家事代表の洗濯に向けられていただけだった。洗濯には申し訳ないことをしたもんだ。

 今や洗濯だけでは無く、風呂や便所掃除に対する怒りも消えた。
 写真はお食事中の方には汚くて申し訳ないが、僕の家の多少乙女チックにコーディネートした便所である。便所だけはとにかくキレイでいつでも行きたくなるようなくらいの所にしておきたい。今の所は築30年でありながら便所結構頑張っている様子が伺えはしないだろうか?。ん?、しない?。んじゃ、ま、いいけど。ちなみにウォシュレットです。

 以前は土日のプライベートな時間がとっても大事で、読書やビデオや散策に時間を割こうと必死になっていたのに、今は掃除して”キレイになったな!”などと悦に入りながら、何をするでも無く、ただ漫然と部屋の中をウロウロぶらついているような、ある意味無駄な時間が増えてしまった。
 昔の僕だったら、そんな時間一切無駄、勿体ない!、と極力排除しようとした時間だったのに・・・。
 なんか今は生活に、すごく無駄な時間が増えてしまったような気がする。
 でもこれは「時間やお金が勿体ない!」というような物質世界的価値観からすれば「無駄」だろうけど、僕自身の気持ちの中では、無駄、では無く、単に今の生活に対して、今まで疎かにしてたモノにシッカリ向き合って、十分に味わっているだけ、なのである。無駄な時間も無駄とは思わなくなってきたのである。

 怒りの原因は、その対象物では無いところに、本当の原因があることは多い。
 なぜなら怒りは二次感情らしいからだ。つまり本当の感情が抑えられると、その代替として発生するのが、怒り、であるからだ。
 僕の場合、狭く汚い所で不自由していた鬱屈が、洗濯に対する怒りになっていたようだ。

 何か気になることを、思い切って変えたり実行してみたりすると、今まで何かに抱いていた怒りが、スッと消えるかもしれない。僕の場合の洗濯のような理不尽な怒りの犠牲者が減って、地球に優しい事態になるかもしれない。

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