又スターウォーズですが何か問題でも?【曇】2005年07月24日

 昨日の続きです。

 今回の「スターウォーズエピソード3」は、僕が当初イメージしていたものからすると、大分短くまとまっていた。
 ただ、僕がこんなことを言うのは、大変おこがましいけれど、まあたぶん、ジョージ・ルーカスの描きたかったものは、描かれたんじゃないかな、とは感じた。

 黒澤映画の如き活劇的な要素もあるし、今回のエピソード1〜3の大きなポイントであるダークサイドに関しても、僕には良く伝わって来た。
 もし観客に伝わらなかったとしたら、それは制作者と言うよりは、我々観客が「ダークサイド」に対してまだあまり認識していないからだろう。

 アナキンは自分が命まで賭けて守ろうとした最愛の妻を、自分の手で殺めてしまうという、端から見れば、とんでもなくお粗末で滑稽な程の失態を演じてしまう。
 しかし映画としては、これでイイのである。これで充分だ。
 この不条理、矛盾こそが、まさにダークサイドなのだ。

 恋愛というのは、ある意味最もダークサイドに陥り易い状況が現出される。
 象徴的な言い方をすると、最愛の人だと思っていた人が、ある日、ちょっと別な方向に向きを変えただけで、途端に、そこから不信感が生じてしまう。ダークサイドへの第一歩だ。ほんのちょっとなのに。
 そうなってしまうと、もうそこに「愛」は無くなる。
 あるのは失うことへの恐れなのである。
 恐ろしいのは「向きを変えた」のが、単なる誤解だったとしても、なのである。
 もうそこからは自分だけの世界、「他」が無くなった状態で、ダークサイド的な状況はどんどん迷路に陥っていく。
 まさにヨーダがエピソード5だったかでルークに言っていたように「ダークサイドは入り易い」のである。

 つまりダークサイドに陥ると、自分が何をやっているのか見えなくなってしまう。
 端から見たら、とてつもなく馬鹿げたことをしているのに、当人は全く気づかない。
 これこそが、まさにダークサイドなのである。

 エピソード3はシス・パルパティーンの思惑通り、ジェダイが戦いに次ぐ戦いで摩耗し最後には裏切られ壊滅してしまうという展開になる。
 戦争自体が最初から、ジェダイをハメる為の壮大な罠だった。そしてアナキン・スカイウォーカーという類い希なフォースの使い手を、自分の側に取り込む為の罠でもあった。

 冒頭で分離主義者のリーダーでもあるシス卿ドゥークー伯爵が、アナキンに殺されるシーンがある。
 ここでアナキンは一瞬躊躇するが、人質として捉えられていたパルパティーンがドゥークーを殺せとけしかけた為、アナキンはそれを実行してしまう。この時ドゥークーが、一瞬パルパティーンを驚いた表情で見返す。
 設定を知らなかった人には、わかりにくかったかもしれないが、ドゥークーにとってパルパティーンは自分の師匠・上司なのだ。アナキンはそれにはまだ気づいていない。
 ダークサイドに特有の「裏切り」がいとも簡単に遂行される。
 すなわちパルパティーンは人質のフリをしながら実はアナキンをシスたるべき者としてテストしていた。アナキンはドゥークーに変わる新しいシスの弟子として自らドゥークーを倒して自分が弟子の位置を確保してしまったことに気づかない。ドゥークーは単なる犠牲・道具にすぎなかったのだ。
 まさに「仁義なき戦い」だ。

 そして最後は、アナキンとオビワンの、まるで兄弟喧嘩の如き壮絶なバトル、まさに我々の持つダークサイドの中でも最も象徴的な「骨肉の争い」とも言える戦いでクライマックスを迎える。
 そこでのアナキンの悲痛なセリフ「Liar!」や「I hate you!」は、もうスターウォーズという空想の世界を越えて、我々が日常生活でダークサイドに堕ちた時の言い回し、姿と、ほとんど同じ、象徴なのだ。

 かくの如くエピソード3には、全編にダークサイドの香がプンプンと漂っている。
 アナキンはシス卿になってしまい、パドメは死に、ジェダイは滅び、共和国は解体し、皇帝の独裁国家が現れる。

 しかしながら、こんな悲劇的な結末を迎えてしまうエピソード3ではあるが、そこでは、両手を挙げてのライトサイド賛美、というわけでは無いのだ。ここが「スターウォーズ」の面白いところだけど、これについて書いているとキリが無いので、またいつか。

 このブログ、シネマというカテゴリー設けたけど、「スターウォーズ」の話ばっかになっちゃった(失笑)。

宇宙戦争〜スターウォーズ【曇】2005年07月23日

 今日は「宇宙戦争」と「スターウォーズ」を観た。
 巷では、ルーカスVSスピルバーグという図式で騒がれていたけど、観た印象では映画の質も違うし、優劣どうこうは、どうなのかな?という感じ。
 僕はというと、まあ優劣をつけた方が話としては面白いだろうから敢えて言うと、一応スターウォーズファンの端くれなので客観的に判断できないのはご了承いただくとして、好き嫌いで言えば「スターウォーズ」の方が好きと言わざるを得ない。

 ただ勿論「宇宙戦争」も充分楽しめたことは楽しめた。原作が古典的な名作だけに、ストーリーもちゃんとしているし、映像も良かったし、人類への警鐘とか家族の絆とかパニック心理とか副次的なことも良く伝わって来た。スピルバーグで言えば「ジョーズ」の系統になるのかなあ?。

 まあ「スターウォーズ」と比べちゃうとなあ・・・。
 「スターウォーズ」は、観ていると、こちらの想像力を掻き立てるし、副次的なことを含め、いろんなものが伝わってくる。
 観た後に高揚感があるし、又何度でも観てみたいと思う。ファンにとっては映画を越えた何かがある。

 その点「宇宙戦争」は、ハッとする程刺激的で無いというか、想定範囲内というか、映画としては充分面白いけど、それ以上にこちらをインスパイアしてくれる程では無かったというのが正直なとこか。あくまでも「スターウォーズ」と比べちゃうとだけどね。
 たぶん「宇宙戦争」も「エピソード1」作って、100万年前の、その戦争計画の頃の話をでっちあげちゃえば、「スターウォーズ」に類する面白さが出てくるかもしれないけどね、ははは。んなこたやらないって?。

 「スターウォーズ」のエピソード4〜6は、随分ファンタジー性が強くて、新シリーズのエピソード1〜3は、ファンタジーというよりもドラマ性が強いな、などと思っていたけど、こうして他のSF映画と比べると、新シリーズも、設定が空想の星星ばっかりなので、随分ファンタジー性のある映画だなあと、改めて感じた。

 「スターウォーズ」の難点を敢えて言うと、やっぱりエピソード4〜6、1〜3を通して観てみないと、いろんな面白さは伝わってこないかもしれない、というのがある。
 用語・設定・人物関係を把握しておかないと、特に新シリーズは理解が難しいかもしれない。
 でも、それでも活劇性やファンタジー性だけでも、ある程度楽しめるようには作られているから、そこはルーカスの手腕なのかもしれない。

 僕も今回のエピソード3は、もう何回か観たが、今日やっとわかったようなこともある。
 例えば、アナキンが、親しかったパルパティーンがシスだとわかり、それをジェダイマスターのメイス・ウインドウに報告し、その後ジェダイ聖堂の会議室で一人、メイス達がパルパティーンを逮捕しに行ったのを待つシーンがある。
 ここは妻のパドメがアパートで憂鬱そうに佇むシーンと交互にカットが入る。結構時間を取っている。セリフはほとんど無い。
 ファンにとっては、オイシイシーンを随分カットしてテンポアップしているのに、ここの一瞬冗長とも思えるシーンに、なんでルーカスは時間を割いたのだろうか?。

 僕の勝手な推測で、今日ピンと来たのは、ここがアナキンのダークサイドへのターニングポイントのシーンだったのではないか?と感じたのだ。今回観て初めてやっと、そう感じた。ここだったのかあ!、という感じだ。
 自分が、このままジっと待っていてしまうと、パドメを救う方法を知るパルパティーンは殺され、パドメはこの世からいなくなってしまう。
 ゲーテのファウストでは無いが、頼るべき者が、例え悪魔だったとしても、最愛の人を守る為には、今自分が悪魔に魂を売り渡すしか方法が無い、そういう苦渋の選択を、あのジェダイカウンシルの会議室で、アナキンは涙を流しながら行なった。すなわちダークサイドへ心を売り渡すことを決めたシーンだったのだ。こうしてアナキンはパルパティーンを形としては助けに行ってしまうのである。
 そう考えれば、確かにヨーダがダゴバに行くシーンをカットしてでも時間を取って入れるべきシーンだったのだ。
 それが数回観てやっとわかった。

 あともう一つは、オビワンがグリーバスを倒す為に出発する前に、アナキンに別れを告げるシーンがある。
 ここでのオビワンのセリフ「Good-bye old friend・・・」が最初に見た時からやけに気になっていて、単なる任地への出発にしては、最後の別れみたいな感じだなあと思っていた。
 ここも、今日観ていて、良く見てたら、確かに、ダークサイドに堕ちる前のアナキンとは最後の出会いのシーンだったことに気づいた。この後再会した時には、アナキンは既にダース・ヴェイダーになっていたのだ。確かに弟子として、ジェダイとしての事実上の決別のシーンになっていたのだ。
 それが数回観てやっとわかった。

 ・・・と、まあ「スターウォーズ」については、どんどん言いたいことが出てくるなあ。
 ちょっと今日はここまで。

GOOOOO〜D!【曇】2005年07月12日

 今日も「スターウォーズ・エピソード3」を観て来た。
 ナイト料金で安かったし、空いてたし、好きな席を取ることができたし、今日はまるで家で映画見てるような気分だった。エかったエかった。近くに映画館があるのは便利だね。

 ほいで、おとといみたいに今日も終わった後フォースの導きあるかな、と待ってた。

 が、さすがに2匹目のドジョウちゃんは、おらんかったですな。
 逆に。
 逆に、帰りの電車が事故で遅れるわ、電車に変な野郎はいるわ、入ったソバ屋で箸を出されなかったりするわで、むしろダークサイドのトバリが降りちゃったかも、みたいなことになってしまった。

 たぶん、たぶん、僕の推測ですけどね。
 最近ジェダイとしての力を僕がつけてきたので、シスがハプニングを起こして、僕の怒りと不安を煽って冷静さを失わせようとして、僕をダークサイドに誘おうとしているのだと思います、はい。
 ん?、どっちがシスだって?。
 ほう、ワシの力を恐れておるのう。もっと突っ込め、突っ込め、ほれほれ、ワシはジェダイじゃ、エロジェダイじゃ、怒れ怒れ、そうじゃそうじゃ、そうそう、GOOOOO〜D!、GOOOOO〜D!(メッチャ、シスやん。スターウォーズファンにしかわからんけど)。

 それにしても、エピソード3の最後のアナキンとオビワンの対決はスゴイな。何度見ても興奮するわ。
 アナキン(ヘイデン・クリステンセン)の、裏切られたような悲痛なダークサイドぶりが、なかなかイイ。
 DVD出たら、たぶん即買う。

逆にある意味ファインプレーっす【曇後雨】2005年07月08日

 「スターウォーズ・エピソード3・シスの復讐」が明日から公開だ。
 僕は先行上映で見ているが、もう一回以上は、又見に行くつもりだ。

 新シリーズのテーマは、かなり深いテーマだろう。だからやりようによっては、かなり重厚なものにできる可能性はある。僕の考えでは、あのテーマだったら4時間半位の大作になってもいいくらいだと思っていた。
 やりようによっては「ゴッドファーザー」みたいなイメージの映画になっていた可能性だってある。良く考えれば「ゴッドファーザー」は、真面目な青年だったマイケルが、運命に翻弄されダークサイドに堕ちていく映画だ。

 だが、今回のエピソード3は、テンポ良く、2時間半という、たぶん今までのファンからすれば、ちょっと物足りない位の時間でまとめられ、あっという間に終わる感じになっている。
 ルーカスは、このシリーズが重厚でシビアな方向へ行くのにちょっと抵抗があったフシもあって、あくまでも冒険活劇の精神は残しておきたかったようなことを言っていた記憶がある。

 確かに、今回そうした活劇的な要素に関しては、全く問題無い。オビワンもアナキンもヨーダも大活躍だ。
 おそらく一部の芸術志向のファンの為の映画よりは、万人に受ける娯楽大作を目指したのだろう。
 シリーズの最終作とあっては、やはり冒険活劇風な味は前面に出さなくちゃスターウォーズでは無い、といったところか。

 ちょっと感傷的な味もあり「ゴッドファーザー」よりは、「タイタニック」方向よりなのかもしれない。
 ただ、さすがコッポラの弟子とも言えるルーカスで、どこかの雑誌に指摘されていたのであるが、後半でオーダー66というのをシスが発令し、ジェダイが裏切られ次々と殺されていくシーンがあり、そこは「ゴッドファーザー」で、マイケルが父の死後、自分の取り巻きだった人物達を、次々と暗殺していく件に良く似ている、とあって、確かになるほどナ、と思った。

 あれだけの深刻なテーマを、こうした活劇風にコンパクトにまとめられるのは、僕個人的にはもっと長くして欲しかったという願いもあれ、アンタチャブル風に言えば「逆に、ある意味アリガタイっす」、というか、「逆に、ある意味やっていただきました」、って感じっす。

シスの復讐・先行上映【曇時々晴】2005年07月02日

 遂に「スターウォーズ・エピソード3・シスの復讐」を見て来た。先行上映だ。
 郊外の映画館だったので結構空いていた。この分だと公開時も割と楽に見られそうだ。僕としては安心だ。勿論公開してからも行くつもりだ。

 作品の印象は、思いのほか切ない仕上がりになっていた。確かにルーカスの言っていた通りだった。

 気になった点は、僕などはエピソード1・2と見てきて、アナキンがとてもダークサイドに堕ち易く描かれていたので、エピソード3では後は堕ちるキッカケだけの問題だ、位に思っていたが、やはりあまりスターウォーズ慣れしてない人達には、アナキンがダークサイドに堕ちる過程がアッサリしすぎているように映ったのでは無いか?。
 他にもいろんな符丁があるのに展開が速いので、もしかしたら事前知識無しにはついていくのが難しいのではと感じた。

 いろんな事前評と僕が抱いた印象と少し違ったのは、オビワンの活躍だった。
 ネット評などで、オビワンの評がイマイチ出て無いような気がしていたけれど、僕の印象では、かなり活躍してくれた。
 日経エンターテメントでは、オビワンを「事実上の主役」と書いてあった、僕もそれに賛成だ。
 あの映画は、アナキンがダークサイドに堕ちる話でも、それを一番近くで見ていた師でもあり友人でもあり、兄弟のようでもあったオビワンの様々な葛藤や、ジェダイとしての生き様とか、それが結構描かれていたように感じられた。

 このエピソード3を見たことで、僕がこれから一番印象を変えていきそうなのは、このオビワンに対するイメージになりそうだ。
 スターウォーズのオビワンと言ったら、もうあの仙人のようなアレックギネスの絶対的なハマリ役だというイメージがあった。
 ところが、今やユアン(マクレガー)のオビワンも、もしかしたらアリかな?と思い始めている。
 アナキンも実に人間的だったけど、若かりし頃の苦悩するオビワンも実に人間的であり、そんな人間的ながら、あるべき模範的ジェダイとして成長して来たオビワンの姿が印象的だった。

 更に戦闘シーンでもオビワンは良かった。
 例えば、最初にパルパティーンを救出する為に、敵艦に乗り込む際、いきなり空中へ飛び出るや否や、敵ドロイドを一掃してしまったり、敵将の半ドロイド生物のグリーヴァス将軍並びにドロイド軍がいる真っ只中に乗り込んでいき、将軍の目の前に飛び降りて行って、いきなり敵に「Hello, there!」などと、エピソード4での記念すべきオビワン(アレックギネス)の初セリフと同じセリフをいうところなど、古い言い回しで申し訳無いが、実にイカしていた。

 第一作のエピソード4で、オビワンがデススターの牽引ビーム解除の為、デススター内を一人で探索するシーンがある。
 初めてみた時は正直、この老人で一人で大丈夫か?というハラハラ感もあったが、若い頃こんなに強かったのなら、確かにあんなデススターなど、オビワン一人でも充分だ、という気もしないでも無い。

 この映画には、先程も述べたように、様々な符丁がチリばめられている。
 まるで輪廻するように、懐かしいお馴染みのセリフを述べたり、いつか見た懐かしい場所も、随所に出てくる。
 故に初めてスターウォーズを見ようとする人は、前作までのエピソード4〜6、1・2を見ておいた方が良いだろう。
 エピソード3で例えば、オビワンがグリーヴァス将軍を、不本意ながら(前にもやってしまったように落としてしまったので)文明的なライトセーバーでは無く、いわゆる鉄砲のようなブラスターで倒した際の、捨て台詞「So uncivilized . .(なんて野蛮なんだ)」等も、エピソード4で、ルークにライトセーバーを渡すシーンのセリフに繋がっていたりして、そんな細かい点もわかっていれば面白い。

 グリーヴァスも将軍なら、ちなみにオビワンも「ケノービ将軍(General Kenobi)」と呼ばれていた。
 これもエピソード4で、レイアがR2のホログラムで言っていた呼び方に通ずる。
 ちなみに”暴れん坊将軍”は「General 暴れん坊」、”甘えん坊将軍”は「General 甘えん坊」 、夜のジェネラル暴れん坊は今日もビンビンだぜっ!、などと言うように用いる。
 ん?、話しが逸れた?。
 ま、いいや、今日はここまで。

又々又スターウォーズの話です2005年06月10日

 またまたダークサイドのお話ですみません。

 スターウォーズの新シリーズで、アナキンスカイウォーカーがダークサイドに堕ちていく過程をみていくと、大きく以下のような経緯がある。
  1クローン大戦というプレッシャーのかかる、シビアな状況に置かれてしまう。
  2ジェダイとしての実力があるのに、ジェダイ評議会には認められないことで不満が鬱積する。
  3身内の不幸がある(母親を殺される。最愛の妻が死ぬヴィジョンを見てしまう)。

 これは僕らがダークサイドに堕ちていく状況を彷彿させる。
 すなわち僕ら現代人は、
  上記1のように、常に戦場のような競争社会に置かれ疲弊している。
  上記2のように、好きなことをやっても認められない。やるステージが無い。やっても金にならない、等の思い通りにならない境遇で不満が鬱積する。
  上記3のように、身内の不幸や、更にはリストラや借金などで家庭に破綻が起こったりする。

 スターウォーズではダークサイドの象徴であるシスの暗黒卿が、1の状況を長い時間をかけて設定し、2、3の部分でアナキンにつけ込んでくる、というストーリーになっている。
 細かく言うと
  1の戦争を引き起こすことで、表面的には分離主義勢力と共和国の争い、と見せかけながら、実はそれに参画するジェダイを疲弊させ結束力を弱め壊滅させ、アナキンをジェダイから分離するという裏の目的を持っていた。
  2において、ジェダイに認められないアナキンを、シス(パルパティーン)だけが認め支えていた。勿論下心があって。
  3において、身内の不幸が救えるのは、ダークサイドパワーだけだと、アナキンをそそのかした。勿論結局救えなかった。
 結果気づいたら、まんまとアナキンはダークサイドの誘惑に屈してしまった。

 僕らだって、たぶん、長いことプレッシャーのかかる状況が続いて疲弊し、自分を認めない世を恨み、怒りを抱いている時に「君には才能がある。私は知っている」などとおだてられ、揚げ句の果てに「愛する人と幸せになるには、この方法しかない」などと高価なツボなどを買わされた日にゃあ、気づいたらダークサイドに堕ちていることだろう。

 エピソード3では、アナキンが最終的に、ジェダイにつくか、シスにつくか、すなわちダークサイドに堕ちるか否かの選択を迫られるシーンがある。具体的には、サミュエルLジャクソン演ずるメイス・ウインドウとパルパティーンの戦いのシーンで、結局アナキンは逡巡した後、メイスの腕を切り、パルパティーンに加担してしまうのである。

 まあ、こういった以上のような事を踏まえて、今度は旧シリーズのエピソード4〜6を見ると、又新たな感慨がある。
 特にエピソード6「ジェダイの帰還」ではルーク・スカイウォーカーの成長が実感できる。
 ルークはアナキンのようなパッションもありつつ、しかし一方でオビワンのような確固たる意志とダークサイドに堕ちない強さを身につけたようだ。
 ルークが最後ダースヴェイダー(アナキン)と決闘するシーンで、危うく怒りに任せ父であるダースヴェイダーを殺しそうになる。ここでダースヴェイダーを倒してしまえばルークはダークサイドパワーに支配され、まさにルークをダークサイドに誘惑せんとしていたシスの思うつぼであった。

 ところが、ここでルークは思い止まって戦いを、ダークサイドを拒否し、なんとジェダイの命ともいえる武器、ライトセーバーをシスの前で投げ捨ててしまうのである。
 アナキンがメイスを裏切ってダークサイドに堕ちたことを考えると、このルークの決断は重い。ライトセーバーの捨てた音が心なしか大きく響いたような気がするくらいだ。シスの前で丸腰になるなど、まさに命懸けの決断だ。
 でもって、その時のルークのセリフが良い。最高にカッコイイ。
 「Never!」
 そしてシスに向かい決然と、こう言い放つ。
 「I'll never turn to the dark side. You've failed Your Highness. I'm a Jedi.like my father before me!」(僕はダークサイドには堕ちはしない。皇帝、あなたの負けだ。僕はジェダイだ。父がかつてそうだったように)。
 結局このルークの決然としたジェダイぶりによって、アナキンの中に再び善の心を蘇らせることになる。
 このシーンは前からカッコイイと思っていたが、今度のエピソード3を踏まえると、尚更カッコイイ。

 僕も、日常生活で、ふとしたことで危うく怒りに駆られダークサイドに堕ちてしまいそうな局面が多々出現する。
 そんな時は心の中で、このセリフを力強く復唱するのである。
 「Never!,I'll never turn to the dark side. I'm a Jedi」

 ん?ジェダイじゃねえよって?。
 じゃあ、とりあえずせめてエロジェダイってとこでイイすかねえ。
ん?、そんなジェダイはねえって?。
 ・・・ですよねえ・・・。
 じゃあ、エロジジイ、ならOKでしょうか?。
 え?、OK?、そっかあ、良かった〜、わ〜い僕はエロジジイだあ〜・・・、って、それじゃあ意味ねえんじゃああ!、エロジジイなんぞ、前からそーなんじゃあああっ!(あー、またダークサイドに転げ堕ちているようです)。

又々シスの復讐の話しです2005年06月05日

 「スターウォーズ・エピソード3・シスの復讐」の公開も一ヶ月近くに迫って来た。
 評判はかなり良いようだし、僕としては前作前々作のエピソード1・2も好きなので、それより世評の良いエピソード3は、たぶん僕にとっては面白く無いわけが無いだろう。

 スターウォーズの新シリーズでもあるエピソード1〜3では、ダークサイドに大きく焦点を当てている。
 スターウォーズで言うダークサイドは簡単に言えば「悪」の側面と言って良いが、すなわちそれは怒り・不安・悲しみ、といった人間の負の感情によって引き起こされる暗黒面を象徴している。
 本来であれば、そんな否定的なものを扱った映画なぞ毛嫌いされそうなのに、僕を含め、なぜ人はスターウォーズに魅了されるのか?。

 僕自身ここ数年、人間のダークサイドな部分に非常に興味を持ち、ある意味マイブーム的なテーマにもしている。
 スターウォーズは、僕のそんな志向に都合よくシンクロしてくれた。

 ダークサイドな感情と、いかに向き合うかは人間の持つ大きなテーマの一つでもあると思う。
 たぶん・・・、今の人類はダークサイドをコントロールすることに非常に困難を感じ、最も不得手で、最も避けて通りたい、最も忌避すべきものとしてダークサイドに対しているだろう。いや、もっと言えばダークサイドに対しては、どうしたら良いのかわからない、というのが本当のところであろう。

 スターウォーズは、そんなダークサイドを描くことで、人間の中に潜むダークサイドな部分を、娯楽映画という形に変え浄化している。
 すなわちスターウォーズを見ることで、ダークサイドに対して僕らが抱いている悶々とした思いにカタルシスが起こるのである。
 これは日本映画の傑作「仁義なき戦い」にも同じことが言える。

 話しは少し変わるけれども、ダークサイドな感情は意外に芸術にとっては不可欠であったりする。
 ダークサイドパワーが芸術的昇華を遂げ素晴らしい作品になった例を、僕らは数多く知っている。
 つまりはダークサイドも上手にコントロールすることで大きな善なるパワーに変わることもあるのである。
 優れた作品はダークサイドを実に巧みに取り入れている。ダークサイドな部分があるからこそ、そこに+αの面白みが加わっているものを沢山僕らは知っている。
 モーツァルトの「魔笛」が傑作であるのは、一つにはダークサイドとライトサイドの見事な対照があるからだ。

 もしかしたら、実はダークサイドを芸術的に表現することこそ、その営みの核心部分なのでは無いか?とたまに思う時もある。
 偉大な作曲家やアーチストの晩年や後期の作品が優れていくのは、簡単に言うと「深みを増す」からということになる。
 この「深みを増す」ということは、幾多の苦しみや悲しみを越え、学び、吸収し、成長し、精神的に成熟したということ、言い替えれば「ダークサイドを上手に芸術的にコントロールするようになった」ということに他ならない。

 エピソード3ではアナキンスカイウォーカーがダークサイドに堕ちてしまう。
 そして時系列的にはそこに続いていく旧シリーズの最終作エピソード6で、アナキンは死の直前、初めて親子の愛を通じダークサイドから再び善に戻り、皇帝というダークサイドの象徴に打ち勝つことができるのである。かくしてアナキンは長い年月を経た後予言通り、フォースにバランスを取り戻すのである。
 この壮大なサーガでは、アナキンの生き方を通じて、まさしく我々人間がダークサイドに対峙した際の、一つの示唆を与えてくれているのである。

 ダークサイドに堕ちてしまった、アナキン・スカイウォーカー=ダース・ヴェイダーが、悪の暗黒卿であるにもかかわらず、これだけ人気があるのも、実はアナキン自身が、本来最も人間的で、僕らに近い感情を持ったキャラクターであるからであろう。

 ダークサイドといかに向き合うか、どう変えていくかは各人がそれぞれのやり方で学ぶべきことではあるだろう。
 例えば、怒り妬みといったダークサイドをユーモアや強烈なビートに、不安や悲しみを歌やメロディー、更には絵画や文学などに変えていくこともできるだろう。

 スターウォーズでは、アナキン・スカイウォーカーは「ダークサイドを滅ぼす者」では無く、あくまでも「フォースにバランスをもたらす者」として予言される。いかにも暗示的だ。
 僕らは今まではダークサイドな感情を、それが沸き起こるがままに、翻弄され囚われ、爆発させ苛まれ過ごして来た。
 これからはダークサイドな感情を、いかに上手に解き放つか、いかに浄化し、ライトサイドなパワーに変えていくか、そんなことが求められていくのかもしれない。

シスの復讐2005年05月23日

 ブログを恐る恐る始めてみた。正直まだいろいろと不便な感はある。
 まあ、とりあえず始めということで、少し無駄話を。

 「スターウォーズ・エピソード3(シスの復讐)」がアメリカで公開になった。
 評判は概ね上々らしい。
 エピソード1・2は、旧シリーズのエピソード4〜6に比べ世評が劣るものの、このエピソード3は、4〜6の水準を保ったとの評もあるようだ。

 僕自身正直なところ、最初は確かにエピソード1・2には、4〜6ほどの面白さを見いだせなかったところもあった。
 しかしDVDで何回か見るうちに次第に、このジェダイが沢山出てきて活躍する新シリーズも、とても好きになってきた。
 これでもしエピソード3が実際見て良かったら、僕の新シリーズの評価は相当なもんにハネ上がるだろう。前シリーズを抜かさんばかりの勢いだ。
 改めてハッキリ認識できたのだが、僕は要するにスターウォーズにおいては、どうやら「ジェダイ好き」だったらしい。

 エピソード3の小説版は読んだのでストーリーは把握した。僕にとっては、かなりエキサイティングな内容で、映画見たく無いわけが無い。
 エピソード3は、基本的にはアナキンがダークサイドに堕ちるというテーマがある。
 怒り・不安・恐怖といったダークサイドな感情に支配されてしまうことで、アナキンはダークサイドそのものに囚われ堕ちてしまうのである。
 ただ題名からも推察されるよう、ストーリーとしては、かなりザックリ言うと、シスが自分にとって邪魔なジェダイを壊滅させるお話で、「ジェダイ好き」の僕には、いささか心中穏やかでは無い話ではあることは確かだ。
 でもそんな中でも必死で頑張るヨーダやオビワンの姿も見たいし、勿論ダークサイドには堕ちてしまうがアナキンの成長した姿も見てみたい。勿論他にも見所は満載、7月が待ち遠しい限りだ。

 あ〜、金と暇があったら、すぐにでもアメリカに行きたいくらいだ。
 ん?その前に僕自身がダークサイドから抜け切れだと?。
 何をぬかすか、コンクソッ!、ワシゃ、いつだってダークサイドになんぞ堕ちとらんわ、ボケーッ!(その遠吠えが、既にダークサイドです)。