半沢直樹 ― 2013年10月06日
「半沢直樹」がTBSドラマとしては久々に高視聴率を上げていた。
半沢直樹が語られる時に、しばしば出てくるキーワードとして「勧善懲悪」というのがある。
昔から日本人は勧善懲悪ものは好きで、水戸黄門を初めとして時代劇や各種のヒーローもの、といったように実に沢山ある。
ただ、そうした勧善懲悪ものでは、悪を裁く側は、権力を持っていたり、何らかの技や力を持っていた。
しかし半沢直樹はそうした力を持ったヒーローでは無い(少なくとも今は)。
彼が裁く時は、力では無く、道徳観、道義心といったもので裁く。
そうした意味では、それまでの勧善懲悪ものとは、少々趣を異にするのかもしれない。
こうしたドラマが流行る、ということは、民衆の間に、徐々に”為政者や権力者の悪や不正を断罪したい”という気持ちが、芽生え始めているのではないか?、と、僕などは中々いい傾向だ(笑)と思っている。
ちなみにスピリチュアルな観点からすれば、半沢直樹のやり口が正解か?、というと必ずしも、そうであるとは言え無いだろう。
しかし、半沢直樹の生き方が、事実として多くの民衆の心を掴んだことは確かであり、何かしらの時代を反映した出来事であったこと言えるのだろう。
ちなみに作者、池井戸潤氏の半沢シリーズ第三弾の「ロスジェネの逆襲」というのを、せっかくスマホを買ったので電子書籍で読んでみた。
あっという間に読んでしまった(笑)。
3作目のドラマ化があるかどうかはわからないそうだが、おそらくあるのだろう。
ロスジェネの内容は語らないが、テレビ最終回のラストシーンで、ストレスを感じてしまった人は、この3作目を読めば(もしくは(ドラマ化を期す前提で)見れば(笑))、そのストレスを解消できることになるだろう(笑)。
半沢直樹が語られる時に、しばしば出てくるキーワードとして「勧善懲悪」というのがある。
昔から日本人は勧善懲悪ものは好きで、水戸黄門を初めとして時代劇や各種のヒーローもの、といったように実に沢山ある。
ただ、そうした勧善懲悪ものでは、悪を裁く側は、権力を持っていたり、何らかの技や力を持っていた。
しかし半沢直樹はそうした力を持ったヒーローでは無い(少なくとも今は)。
彼が裁く時は、力では無く、道徳観、道義心といったもので裁く。
そうした意味では、それまでの勧善懲悪ものとは、少々趣を異にするのかもしれない。
こうしたドラマが流行る、ということは、民衆の間に、徐々に”為政者や権力者の悪や不正を断罪したい”という気持ちが、芽生え始めているのではないか?、と、僕などは中々いい傾向だ(笑)と思っている。
ちなみにスピリチュアルな観点からすれば、半沢直樹のやり口が正解か?、というと必ずしも、そうであるとは言え無いだろう。
しかし、半沢直樹の生き方が、事実として多くの民衆の心を掴んだことは確かであり、何かしらの時代を反映した出来事であったこと言えるのだろう。
ちなみに作者、池井戸潤氏の半沢シリーズ第三弾の「ロスジェネの逆襲」というのを、せっかくスマホを買ったので電子書籍で読んでみた。
あっという間に読んでしまった(笑)。
3作目のドラマ化があるかどうかはわからないそうだが、おそらくあるのだろう。
ロスジェネの内容は語らないが、テレビ最終回のラストシーンで、ストレスを感じてしまった人は、この3作目を読めば(もしくは(ドラマ化を期す前提で)見れば(笑))、そのストレスを解消できることになるだろう(笑)。
シュタイナーの電子書籍化 ― 2013年07月28日
現在、19世紀から20世紀初頭に活躍した神秘学者ルドルフシュタイナーの著作は結構な数が市販されるようになった。
大きな書店に行けば、何らかのシュタイナーの著作が入手できる。
最近はスマホやタブレットPCなどの普及で、電子書籍というメディアも市井に出回るようになった。
さすがにシュターイナーの電子書籍は無いだろうな・・・と思っていたら、何とあった(笑)。
丸善やジュンク堂のサイトである「honto」でシュタイナーを扱い始めたようだ。
僕個人的にはシュターイナーは内容の難易度からも、家で紙の書籍でゆっくり読む方がいい、と思っているが、電子書籍化して門戸が広がること自体は歓迎だ。
勿論中には電子書籍でなければ嫌だ、という人もいるかもしれないから、尚更シュタイナーの電子書籍化は、もっと推進されていってほしいものだ。
大きな書店に行けば、何らかのシュタイナーの著作が入手できる。
最近はスマホやタブレットPCなどの普及で、電子書籍というメディアも市井に出回るようになった。
さすがにシュターイナーの電子書籍は無いだろうな・・・と思っていたら、何とあった(笑)。
丸善やジュンク堂のサイトである「honto」でシュタイナーを扱い始めたようだ。
僕個人的にはシュターイナーは内容の難易度からも、家で紙の書籍でゆっくり読む方がいい、と思っているが、電子書籍化して門戸が広がること自体は歓迎だ。
勿論中には電子書籍でなければ嫌だ、という人もいるかもしれないから、尚更シュタイナーの電子書籍化は、もっと推進されていってほしいものだ。
シュタイナーを読むには ― 2011年09月19日
ルドルフ・シュタイナーは19世紀から20世紀にかけて存した神秘思想家であり、人智学の提唱者でもある。
シュタイナーの著作はかなりあるが、最近は主要著作が筑摩書房から「ちくま学芸文庫」で出版されているので、入手しやすくなっている。
例えば以下のような作品。
「神智学」
「神秘学概論」
「人智学・心智学・霊智学」
「シュタイナーの死者の書」
「自由の哲学」
これらは是非とも押さえておきたい作品である。
ただし、実際シュタイナーの作品は、かなり難解だと思う。
正直なところ僕も、ここ2〜3年でようやくシュタイナーの言っていることが理解でき始めたような感じだ(苦笑)。
シュタイナーの作品を理解するには、まずその独特な言い回しというか感覚に慣れることだろう。
これはある程度数をこなせばいいだろう。
あとは良く出てくるキーワードがあるので、それを覚えることだろう。
例えばエーテル体アストラル体など。
あとドイツの思想家「ゲーテ」もある意味シュタイナーを語る上でキーになるので、ゲーテについてある程度の理解をしておいた方がいいかもしれない。
僕がシュタイナーの作品に出会ったのは、もう随分昔になるが、その時はオカルトのオドロオドロしいイメージが強すぎて、加えて、その難解さなので、早々に挫折していた(苦笑)。
再びシュタイナーの作品を読み始めたのはイザラ書房で出している「カルマ論集成」という講演録を読んでからだ。
その頃は輪廻転生や前世に興味を持ち始めたことで、その流れで再びシュタイナーに出会うことになった。
先に挙げた主要著作で例えば代表的な「神秘学概論」などは、いわゆる論述文である。
シュタイナーの本には、あと講演録が結構数多くあり、やはり話し言葉ということもあって、主要著作の難解さが、それほど無いようには思う。
僕自身も講演録を何冊か読んでいくウチに、やっと「神秘学概論」の言っていることが把握できてきた、という感じだ。
であるから僕のように講演録を先に読む、というのもシュタイナー理解の一つの方法であるかもしれない。
シュタイナーを理解していくと、シュタイナーがオカルトのオドロオドロしさとは対極にいた人だというのがわかってくる。
あと人智学の滋味深い感じは我々の精神生活に必ず有益なものをもたらしてくれると思う。
シュタイナーの著作はかなりあるが、最近は主要著作が筑摩書房から「ちくま学芸文庫」で出版されているので、入手しやすくなっている。
例えば以下のような作品。
「神智学」
「神秘学概論」
「人智学・心智学・霊智学」
「シュタイナーの死者の書」
「自由の哲学」
これらは是非とも押さえておきたい作品である。
ただし、実際シュタイナーの作品は、かなり難解だと思う。
正直なところ僕も、ここ2〜3年でようやくシュタイナーの言っていることが理解でき始めたような感じだ(苦笑)。
シュタイナーの作品を理解するには、まずその独特な言い回しというか感覚に慣れることだろう。
これはある程度数をこなせばいいだろう。
あとは良く出てくるキーワードがあるので、それを覚えることだろう。
例えばエーテル体アストラル体など。
あとドイツの思想家「ゲーテ」もある意味シュタイナーを語る上でキーになるので、ゲーテについてある程度の理解をしておいた方がいいかもしれない。
僕がシュタイナーの作品に出会ったのは、もう随分昔になるが、その時はオカルトのオドロオドロしいイメージが強すぎて、加えて、その難解さなので、早々に挫折していた(苦笑)。
再びシュタイナーの作品を読み始めたのはイザラ書房で出している「カルマ論集成」という講演録を読んでからだ。
その頃は輪廻転生や前世に興味を持ち始めたことで、その流れで再びシュタイナーに出会うことになった。
先に挙げた主要著作で例えば代表的な「神秘学概論」などは、いわゆる論述文である。
シュタイナーの本には、あと講演録が結構数多くあり、やはり話し言葉ということもあって、主要著作の難解さが、それほど無いようには思う。
僕自身も講演録を何冊か読んでいくウチに、やっと「神秘学概論」の言っていることが把握できてきた、という感じだ。
であるから僕のように講演録を先に読む、というのもシュタイナー理解の一つの方法であるかもしれない。
シュタイナーを理解していくと、シュタイナーがオカルトのオドロオドロしさとは対極にいた人だというのがわかってくる。
あと人智学の滋味深い感じは我々の精神生活に必ず有益なものをもたらしてくれると思う。
電子書籍二冊 ― 2011年08月28日
ipod-touchのアプリで電子書籍を購入した。
確かに電子書籍は、夜寝る時などに、ちょっとだけ読みたい、なんて時に結構重宝だ。
購入したのは以下の二冊。
「僕が大人になったら」佐渡 裕(さど ゆたか)PHP文庫
「被災者のメンタルケア」松本賢一 サンマーク出版
「僕が大人になったら」は紀伊国屋書店のアプリで、「被災者のメンタルケア」はサンマーク出版のアプリで購入した。
佐渡氏は今や日本クラシック界を代表する指揮者。今年あのベルリンフィルの定期公演の指揮を振っている。
佐渡氏の文章は非常に軽快で、まさに音楽でも聴いているかのようだ。
僕と年齢が近く、時代的な感性には親近感がある。
松本賢一氏は阪神大震災の被災者でもあった。
今回の東日本大震災を受けて、かつての被災の体験を元に被災者のメンタルケアを説いている。
こういった天災では確かに当事者の身になってみなければ本当のところはわからないかもしれない。
しかし、こうした松本氏の著作のようなものがあることで、被災者の心の一端を垣間見ることはできる。
そして僕らには想像力、というものがある。
想像力は、動物には無い、人間に与えられた特権である。
想像力を駆使して、他者の心中を思い図る、ということが僕ら人間にはできる。
そうした意味でも、滅多に無い経験を経た著者の貴重な体験を経た言葉は、直接の被災者では無い僕らでも非常に有益なものとなるだろう。
確かに電子書籍は、夜寝る時などに、ちょっとだけ読みたい、なんて時に結構重宝だ。
購入したのは以下の二冊。
「僕が大人になったら」佐渡 裕(さど ゆたか)PHP文庫
「被災者のメンタルケア」松本賢一 サンマーク出版
「僕が大人になったら」は紀伊国屋書店のアプリで、「被災者のメンタルケア」はサンマーク出版のアプリで購入した。
佐渡氏は今や日本クラシック界を代表する指揮者。今年あのベルリンフィルの定期公演の指揮を振っている。
佐渡氏の文章は非常に軽快で、まさに音楽でも聴いているかのようだ。
僕と年齢が近く、時代的な感性には親近感がある。
松本賢一氏は阪神大震災の被災者でもあった。
今回の東日本大震災を受けて、かつての被災の体験を元に被災者のメンタルケアを説いている。
こういった天災では確かに当事者の身になってみなければ本当のところはわからないかもしれない。
しかし、こうした松本氏の著作のようなものがあることで、被災者の心の一端を垣間見ることはできる。
そして僕らには想像力、というものがある。
想像力は、動物には無い、人間に与えられた特権である。
想像力を駆使して、他者の心中を思い図る、ということが僕ら人間にはできる。
そうした意味でも、滅多に無い経験を経た著者の貴重な体験を経た言葉は、直接の被災者では無い僕らでも非常に有益なものとなるだろう。
奇跡のコース ― 2010年11月27日

今年は不景気の波に図らずも取り込まれてしまい、生活に経済的なプレッシャーがかけられた感がある。
今までも生活に経済的なプレッシャーが、かかったことはあった。
振り返ってみると、そんな時期は傾向としては内面的な方向に生活が向かっていったように思う。
経済的なプレッシャーがかると、自然と非活動的になっていく。
内省の時間というのが増える。
なので今年は勢い内省が多かった気がする(笑)。
僕にとって経済的なプレッシャーというのは、どうも生活全般があまりにも物質的な方向に偏り過ぎた時、宇宙からの「バランスを取るようにせよ」との、メッセージであるかのようだ。
経済的に余裕ができると、欲しかったものを買ったり、少し贅沢したり、物質的なものを取り込もうとする傾向が強くなる。
勿論これ自体に悪いことは無い。
ある程度の余裕を持つことは精神にとっても非常に大切なことだと思う。
しかしこれがバランスをくずすと「あれも欲しいこれも欲しい」になって、得られないと怒りを感じたり、日常にある奇跡や驚異に感動できなくなってくる。
モノを得たり、それを楽しむこと自体に問題は無いが、楽しんだり得ることだけに専心してしまうと、そのモノが自分の精神にどうかかわっているのか、それと対峙することで自分は何を感じたり、何を学んでいるのか、そんなことを忘れがちになる。
日常には、センサーを敏感にすればする程、奇跡や驚異が溢れているのに気づく。
100円ショップの、ちょっとした一品に思いを寄せるだけでも、それを作った人達のドラマや背景があることに気づく。
日常の奇跡や驚異に沢山気づけば気づいていくほど、何が起きてくるか?。
それは自分の中に、形では無い、本当の感謝の念が積み上げられてくる。
感謝の念で満たされていくと、自ずと愛で満たされていくのがわかる。
しかし、そうしたありふれた日常に隠されている、日常の奇跡や驚異は、物質的な欲望が肥大してくると、それに鈍感になってきてしまう。全ての自分に対する行為が「されて当たり前」「当然」のことのように思えてきてしまう。
物質的なものを獲得したり、それに価値をおいたり、耽溺したりする方向へと生活が行く。
そうして精神的なものを軽んじたり、忘れてしまったりする。つまり物質的なモノに大きく傾いてしまう。
全てが当たり前、になるということは、全てが新鮮の反対、になってくる。
つまり日常が干からびていくのである。
それは最初、精神的な干からびに始まり、やがて肉体をも干からびさせていく。
そのくずれたバランスを取り直す為に宇宙はしばしば、僕に経済的なプレッシャーというものを与えるようだ。
というわけで、今年は非常に内省的な1年となったようだが、そんな1年を締めくくるように、12月4日に日本で楽しみな本が出版される予定になっている。
それは「奇跡のコース ―A COURSE IN MIRACLES:ヘレン・シャックマン (著)大内博(訳)ナチュラルスピリット社」という本である。
これはスピリチュアルな世界では割と有名な本だったのであるが、これだけ有名な本でも何の事情かはわからぬが日本では出版されていなかった。
今回ついに日本版が出る。
実は僕はもう大分前に既に原著は入手していた。しかしやはり英語力不足のため、早々に読了を断念していた(笑)。
この本は、イエス・キリストと思われる存在が著者に語りかけてきたメッセージを記録したもので、大ざっぱに言えば、いわゆるチャネリング本の一種に分類されるかもしれない。
ただイエス・キリストというネームを置いておいても、そこには深い霊的な叡智が記されているようだ。
かなり分厚い本でお値段も少々張る。
ボーナスなどの無い今の僕には、ちょっとキツイが、今年頑張った自分へのご褒美に発売即買い求めようと思う(笑)、買うことだけに意識が集中して、肝心な本の内容を理解するということを忘れ、物質的な方向に傾かないように気をつけたいが(笑)。
実は最近「イエス・キリスト」「キリスト意識」というものが自分の中でのキーワードになっている。
これはどんなものかを一言で言い表すのが大変難しいが、敢えて言うと、それは「バランス」という言葉に通じていく(一言で言っとるやないかいっ!)。
昨今、いろんなものの二極化ということが言われている。
陰と陽、善と悪、貧困と繁栄、成功と失敗。
今現象が二極化をしている意味とは何だろう?と考えると。それは「バランス」を考えろ、という宇宙からのメッセージであるように感じる。
「キリスト意識」の意味として「バランス」、そして今まで一般的に知られてきたキリスト教で説かれてきた「愛」という概念について、又考えるようにと、今宇宙がメッセージを出しているように感じる。
今までも生活に経済的なプレッシャーが、かかったことはあった。
振り返ってみると、そんな時期は傾向としては内面的な方向に生活が向かっていったように思う。
経済的なプレッシャーがかると、自然と非活動的になっていく。
内省の時間というのが増える。
なので今年は勢い内省が多かった気がする(笑)。
僕にとって経済的なプレッシャーというのは、どうも生活全般があまりにも物質的な方向に偏り過ぎた時、宇宙からの「バランスを取るようにせよ」との、メッセージであるかのようだ。
経済的に余裕ができると、欲しかったものを買ったり、少し贅沢したり、物質的なものを取り込もうとする傾向が強くなる。
勿論これ自体に悪いことは無い。
ある程度の余裕を持つことは精神にとっても非常に大切なことだと思う。
しかしこれがバランスをくずすと「あれも欲しいこれも欲しい」になって、得られないと怒りを感じたり、日常にある奇跡や驚異に感動できなくなってくる。
モノを得たり、それを楽しむこと自体に問題は無いが、楽しんだり得ることだけに専心してしまうと、そのモノが自分の精神にどうかかわっているのか、それと対峙することで自分は何を感じたり、何を学んでいるのか、そんなことを忘れがちになる。
日常には、センサーを敏感にすればする程、奇跡や驚異が溢れているのに気づく。
100円ショップの、ちょっとした一品に思いを寄せるだけでも、それを作った人達のドラマや背景があることに気づく。
日常の奇跡や驚異に沢山気づけば気づいていくほど、何が起きてくるか?。
それは自分の中に、形では無い、本当の感謝の念が積み上げられてくる。
感謝の念で満たされていくと、自ずと愛で満たされていくのがわかる。
しかし、そうしたありふれた日常に隠されている、日常の奇跡や驚異は、物質的な欲望が肥大してくると、それに鈍感になってきてしまう。全ての自分に対する行為が「されて当たり前」「当然」のことのように思えてきてしまう。
物質的なものを獲得したり、それに価値をおいたり、耽溺したりする方向へと生活が行く。
そうして精神的なものを軽んじたり、忘れてしまったりする。つまり物質的なモノに大きく傾いてしまう。
全てが当たり前、になるということは、全てが新鮮の反対、になってくる。
つまり日常が干からびていくのである。
それは最初、精神的な干からびに始まり、やがて肉体をも干からびさせていく。
そのくずれたバランスを取り直す為に宇宙はしばしば、僕に経済的なプレッシャーというものを与えるようだ。
というわけで、今年は非常に内省的な1年となったようだが、そんな1年を締めくくるように、12月4日に日本で楽しみな本が出版される予定になっている。
それは「奇跡のコース ―A COURSE IN MIRACLES:ヘレン・シャックマン (著)大内博(訳)ナチュラルスピリット社」という本である。
これはスピリチュアルな世界では割と有名な本だったのであるが、これだけ有名な本でも何の事情かはわからぬが日本では出版されていなかった。
今回ついに日本版が出る。
実は僕はもう大分前に既に原著は入手していた。しかしやはり英語力不足のため、早々に読了を断念していた(笑)。
この本は、イエス・キリストと思われる存在が著者に語りかけてきたメッセージを記録したもので、大ざっぱに言えば、いわゆるチャネリング本の一種に分類されるかもしれない。
ただイエス・キリストというネームを置いておいても、そこには深い霊的な叡智が記されているようだ。
かなり分厚い本でお値段も少々張る。
ボーナスなどの無い今の僕には、ちょっとキツイが、今年頑張った自分へのご褒美に発売即買い求めようと思う(笑)、買うことだけに意識が集中して、肝心な本の内容を理解するということを忘れ、物質的な方向に傾かないように気をつけたいが(笑)。
実は最近「イエス・キリスト」「キリスト意識」というものが自分の中でのキーワードになっている。
これはどんなものかを一言で言い表すのが大変難しいが、敢えて言うと、それは「バランス」という言葉に通じていく(一言で言っとるやないかいっ!)。
昨今、いろんなものの二極化ということが言われている。
陰と陽、善と悪、貧困と繁栄、成功と失敗。
今現象が二極化をしている意味とは何だろう?と考えると。それは「バランス」を考えろ、という宇宙からのメッセージであるように感じる。
「キリスト意識」の意味として「バランス」、そして今まで一般的に知られてきたキリスト教で説かれてきた「愛」という概念について、又考えるようにと、今宇宙がメッセージを出しているように感じる。
花田少年史 ― 2008年12月22日
「花田少年史」というモーニングに連載されていた漫画が評判になってたようで、それを読んだ。
主人公の花田一路(いちろ)という少年が事故をキッカケに霊感が表れ、霊と話すことができるようになり、さまざまな問題を解決していくという話だ。
この花田一路というのがトンデモナイ手のつけられないようなイタズラ坊主で、最初のうちは読んでいてちょっとイライラするくらいだった。
ところが読み進めていると、いつの間にか号泣している自分に気づいていた。
心霊、このマンガで出てくるのはいわゆる「幽霊」というもので、どうしても題材として暗くなりがちに思えるのであるが、そこはたまに見せるユーモラスなタッチと、この一路のクソタレヤンチャなガキキャラがバランスをとって展開していくので読後の閉塞感は無く、むしろ何かしら浄化を経た後のような爽快感が強い。
全五巻。最終巻は番外編になっている。
僕は個人的に番外編などもいいし、2〜3巻の金持ちの俵崎晴彦の話なども好きである。
主人公の花田一路(いちろ)という少年が事故をキッカケに霊感が表れ、霊と話すことができるようになり、さまざまな問題を解決していくという話だ。
この花田一路というのがトンデモナイ手のつけられないようなイタズラ坊主で、最初のうちは読んでいてちょっとイライラするくらいだった。
ところが読み進めていると、いつの間にか号泣している自分に気づいていた。
心霊、このマンガで出てくるのはいわゆる「幽霊」というもので、どうしても題材として暗くなりがちに思えるのであるが、そこはたまに見せるユーモラスなタッチと、この一路のクソタレヤンチャなガキキャラがバランスをとって展開していくので読後の閉塞感は無く、むしろ何かしら浄化を経た後のような爽快感が強い。
全五巻。最終巻は番外編になっている。
僕は個人的に番外編などもいいし、2〜3巻の金持ちの俵崎晴彦の話なども好きである。
アミ 小さな宇宙人【晴後雨】 ― 2005年09月04日
「アミ 小さな宇宙人(エンリケ・バリオス:徳間文庫)」というのが文庫になって出たので読んだ。
一見子供向けの童話風だ。
でも内容は実は非常にスピリチュアルだ。
それでもとても読みやすく、出てくる情景も難解なものは無い。
ちなみに文庫本の装丁・さし絵は、まるこちゃんの、さくらももこが描いている。
この本が最初に出版されたのは1986年だそうだ。
1986年は、僕もシルバーバーチの霊訓などを読んだりして、スピリチュアルな世界にどっぷりつかり始めた頃だ。
でもその時には、この本との出会いは無く、20年の時を経て、文庫になって日本人の僕の手元にようやくやってきたわけだ。
ただ、この本を読んでみて、20年の時間の経過の意味がわかったような気もした。
2005年の、現在、僕はこの本を読むべきだったのだろう。
きっと、スピリチュアルな事象というのは、そうであるが故、殊更タイミングが適切であるべきなのだろう。
いやいや、スピリチュアルな事象、という切り分けられたものはなく、この世の事象は全てスピリチュアル、と言うべきかもしれないな。
一見子供向けの童話風だ。
でも内容は実は非常にスピリチュアルだ。
それでもとても読みやすく、出てくる情景も難解なものは無い。
ちなみに文庫本の装丁・さし絵は、まるこちゃんの、さくらももこが描いている。
この本が最初に出版されたのは1986年だそうだ。
1986年は、僕もシルバーバーチの霊訓などを読んだりして、スピリチュアルな世界にどっぷりつかり始めた頃だ。
でもその時には、この本との出会いは無く、20年の時を経て、文庫になって日本人の僕の手元にようやくやってきたわけだ。
ただ、この本を読んでみて、20年の時間の経過の意味がわかったような気もした。
2005年の、現在、僕はこの本を読むべきだったのだろう。
きっと、スピリチュアルな事象というのは、そうであるが故、殊更タイミングが適切であるべきなのだろう。
いやいや、スピリチュアルな事象、という切り分けられたものはなく、この世の事象は全てスピリチュアル、と言うべきかもしれないな。
こんなオレでも・・・【晴後一時雨後曇】 ― 2005年08月23日
こないだ伊藤幸弘氏の「こんなオレでも生きててよかった」という本を読んだ。
伊藤氏は元暴走族の総長という経歴の持ち主で、この本にもその辺の話は勿論出てくる。
ところがこの本は読み終えて実にハートフルなものを感じるのである。
実際僕も電車の中などで読んでいても、思わず目頭が滲んできて困ったこともあった。
何度も壁にぶつかっても、くじけず立ち上がってくる伊藤氏の姿に心を打たれるのである。
伊藤氏は現在非行カウンセラーとしても活躍されている。
確かに、こんな人こそ実はカウンセラーに向いているのかもしれない。
僕も一時期カウンセラーの如きものを目指そうとした時期があったのであるが、人の相談をするのに自分を全然コントロールできていないことに気づき断念した。
僕の如き、安全地帯でヌクヌクとエロビデオ見ながらぐうたらしている独身中年がハナクソほじりながら「暴力はいけないよお〜」などと言うのと、散々暴力の世界で修羅を目の当たりに体験して来た人が「暴力はいけない」というのでは、言葉の重みが全然違うのである。
これはいかんともし難い事実だ。
だからといって勿論自分は情けないダメ人間だ、というつもりは無い。
たぶん僕には僕の役目があるのだとは思っている。
まあ、強いて情けない点を上げるとしたら、この年になってもまだ役目がハッキリ見えていないとこか(じゃ、ダメじゃん)。
ん?、自分は情けなくなくても、人は情けないって思ってるって?。
そうだねえ、僕40過ぎて独身だし貯金も無いし、冷蔵庫も無いし・・・って、言われなくてもワカッとるんじゃ〜あ〜っっっ!(やれやれやっぱり情けなや・・・)。
伊藤氏は元暴走族の総長という経歴の持ち主で、この本にもその辺の話は勿論出てくる。
ところがこの本は読み終えて実にハートフルなものを感じるのである。
実際僕も電車の中などで読んでいても、思わず目頭が滲んできて困ったこともあった。
何度も壁にぶつかっても、くじけず立ち上がってくる伊藤氏の姿に心を打たれるのである。
伊藤氏は現在非行カウンセラーとしても活躍されている。
確かに、こんな人こそ実はカウンセラーに向いているのかもしれない。
僕も一時期カウンセラーの如きものを目指そうとした時期があったのであるが、人の相談をするのに自分を全然コントロールできていないことに気づき断念した。
僕の如き、安全地帯でヌクヌクとエロビデオ見ながらぐうたらしている独身中年がハナクソほじりながら「暴力はいけないよお〜」などと言うのと、散々暴力の世界で修羅を目の当たりに体験して来た人が「暴力はいけない」というのでは、言葉の重みが全然違うのである。
これはいかんともし難い事実だ。
だからといって勿論自分は情けないダメ人間だ、というつもりは無い。
たぶん僕には僕の役目があるのだとは思っている。
まあ、強いて情けない点を上げるとしたら、この年になってもまだ役目がハッキリ見えていないとこか(じゃ、ダメじゃん)。
ん?、自分は情けなくなくても、人は情けないって思ってるって?。
そうだねえ、僕40過ぎて独身だし貯金も無いし、冷蔵庫も無いし・・・って、言われなくてもワカッとるんじゃ〜あ〜っっっ!(やれやれやっぱり情けなや・・・)。
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